久々に降り立った現世はまぶしかった。尸魂界にも太陽はあるが、何が異なるのか、現世におけるそれの方がずっとあたたかく、恵みを与えてくれているような気がする。こんな言い方をしては、尸魂界をつくった誰かに失礼かもしれないけれど。
黒崎一護の通う学校では制服として、白いシャツとグレーのボトムスが定められているらしい。ここまでしっかり定められた制服は霊術院以来だ。(護廷十三隊も、あの黒い死覇装が制服と言われればそうかもしれないが)。慣れない洋服に袖を通しながら、同じ服装をした先遣隊のメンバーたちとともに教室へ乗り込んだら、案の定黒崎一護はしっかり目を丸くして驚いた。双極の一件ではそこまでわからなかったけれど、もしかしたらからかいがいがある子なのかもしれない、と史帆はこっそり考える。
窓から合流したルキアも含め、日番谷が先遣隊の目的を完結に説明する。メンバーとして選ばれたのは、何よりはじめに一護と関わりの深かったルキアと恋次、そしてそこから芋づる式にメンバーがつながっていって、最終的には乱菊は「面白そうだから来た」とさえ口にした。なるほど、日番谷がずっと頭を抱えていたのも無理はない。
メンバーひとりひとりの顔を順に見ていった一護の視線が、最後、史帆の顔を見て止まった。怪訝そうに眉が寄せられる。
「四谷さんまで来てんのかよ」
「史帆でいいよ。私もせっかくだし、一護くんって呼んでもいい?」
「別になんでもいいけど……あんた、好き勝手動いて大丈夫なのか?」
一護の言葉に、史帆は首をすくめた。双極での藍染と史帆のやり取りで、二人との間に確執があることを察しているのだろう。しかしだからといって、何かが起こるというわけでもない。別に大丈夫だよ、と言うが、一護は納得いかなさそうに唇を引き結んでいた。
「卯ノ花隊長と京楽隊長が、気晴らしに行っておいでって」
「全員遠足気分かよ……」
呆れたように一護が肩を落とす。その様子が少し愉快で、史帆はくすくすと小さく笑った。
その後、破面について何も知らないらしい一護を連れてルキアが颯爽と姿を消し、それに伴って残された六人も一度解散となった。慣れない制服姿で校舎を歩きながら、さて今日はどこで過ごそうかと考え始めた史帆に、乱菊が並んで歩く。
「史帆さん、私今日織姫のとこに泊めてもらおうと思ってるんですけど、一緒に行きません?」
「オリヒメ?」
「ほら、双極で見たでしょ。一護の治療してたあの髪の長い子ですよ」
ああ、と史帆は言った。たしかに、双極で顔を見たはずだ。不思議な力で一護を治療していた、あのかわいらしい少女。織姫とはまたずいぶんと美しい名前だ。それに容姿が負けていないのがすごい。
「でも、乱菊はともかく、知らない私が行ったら怖がらない?」
「大丈夫ですって、気さくな子なんで。ねえ、隊長」
そう言って乱菊は、少し距離を開けて後ろを歩いていた日番谷を振り向く。史帆も真似て振り返った。いつも通りむっとした様子の日番谷は、羽織を脱いで現世の制服に袖を通すとどうしても少年らしさだけが強調されて、とても上司とは思えない幼さだった。似合っているといえば似合っているのだろうが、それを口に出せばさらに機嫌を損ねることは容易にわかるので、黙っておくことにする。
「隊長も来ます?」
「行かねえ。お前ら、何度も言うが、遊びに来てんじゃねぇんだぞ」
「えー、隊長ノリ悪ーい」
「というか、乱菊と一緒じゃないなら、日番谷隊長はどこに泊まるんですか?」
「どこでもいいだろ、ほっとけ」
呆れたように溜息を吐き、日番谷はそのまま足早に二人を追い抜かして行ってしまう。その背中を、史帆は乱菊と揃って、唖然と見つめた。もー、相変わらず固いんだから、と乱菊が肩をすくめる。
