刀を握り、転がる死体を冷たい目で見下ろして、幼馴染はそこに立っていた。だらりと下がった剣先からは断続的に血が滴り落ち、彼の足元を汚していく。
あたりは地獄絵図だった。自分とその男以外に、生き残っている者は一人としていない。誰もが無残に斬り殺され、赤黒い血だまりに倒れ伏している。その姿にはどれもこれも見覚えがあって、そうして目を向けてはじめて、心臓が切り裂かれるように痛んだ。それでも声は出ないし、身体は指先一つまで凍ったように動かない。
やがて、幼馴染がゆるりと振り向いて刀を収め、迷いなく史帆へと足を進める。地に落ちた派手な桃色の羽織を、死体の鮮やかな金髪を、まるで見えていないかのように踏みつけて。
目前まで近づいて、男は、うつくしくほほえんだ。そして、大切な仲間たちの血に汚れた手を伸ばして、史帆をそっと抱きしめる。
――選んでくれてありがとう、史帆。
耳元でささやかれた言葉に、史帆は誘われるように目を閉じた。まなじりから溢れるように生ぬるいしずくが流れて、足元に広がる仲間の血だまりに、音を立てて落ちていった。
遠くで自分を呼ぶ声がする。それは徐々に距離を近づけて、やがてすぐ目の前にまでやってきた。ゆっくりと目を開ければ、自分をのぞき込む友人の顔。
「……乱菊、おはよう」
「おはよーございます。大丈夫ですか?」
「大丈夫って?」
のろのろと身体を起こして、小さく身体をほぐす。布団のそばでだらりと座っている乱菊が、呆れたように肩をすくめた。
「だって、すっごくうなされてましたよ」
「ああ……うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」
先ほどの映像はやはり夢だったらしい。ずいぶんと趣味の悪い夢だった。寝起きで重たい頭を抱えるように一度うつむけて、髪を手櫛で整える。
「今何時だろ……」
「今ちょうどお昼の十二時ですよ」
あっさりと返された答えに、史帆は肩を落とした。昨夜の破面の襲撃後、織姫の部屋に帰ってそのまま倒れるように眠ってしまったのだが、いくら疲れているとはいえ寝すぎである。
溜息を吐きながら布団から這い出て、枕元に置いておいた洋服を手に取る。とりあえず朝食(昼食)を取らなければならない。
「織姫ちゃん……は、いないのか。乱菊、お昼ご飯どうする? 食べに行く?」
「あ、ごめんなさい史帆さん。私、隊長と一緒にこの後総隊長と話さなくちゃいけないんですよ」
「あ、そうなの。じゃあ私ひとりで行ってくるね」
「ごめんなさいね。晩ご飯は一緒に食べましょ」
申し訳なさそうに眉尻を下げる乱菊に、史帆は頷く。副隊長というのは忙しいものだと思いながら、同時に自分は三席で居続けてよかったとこっそり安堵した。
街で適当に食事を済ませ、史帆はそのまま街をぶらぶらと散歩していた。どうせ帰ってもやることはないし、乱菊や日番谷の邪魔をするのも良くないだろう。幸い慣れない現世は店を見ているだけでも楽しくて、退屈することなく時間は潰れる。しかしその一方で、時折脳裏をよぎる今朝の夢が、史帆の気を散らしていた。それに呼応するように、自分に決断を迫る言葉の数々がよみがえる。
――いつかは決断するべきだ。きっとね。
――覚悟は、決まったのか。
――いつまでもそうやって、膝を抱えて泣き続ければいい。考えることも選ぶことも放棄して。
「あれ、史帆さん?」
ふと、背後から名前を呼ばれ、茫洋と思考の海に沈んでいた史帆ははっと振り返った。そこに立っていたのは制服姿の織姫だ。
「何してるんですか?」
「ちょっとね、散歩しつつ、考え事。織姫ちゃんはどうしたの?」
「私は、今から黒崎くんのところに行かなくちゃいけなくて」
そこで織姫は一度言葉を切って、あ、と目を丸くした。
「そういえば、史帆さんは、総隊長さんのお話、まだ聞いてないですよね」
総隊長の話。乱菊が先ほど言っていたそれだろうか。なぜ護廷十三隊ではない織姫がその話を聞いているのかがわからず、史帆は困惑しながらも頷いた。
