乱菊と一通り街を楽しんで、満足した頃にはすっかり夜になっていた。乱菊に案内されてたどり着いたアパートで、井上と表札の出たその部屋のチャイムを鳴らすと、ややあって一人の少女がゆっくり扉を開ける。
「はあい。……って、乱菊さん?」
「やっほー、織姫」
怪我をしているらしく、腕を吊り下げ、額に包帯を巻いているが、その容貌は記憶に違わないかわいらしさだった。可憐な瞳を不思議そうにまばたかせて、乱菊と、その隣に立つ史帆の姿を交互に見る。挨拶がてら、苦笑しつつ小さくお辞儀をすると、彼女もお辞儀をし返した。
「ええと、……」
「はじめまして、四谷史帆です」
「え、あ、はい! 井上織姫っていいます」
丁寧に名乗る織姫に、乱菊がにっこりと笑う。
「史帆さんは私の先輩で、親友なの。私たち、ちょっと用があって現世に来ててね」
織姫はまだ事態をうまく飲み込めない様子で、困惑の色を浮かべながらも頷いた。尸魂界の住人である乱菊が、ほぼ初対面の史帆を連れてきて突然部屋にやってきたのだから、戸惑うのも無理はないだろう。
「けど泊まる場所が見つからなくって。織姫、泊めてくれない?」
「うちにですか? いいですけど、なんで、」
「ナイス即答!」
詳しい状況説明を求めようとした織姫の言葉を、飛びついた乱菊がさえぎった。
「そういうところ大好きよ、織姫! よし、そうと決まればお風呂貸してくれない? 今日はしゃいだから汗かいちゃって……谷間に」
怒涛の勢いで話しかけながら、ぐいぐいと織姫を部屋の中へ押しやる。これではどちらが部屋の住人なのかわからないと史帆が苦笑したとき、何かを突然思い出したように、乱菊の目がぱっと見開かれた。織姫から手を離し、再度玄関の外に出ると、屋根の方を見上げて「行く場所なかったら入ってきていいですけどね」と声をかける。
「ああ、日番谷隊長、結局来たんだね」
言うだけ言って、返答を待たずに扉を閉めた乱菊に笑ってから、史帆は織姫に向かい合った。
「突然ごめんなさい。びっくりしたよね」
「いえ、大丈夫ですよ」
やわらかく微笑んでから、織姫は居間へ二人を案内した。示された座布団に座って、織姫と向かい合う。乱菊は物色するかのようにきょろきょろと部屋を見渡していた。
「あの、四谷さん、双極でお会いしました、よね……?」
「うん、そうだね」
恐る恐ると言った口調の問いに、史帆は頷いた。正確に言えば、会ったというほどのものではなく、ただ織姫が黒崎一護を治療していたところに史帆がひとときお邪魔して、一護と会話させてもらっただけだ。織姫自身とは言葉を交わさなかったが、あのときのことを覚えているのだろう。
やっぱり、と織姫は手を叩いた。
「あの後、黒崎くんから聞いたんです。朽木さんを助けるために、少しの間一緒にいて、手伝ってくれた人だって」
その言葉に、史帆は肯定も否定もせず、ただ黙って苦笑した。史帆があのとき朽木ルキアの処刑を止めに動いたのは、彼女の命を助けることそのものが目的だったわけではないので、こういう言われ方をすると少しだけ良心が痛む。
「ありがとうございました。朽木さんを助けてくれて」
まっすぐな感謝に、史帆は目を細めた。尊くて。
「……ううん。こちらこそ、ありがとう」
素直な子だ。黒崎一護といい、この子といい。こそばゆさを感じながらも、花が咲くような織姫のほほえみに、史帆もつられて頬を緩めた。
突然連絡もなく押しかけたというのに、織姫は二人に料理をふるまい、お風呂を貸してくれた。なお料理は大層不思議な盛り付けで、史帆が今まで知らなかった境地の味をしていたのだが、こちらは家にお邪魔させてもらっている立場であるうえ、目の前の乱菊と織姫があまりにもおいしそうに食べるので、こういうものか、と思いながら箸を進めるしかなかった。ちなみに、食べた後に胃が激しくもたれたので、化粧品を買ってくるとうそぶいてコンビニに行き、こっそり口直しのチョコレートを買ったのは史帆だけの秘密である。
コンビニから戻ると、ちゃぶ台に向かい合って、乱菊と織姫が何やら楽しげに話しているところだった。帰った史帆を見て、二人がおかえりなさいと声をかける。
「ただいま。何話してたの?」
「ちょうど史帆さんの話してたところです」
「え、私?」
驚く史帆に、二人はどこか悪戯っ子のように笑っている。その笑みに嫌な予感を感じ取った史帆は、すぐさま事の対処を考え始めたが、方法が思い浮かぶより先に織姫が、あの、と切り出した。その表情はどこか興奮したように緊張していた。
「史帆さんって、藍染さんの彼女さんなんですか!?」
「違う!」
全力で否定しつつ、史帆は額に手を当てて溜息を吐く。どうせこういった内容だろうとは想像がついていたが、誤解はだいぶ予想の斜め上を行っていた。藍染さん、だなんて、尸魂界すべてを敵に回した大罪人をよくもまあ気軽に呼ぶものだ。
いつの間にか下の名前で呼んでもらえていることにわずかな嬉しさを感じつつも、史帆は乱菊を軽く睨む。
「乱菊、あなたまた適当なこと言ったでしょ……」
「えー、適当じゃないですよ。ていうか、本当に付き合ってないんですか?」
「むしろ本当に付き合ってると思ってたの?」
「思ってましたよ」
「ん−、なぜ……」
「なぜ、はこっちのセリフですけどね」
それ以上言い返す言葉も見つからず、史帆は首をすくめた。百年前ならまだしも、少なくとも乱菊が入隊してからは藍染とそこまで頻繁に会っていたわけでもないのに、どうしてそう思われるのだろう。昔は遊び心で、交際を問われてもただ曖昧に笑うだけで返していた藍染も、いつからかしっかり否定するようになったと聞いていたのに。
「それを言うなら、市丸隊長と乱菊だって何かあるんじゃないの?」
負けじとばかりにつつくと、乱菊はからからと笑った。
「あいつとは何もないですよ。幼馴染ってだけで、史帆さんたちと違って別にそんなしゃべりもしないし。あんな男、好きになったらおしまいですよ」
史帆は堪え切れずに苦笑した。好きになったらおしまい。その気持ちは史帆にもよく理解できて、いっそ愉快ですらあった。
織姫は乱菊と史帆の会話を興味深そうに聞いていた。年ごろの女の子だからか、それとも死神の恋愛話が新鮮だからか、こちらが気恥ずかしくなるほどに真剣な目をして耳を傾けている。その様がかわいらしくて、史帆は自然と表情を緩めた。
「織姫ちゃんは、恋人はいるの?」
「ええ! そ、そんな、いないです」
「でもあんた、好きな男がいるじゃない」
乱菊さん、と織姫が顔を真っ赤にして怒る。史帆はほうほうとからかうように頷いた。
「良い男?」
「とびっきりの良い男ですよ。ねぇ、織姫」
同意を求める乱菊に、織姫はあちらこちらに視線をさまよわせながら、あー、うー、と言葉にならない声を漏らしていたが、やがて身体を縮こまらせて、小さく頷いた。それがあまりにもかわいくて、史帆は口元が緩むのを止められない。
史帆が笑っていることに気が付いた織姫が、また眉を下げて、かわいらしくふてくされた。