「相変わらず真面目だね、日番谷隊長は」
「ですよねぇ。せっかくの現世なんだから、楽しめる間は楽しめばいいのに」
苦笑して、史帆は乱菊と並びまた歩き始めた。学校の校舎はずいぶんと単純な構造で、地図の苦手な史帆でもすぐに覚えられそうな造りをしていた。ひとまず向かうは下駄箱である。もう校舎に用はない。
「まあ、織姫の部屋には後でお邪魔するとして、まだまだ時間はありますからね。とりあえずショッピング行ってからにしますか」
「いいね。乱菊は何かほしいものあるの?」
「これってのはないですけどね。現世はおしゃれな服が多いから、まずは服から見てきましょ。あ、一角、……いっちゃったか。荷物持ちお願いしようと思ったのにぃ」
人差し指を唇にあてて男の不在を嘆く乱菊はいかにも彼女らしく、史帆は思わず笑ってしまった。
乱菊は現世のことをよく知っているようで、たとえば自分好みの服がどこに行けば多く売られているかとか、史帆の好きそうなスイーツがどこで食べられるかとか、そういった情報を熟知していた。制服姿のまま街を練り歩いて、片手に食べられる甘味を食べ歩きしながら服をいくつか買ったところで、少し足が疲れたという理由で二人は喫茶店に入る。現世ではこういう店をカフェというのだと、史帆はたった今知った。
席について、乱菊はカフェラテとチーズケーキを、史帆は紅茶とチョコレートケーキを頼む。尸魂界ではなかなか見ない形のスイーツばかりで、史帆は現世に滞在している間に全部制覇しようと心に決めた。メニューを見ているだけでもよだれが出そうになるのだ。京楽と七緒に買うおみやげも、もしかしたらしっかり厳選する必要があるかもしれない。何せ現世にはおいしいものが多すぎる。
メニューを閉じて両腕を伸ばし、史帆はぐるりと身体をほぐした。慣れない洋服は肩が凝る。それを見て、乱菊は頬杖をついてほほえんだ。
「疲れました?」
「少しね。でも、楽しいよ。こういうの久々だから」
「最近はゆっくりもできなかったですもんね」
乱菊の言葉に、史帆はそっと笑って頷いた。
たしかに、乱菊の言う通りではある。しかしそれは、藍染の離反によって護廷十三隊がばたついていたとか、史帆が怪我をしてしばらく入院していたからとか、そういう理由も勿論あるのだけれど、彼女とよくこういった時間を過ごしていた藍染惣右介その人が彼女の前から姿を消していたことが、むしろ史帆にとっては大きい要因だったのだ。
「これからは私を誘ってくださいよ。史帆さんの誘いだったらすべてを投げ出してでも行きますよ」
「ええ、嬉しいな。とりあえず現世にいる間は乱菊といっぱい面白いことできそうだし、楽しみ」
「ですね。そうだ、明日織姫も誘って三人で遊びに行きましょ」
ぱん、と手を叩いて、名案を閃いたというように乱菊が顔を輝かせる。ちょうど運ばれてきた紅茶を口に運びながら、史帆は笑って頷いた。
気を遣ってくれているのだろう。尸魂界で、幼馴染を失い、そのうえ周囲からも白い目で見られていたことを、きっと乱菊は知っているのだ。彼女だって、幼馴染と離れたという意味では史帆と同じ状況であるにも関わらず。
自他ともに認める仲良しである乱菊のことを史帆はもう長い間見てきたけれど、こういうときの彼女は本当に優しく、本当に人の心に聡かった。甘やかされてばかりで、次こそは自分が乱菊を支えるのだと思うのに、毎回負けてしまうのがくやしく、またどこか誇らしくもあった。
「楽しみだな。ありがとう、乱菊」
史帆の言葉に、乱菊はにっと笑って、こちらこそ、と言う。今日も今日とて、乱菊は史帆の知る女性の中で、相変わらず最も格好良いのである。