案内された部屋には大きなダイニングテーブルがあって、上にはすでにいくつかの料理が並んでいた。その前に座って頬杖をついていた男が、やってきた史帆を認めて顔を上げる。
「やあ、史帆。待っていたよ」
「えっと……お待たせ」
史帆の言葉に、藍染は小さく笑う。
史帆は座る前に一度立ち止まって、ぐるりと部屋を見回した。目に入るのは、壁に沿うようにして並ぶ二人の使用人らしき破面くらいで、それ以外には何もないし、誰もいない。ずいぶんとしっかりお膳立てされた夕食にどこか恐れ多さを感じながら、史帆は藍染の向かいの椅子に腰を下ろした。史帆が着席したのを確認すると、東仙はあっさり姿を消した。
机には二人分の料理が並んでいる。サラダ、バゲット、スープ、それから中央には美しい色をした肉のロースト。のぼりたつ湯気が、それができたてであることを示していた。不思議な形をしたグラスは空だったが、史帆が座るとすぐに使用人が恭しく赤い液体を注いだ。
「これは?」
「ワインだ」
わいん、と史帆は繰り返す。藍染が頷く。
「葡萄から作られる酒だよ」
「甘いの?」
「飲んでごらん」
まるで水を飲むみたいに自然と藍染が自分のグラスに口をつけたので、史帆もそれを見てから、真似るようにワインを一口飲んだ。少量だったが、一気に口の中を渋さがめぐり、舌の上に妙な違和感が残って、顔をしかめる。まずいというよりは、妙な味だと思った。葡萄が原料だという割にはまったく甘さを感じない。
これはあまり好みではないな、と史帆が心のうちで判断を下したところで、ふと、向かいの藍染がまた頬杖をついて、自分を楽しげに眺めていることに気が付いた。その愉悦の理由をすぐに察し、史帆は目を細めて藍染を軽く睨む。
「……あなた、わかっててこのお酒出したでしょ」
「うん。口に合わないだろうなと思って」
苛立ちに任せてグラスを叩くようにテーブルに置いたら、割れてしまうよと苦笑されたが、知ったことではない。どうせ自分のものではないから、いくらでも割れてしまえばいいのだ。顎を引いて自分を睨む史帆に、藍染が苦笑した。
「惣右介」
「なんだい」
「織姫ちゃん、怪我したりしてないよね」
「してないよ」
慣れた手つきで肉を切りながら、藍染は穏やかに答える。
「それなら、いい。ありがとう」
「うん。ほかには?」
「……ほかに、か」
「すべて答えよう。僕に答えられることならね」
そう言って、藍染は目を細め、切り離した肉のかけらをそっと口に運んだ。優雅な動作だった。
何から聞けばいいのか、そもそも何を聞けばいいのか、迷いに迷って、史帆はしばらく沈黙した。言った通り、本当に、問えば何だって答えてくれるのだろう。史帆が決断を下すために、それこそ彼に答えられることならばなんだって。
やがて諦めたように溜息を吐いて、史帆は口を開いた。
「……あなたは、私を殺せるんだよね」
藍染が目を細める。
「私が、あなたを選ばなかったら、……護廷十三隊であり続けることを選んだら、私はあなたを殺して、あなたは私を殺す」
レタスにフォークを突き刺す。みずみずしい葉の繊維が断ち切られる音。
「その選択を私に委ねてるなら、どちらに転んだって、もうあなたは覚悟してる。そういうことだよね」
藍染はそっと目を閉じて、ワインを一口飲んだ。
「そうだよ」
「……あなたは、痛くなかったの」
その覚悟をするとき。史帆を斬り殺す覚悟を決めたとき、彼は心を痛めなかったのだろうか。
それは史帆の願望であったかもしれないけれど。この幼馴染が、自分が彼をそう思うように、自分のことを大切に思っていてほしいと。
少しだけ眉根を寄せて、藍染は、そうだね、と合間を埋めるようにつぶやいた。
「痛くは、なかったよ」
「……そう」
ぽつりと零れ落ちた声は、案外冷静だった。
この百年の間に藍染は心を決めていて、そうして彼は史帆を一番にしなかった。選ぶのは史帆だ。史帆が選ぶのを、ずっと、誰もが待っている。
「私が、あなたを選ぶって思ってるの」
ともすれば冷たくも聞こえる、感情を押し殺した声色。ややあって、藍染が口を開く。優しく、慈しむように。困ったような微笑をたたえて。
「僕を選んでくれたら嬉しいとは思うけど」
「……」
「でも、君が後悔なく選べたなら、それでいいよ」
史帆は目を閉じて、耐えるように眉根を寄せた。
ひどい話だ。こんな残酷なことはない。
藍染は史帆を一番にしなかったのに、史帆には自分を一番に思ってほしいのだと言う。自分は選ばず、史帆に最後の決定権を与えて、その選択をただ黙って待っている。
「……あなたって、ずるい」
零れ落ちた言葉がただ、もう省みようのない事実を述べるだけの無意味な批判であると、史帆はわかっていた。史帆の言葉に、藍染は何も言わない。
それから、二人はしばらく黙って、目の前の料理を口に運んでいた。皿とフォークのぶつかる音だけが時折響く。
そうして、料理がすっかり冷め切った頃。先に食べ終わって、史帆の食事を黙って眺めていた男に向けて、史帆はふと思い立って問いかけた。
「惣右介」
「うん」
「なんでも答えてくれるんだよね」
「いいよ。なんだい」
グラスを持ち上げて、中の真っ赤な液体を混ぜるように軽く揺らす。そのふるまいが様になっているのがどうも憎たらしかった。
「あなたって、好きな人いるの?」
史帆の問いに、藍染が目を丸くする。滅多に見れない幼馴染の意表をつかれた表情に、史帆はたまらずにほほえんだ。
ややあって、藍染が肩をすくめ、してやられたという様子で小さく息を吐く。
「いるよ」
そう答えた彼の口元は、悔しそうに、けれどどこか楽しそうに笑っていた。