卯ノ花の言う通り、京楽になされたその進言とやらの正体は、それから数日後に京楽から直接史帆のもとへ伝えられた。
「そういえば史帆ちゃん、現世は好き?」
「……はい?」
所用で外していた七緒に代わって京楽について隊舎内を歩いていたとき、ふと問いかけられた言葉に史帆は思わず聞き返した。現世?
あまりにも突然出てきた単語に目を白黒させていると、京楽が小さく笑った。
「今、襲撃に備えて何人か隊長格を現世に派遣しようって話になっててね。そのメンバーを選んでるところなんだけど、卯ノ花隊長が君に行ってもらったらどうかって」
そこで初めて、史帆はその話が先日の卯ノ花の"気晴らし"に相当するものなのだと理解する。任務で現世に行ったことは過去にも何度かあるが、現世は尸魂界と文化がだいぶ異なっていて、とにもかくにも新鮮で楽しい場所だという認識が強い。確かに気晴らしとして行くには良いだろう。そんな軽い気持ちで引き受けていい任務なのかどうかは疑問だが。
「是非行きたいです」
「あ、そう? じゃあお願いするよ」
あっさりと許可を出して、京楽はかぶっていた編み笠を上げた。
「いいなぁ、僕も行きたかったんだけど」
「隊長はここでお仕事に励んでください、私は現世でおいしいものいっぱい食べてくるので」
「うわぁ、それ、嫌味ってやつ? そんないじわる言う子に育てた覚えはないよ、史帆ちゃん」
「そうですか、じゃあ元からですかね」
肩を揺らして笑うと、京楽はふてくされた様子で唇を尖らせた。もう壮年なのに、こういった些細なしぐさに妙なかわいらしさを感じてしまうのはひいき目ではないだろう。そういうところは京楽の生来の小狡さだ。
「おみやげ買ってきてね、日本酒」
「はいはい」
「はいは一回だよ、史帆ちゃん」
京楽が肩をすくめる。
そういえば、と史帆はふと考える。先ほど京楽は、隊長格を派遣する、と言っていた。ならば史帆のような一席官ではなくて、副隊長や隊長クラスまでもが派遣されるということなのだろうか。
「あの、京楽隊長。メンバーって、ほかには誰がいらっしゃるんですか?」
「ん? まだ全員は決まってないけど、……そうだね」
そこで足を止め、京楽は顎に手をやって天井を見上げた。そしてうん、と頷いて、踵を返す。
「せっかくだから直接顔合わせしとこう、史帆ちゃんどうせ今日の仕事もう終わってるでしょ?」
「あ、はい、終わってはいますけど……」
「よし、決まり」
史帆の了解を得るより先に歩き出した京楽に、史帆は慌ててその背を追った。京楽はおそらく仕事をさぼりたいのだ。隊首室に戻る前になるたけ時間を潰しておきたいのだろう。それをわかって許容しては、七緒に後で怒られるのは史帆だ。
「待って下さい、それなら誰なのか教えてくだされば、私一人で行きますから」
「駄目だよ、僕の大事な史帆ちゃんを預けるんだからね、直接僕からも挨拶しとかないと」
京楽が止まる気配はない。史帆は一度諦めの溜息を吐いて、そのあとに続いた。こうなってはいくら説き伏せても無駄だ。さっさと挨拶を終えて隊首室に戻ってもらう方が早いだろう。
京楽が向かった先は十番隊舎だった。日番谷が派遣されるのだろうか、と思いながら、十番隊隊首室をノックする京楽の後ろに控える。ノックに対する応答はすぐにあった。中から、なんだ、と不機嫌そうな声。
「日番谷隊長、僕だけど。今お邪魔してもいい?」
名前は名乗らずとも声と喋り方でわかったのだろう。ああ、と短く了承の意が返ってきたのを確認して、二人は部屋の中へと立ち入った。机に向かって何やら難しい顔をしている日番谷が顔を上げ、やってきた二人を認めて首を傾げる。