「黒崎くんに、その話を伝えに行くところなんです。良ければ、史帆さんも一緒に来ませんか?」
「え、うん、いいけど」
やった、と手を叩いて喜ぶ織姫に、史帆は自然と口元が緩むのを感じた。彼女はいちいち振る舞いがかわいらしい。微妙に残った混乱も、あまり気にならなくなってしまう。
一護がどこにいるのかは知らないものの、なんとなく方向はわかるらしい。史帆が霊圧の探知をかけても見つからなかったものを織姫が察知できるとは思わないので、霊圧以外の何かしらを目印にたどっているのだろうか。迷うことなく歩を進める織姫に、不思議に思いながらも続いていくと、やがて二人は、廃れた倉庫群にたどり着いた。そのうち一つ、大きな倉庫の前で、織姫が足を止めたので、史帆も並んで止まる。
ここだ、と織姫がつぶやいた。
「猫が、あんな広いところをまっすぐに歩いてる……」
それは、猫だけではない。空を飛ぶ鳥も、列をなして行進する蟻も、周囲にいるあらゆる生物がそうだった。倉庫を覆っている強大な結界によって、近づくことができないのだ。
目を凝らせば薄く見える橙色の光は、あのとき双極の丘で見た、織姫の力と少し似ている。おそるおそる史帆が手を伸ばして触れると、光の壁は明確な硬さを持って史帆を拒絶した。
「駄目だ、これ、入れないな……壊せるか試してみる?」
顎に手をあて、いくつかの破道を思い浮かべる史帆に、織姫が首を横に振った。
「史帆さん、手、繋いでください」
「え?」
「多分、通れると思います」
彼女の考えが史帆にはわからなかったが、言われた通り、差し出された手に自分のそれを重ねてつなぐと、織姫が小さく息を吐いて、もう片方の手で結界に触れた。それがそのまま、まるで水面に触れたように波紋を描き、通り抜ける。驚愕に目をまたたかせた史帆の手を引いて、織姫はそのままあっさりと結界を通過した。
振り返っても光の壁はまだそこにあって、しかし壊された痕跡はなく、何も変わらずに他の生物を遠ざけている。
「すごい……どうして?」
「なんとなく、私の盾舜六花と似てる力な気がしたんですよね。だから、行けるかなって」
織姫は照れくさそうに笑った。盾舜六花とは、彼女が操る攻守、あるいは復元能力だと、昨夜ともに食事をとったときに聞いている。確かに見た目はよく似ていたけれど、だからといって結界を通過できるものなのだろうか。
まだ完全な理解に至らない史帆の手をぐいぐいと引っ張って、織姫は躊躇なく倉庫の中へ踏み入る。中は無人で薄暗く、物が散らかっているものの、埃をかぶっている様子はなかった。最近使われていたのだろう。もしくは、現在進行形で。
しかし、結界の中に入ったことで、史帆はすぐさまその霊圧を探知していた。一護の霊圧だ。意識を澄ませて周囲を探れば、それが地下から発されていることに気付く。部屋を見回してすぐに、家具の影に、地下に続く階段があるのが見えた。
「織姫ちゃん、こっちだ」
「あ、地下に?」
「そうみたい。行こう」
階段を下りながら、史帆は、一つのことが気にかかっていた。それは、地下から発される霊圧が、一護のものだけではなく、複数あること。
そしてその中に、記憶にある霊圧が混ざっていることだ。
記憶のそれと完全には一致しない。しかし、他人のものだと言われるには、あまりにもよく似ていた。
織姫とともに階段を下りながら、そう時間も経たないうちに、それが何なのかを史帆は知る。
大きな岩山があちこちに突き出た荒原のような空間に、ぽつりぽつりと浮かぶ人影。ある者は仁王立ちで、ある者は岩に腰かけ、ある者は地面に胡坐をかいて。
その中に、短く切り揃えられた金髪の男と、長い黒髪をみつあみにした女を見つけて、史帆は目を見開いた。
「平子、隊長……矢胴丸副隊長」
そのつぶやきが、彼らに届いたかは定かではない。少なくとも、そばにいた織姫には聞こえなかったらしい。お手洗いどこですか、と冗談めかす彼女の後ろで、史帆はただ呆然と、混乱する思考の中で確かに、涙が出そうなほどの安堵に胸が包まれるのを感じていた。