四番隊が到着し、負傷者の救護が始まったのは、太陽が沈み始めた頃だった。
「二班と三班は朽木隊長、七、十、十一班は狛村隊長、十二班は四谷三席の治療にそれぞれ参加しろ!」
一際大きく張り上げられた声に、隊士たちがより緊張感を持って双極の丘を駆ける。それを横目に見ながら、隊長格と並んで名を呼ばれてしまうなんて恐れ多いと、史帆はひとり、ぼんやりと思った。現実逃避の一つでもあったのかもしれない。あまりに多くのことがありすぎて、脳はすっかり疲弊しきっていた。史帆だけではなく、多くの隊士がそうだったかもしれないが。
そんな史帆のそばに寄り添うようにあぐらをかいて、京楽は溜息を吐く。
「にしても、随分手酷くやられたねぇ。痛かったでしょ」
「痛かったです……」
「あんなひどい男は捨てて、僕に乗り換えたら? 僕は彼と違って女の子には優しいよ」
こんな状況でも軽口を叩く京楽に、史帆は笑いたくなる。声を立てて笑うと傷が痛むので、唇だけでそっとほほえんだ。ひどい男。その通りだ。別に付き合っているわけではないけれど。
ふと、視界に、丘に降り立つ卯ノ花隊長の姿が見えた。史帆が気に留めたことに京楽も気付いたらしく、「卯ノ花隊長ー」と手を上げる。呼びかけに応じて早足に史帆のもとへやってきた卯ノ花が、史帆を挟んで京楽と反対側に屈んだ。
「遅くなりました。よく頑張りましたね、四谷三席」
「あの、雛森副隊長と、日番谷隊長は、」
「どちらも一命は取り留めています」
その言葉に、史帆は自分でも信じられないくらいに安堵した。肺の奥から一気に空気が溢れて、咳き込みそうになる。はあ、と大きくゆっくり吐き出して、また泣きそうになりながら唇を噛む。
「良かった……」
自然とこぼれるように吐き出された独り言に、卯ノ花は穏やかに目を細めた。
「私は朽木隊長の治療に参ります。あなたも安静に、四谷三席」
はい、と返せば、卯ノ花は立ち上がって、また足早に朽木白哉のもとへ急いだ。ここにくる前に既に二人分の治療を行なっているだろうに、少しも疲れを見せないのはさすがだった。
卯ノ花が腰を据えた先、横になる白哉と、その横に招かれ恐る恐る座した朽木ルキアの背を見ながら、史帆はふと、忘れていたことに気が付く。首を動かして京楽を見上げると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「あの、京楽隊長」
「なんだい?」
「処刑、止めてくれて、ありがとうございました」
その言葉に、京楽はわずかに面食らったように目をまばたかせた。京楽が浮竹とともに総隊長である山本元柳斎と刃を交えたというのを聞いて、史帆は申し訳なさでいっぱいだった。それを言ったらまた怒られるだろうから、言わないけれど。
ぽかんとしていた京楽も、やがて元の穏やかなほほえみに戻って、どういたしまして、と頷いた。
「まあ、惣右介くんの目的は達成されちゃったみたいだけど……みんな生きてれば、文句はなし、だね」
「はい」
「うん。やっぱり、どういたしまして、って言っとこう。だから、史帆ちゃんも、お疲れ様」
「……はい」
「……君が帰ってきてくれて、本当に、良かった」
身体の横に力なく垂れていた史帆の手のひらをそっと握って、祈るように自らの額にあてる。そのしぐさがどうしようもなく切なくて、胸が痛くて、史帆は目を細めた。
ふと、背を丸めた京楽の後ろにあの少年の姿を見つけて、史帆はまた思い立って、口を開く。
「京楽隊長、お願いが」
「うん?」
「黒崎くん、……あの、旅禍の子のところに、」
最後、こみ上げた咳で言葉尻が切れたものの、意図は伝わったらしい。京楽は心配げに眉をひそめたが、わずかな逡巡の後、咳き込む身体に障らぬよう丁寧に史帆を抱き上げた。治療に当たっていた周囲の四番隊の抑止をのらりくらりと躱して、一護の元へ運ぶ。今日は人に自分を運ばせてばかりだ。
横になって、同じ旅禍の少女に治療を受けているらしい一護も、しかし意識ははっきりしているようだった。そばに膝をついて、一護を包む不思議な橙色の光の外側からその顔を覗き込むようにすると、褐色の瞳が驚いたように見開かれた。
「四谷さん? あんた大丈夫なのかよ」
「君よりは確実に軽傷だよ」
そういう自分の顔はおそらく真っ白なのだろう。しかし一護は口をつぐんで史帆から目を反らし、赤く染まり始めた空を仰いだ。
「……藍染が、あんたの幼馴染だったんだな」
「そうだよ。だから気を付けてって言ったのに」
「あれでも十分警戒していったんだぜ……化け物だろ、あれ」
史帆は思わず苦笑した。一護の口ぶりがあまりにもあっさりとしていて、腰をほとんど真一文字に切り落とされそうになった被害者の科白とは思えなかった。
「でも、良かった。生きてて」
「……おう」
「ごめんね。幼馴染がひどいことして」
「別にあんたは関係ねぇだろ」
「……そうだね」
そこで会話は途切れて、一護は眠るように目を閉じ、史帆もそっと目を伏せた。史帆の治療に当たっていた四番隊隊士が後ろで困っているのに気付き、史帆はゆっくりと立ち上がった。ふらつく身体を慌てて京楽が支える。こら、と怒られたが、史帆はいっそ気にせずに踵を返し、自らの足でもとの場所へ戻ろうとした。
その背中に、「四谷さん」と声がかかる。一護だ。
振り向くと、仰向けに寝転がったまま、一護が史帆に視線をやっていた。さきほどまで、ルキアを守るために怒りに吊り上がっていたまなじりは、今は優しく、穏やかに細められている。
「難しいことは、よくわかんねぇけど……お疲れ。手貸してくれて、ありがとな」
――胸がぎゅっと締め付けられるような心地がして、史帆は眉を下げた。涙をこらえるように目を細めて、少年のりりしい瞳を見つめる。
唇を噛んでから、大きく息を吸う。気を抜けばまた涙が出そうだった。
「うん。あなたこそ、お疲れ様。……ありがとう、黒崎くん」
力強くそう言って、史帆は顔をほころばせる。
沈みかけた太陽が、史帆の、一護の、傷付き汚れ、血を流した身体をあたたかく照らす。やわらかな夕焼けは、毎日目にするそれよりもずっと穏やかで優しく、尊いものに見えた。