表舞台から一度退場したその男は、久々の休日に喜ぶように悠々と、紅茶を楽しんでいる。その横顔を忌々しい気持ちで見つめながら、ギンは口を開いた。
「藍染隊長」
「ギンか。どうした」
「史帆さんが黒崎一護に接触したみたいですけど」
眼鏡の奥、茶色い瞳だけが動いてギンを見遣る。やがてその口が、特に驚いた様子もなく、「そうみたいだね」と紡いだ。
史帆の霊圧は消えている。感知できないように鬼道で消しているのだろう。
史帆は霊圧の扱いに優れていて、他人の霊圧の感知力も、自身の霊圧の制御も護廷十三隊の中では群を抜いていた。先日、藍染が死を装う直前に東大聖壁に現れた彼女を気絶させた後で、霊圧を追跡するための特殊な霊粉をつけておかなければ、彼らとて史帆を見失っていたかもしれない。
「どないします? 連れてきましょか」
「いや、いいよ。好きにさせなさい」
湯気の立つティーカップに口をつけて、藍染は穏やかに目を伏せる。
「百年前、蚊帳の外にしたことをだいぶ怒っていたみたいだからね。今回は邪魔せず、自由にさせようと思って」
そうつぶやく藍染の声はずいぶんと楽しそうで、ギンは思わず口をつぐんだ。同時に、この男にここまで特別扱いされる史帆を、かわいそうだと、哀れだと思う。
同情しているのだ。彼女にかけた言葉はすべて本心だった。彼女が信じたかどうかは知らないが。
彼女が今、護廷十三隊、ひいては尸魂界においてどれだけ重要な情報を握っているかを知るのは彼女本人だけだ。もしそれをほかの誰かに伝えたなら、それが信じられようと信じられまいと、彼女の望む未来には至れない。藍染を失わずに藍染を止めるという、甘ったるい理想には至れない。だから、あるかもわからないわずかな可能性に賭けて、彼女はこうして一人、旅禍に接触しに行ったのだろう。
指先ひとつまで気を配って行動しているはずだ。藍染が自分を渦中から排除しないように。それがどれほどの苦心であるか、ギンには想像がつかない。
「ほんまに史帆さんには甘々ですなあ。はいはい、わかりました。ほな言われた通りほっときますんで」
「ああ、よろしく頼むよ。要にもそう伝えておいてくれ」
聞くべきことは聞いたので、怪しまれないうちに隊舎に戻ろうと踵を返したギンを、ややあって藍染が呼び止めた。まだ何かあるのか、と半ば苛立った気持ちで振り返ると、藍染はまるでその感情を読み取ったかのように苦笑する。
「なんです?」
「史帆は気付いていると思うかい?」
何か、は言われずともわかった。藍染が生きていることに、だろう。何を今更、という意味を込めて、「そりゃ、気付いてはるでしょ」と返すと、藍染はまた笑った。
この百年間もそうだったが、史帆は自分から藍染に何かしようとはしない。藍染が何かを企て、実行しようとしたときに初めて、それを阻止するために動くのだ。それは彼女の甘さであって、藍染を止めたいなら、本当なら何も待たずにその首を斬り落とすしかないのだけれど。
だから、何であれ史帆が自ら動き出した今、藍染が関与していると彼女が考えていることには間違いはない。聡明な彼女ならば、百年前の藍染の影武者と今回の死体をつなげて考えることだって容易なはずだ。
ギンの即答に目を細め、藍染が「やはりそうか」とほほえむ。
「なんですの」
「いや。生きた私と再会したときに、彼女がどういう反応をするかと考えていたんだが。やはり大して驚きはしないかもしれないね」
悪趣味だ。本当に、史帆が哀れになってくる。
何より一番哀れむべきは、この男が史帆に執着するように、史帆もまたこの男に執着していることだろう。藍染への情などすべて捨ててしまえば、彼女はいくらでも平穏な幸せを手に入れられたはずだ。
「あんまり女の子にいじわるするもんちゃいますよ。嫌われても知りませんで」
「おや。君にそれを言われるとは思わなかったな」
藍染は至極愉快気に目を細める。言葉を返すことなく、血の匂いが色濃く残る空間を通り抜け、ギンは隊舎へと踵を返した。