「京楽隊長、どうかしたのか」
「史帆ちゃんが先遣隊メンバーに決まったから、ちょっとご挨拶にね」
「え!」
京楽の言葉に真っ先に反応したのは、日番谷ではなく、高らかな女性の声だった。ソファの背もたれに隠されていて気付かなかったが、最初からそこに寝転がっていたらしい女が、弾かれたように起き上がりその姿を現す。
「史帆さんもメンバー!? ほんとに!? 最高!」
「びっくりした……ん、私も、ってことは、乱菊も?」
「そうですよ! 日番谷先遣隊第一隊員の松本でぇす!」
日番谷先遣隊、と復唱して目を丸くする史帆に、乱菊はうんうんと嬉しそうに頷く。その部隊名なら第一隊員は間違いなく日番谷ではないのだろうか、と内心で突っ込みを入れつつ、史帆は苦笑する。
「というか、日番谷隊長も松本副隊長も、二人とも現世に行かれるんですか?」
視線を移して日番谷に問いかけると、日番谷は筆を放り投げて頬杖をつき、そうだ、と言った。
「うちの三席はまあそれなりに優秀だし、任せて行けるだろうってことで話がまとまった。ほかの隊はまだバタバタしてるところも多いからな」
「なるほど……」
「本当は僕が行きたかったのになぁ、先に隊長枠取られちゃったよ」
「京楽隊長はお仕事溜まっているから無理でしょう」
「史帆ちゃん、今日僕に対して当たり強くない?」
「気のせいですって」
乱菊の向かいのソファに、史帆は京楽と並んで腰をおろした。机の上には乱菊が菓子でも食べていたのであろう皿がそのまま置かれっぱなしになっている。
「四谷、お前、黒崎一護と面識はあるのか?」
ふいに日番谷からそう問いかけられ、史帆は首を傾げた。黒崎一護。双極の一件で世話になった人間の男の子だ。あまりに愚直でまっすぐに、相対する敵にぶつかろうとする性分で、その力強さは史帆に取って良い意味で印象的だったから、ずいぶん記憶に色濃い。
「黒崎くんなら、双極の件で少しの間一緒に行動していましたが……それが何か?」
「今回は現世でやつと合流して、警戒にあたることになってる」
言葉の意味がいまいち飲み込めず、史帆はわずかに眉を下げた。結果的に尸魂界の恩人になったとはいえ、彼は人間である。これから先の戦いに巻き込むつもりだろうか。
「一護くんは前回の一件で正式に空座町における死神代行ってことになったんだ」
史帆の疑問を察したらしい京楽が、あっさりとそう答えた。なるほど、と頷く。本人が了承したのなら、きっとそれで良いのだろう。
「それで、空座町にいる彼と合流して、現世の守護につくってことになったんだよ」
「そうだったんですか。それはでも、楽しみですね。一度落ち着いて話してみたいと思ってたので」
一護らが帰るまで史帆は入院していたので、帰り際に立ち会うことができなかったのである。双極で、お互い満身創痍ながら言葉を交わしたのが最後だった。あのときは二人とも本当に余裕がなかったから、ほんの二、三言しか言葉を交わしていない。朽木ルキアを助ける前もそれどころではなかった。
「あのなぁ、遊びに行くわけじゃ……」
「史帆さん、現世で最近、しゅーくりーむっていうお菓子がすっごいおいしいお店があるらしいですよ」
「ほんと? それは絶対に行こう。京楽隊長も、おみやげで買ってきますね」
「お、それは楽しみだなぁ。七緒ちゃんの分もよろしくね」
弾む会話に日番谷が肩を落とし、眉をひそめるのが見えた。どいつもこいつも、と皮肉る彼の心の声が聞こえたような気がして、史帆はたまらずに笑う。それがばれてまたじろりと睨みつけられたので、すぐさま手のひらで口元を覆い、史帆は逃げるように目を逸らした。