「――久々に見たな、君の斬魄刀は」
ぶつかり合う刃が軋み、火花が散る。その奥、血に濡れた刀で応戦する幼馴染は、楽しそうに笑っていた。さして懐かしくもない笑顔だ。
どさり、と音を立てて、雛森の身体が崩れ落ちた。腹のあたりから死覇装が赤く染まり、溢れた血が床に容赦なく広がっていく。
ちくしょう。史帆は内心で吐き捨てる。目の前の男に。そして自分に。
「悔しがることはない。君の斬撃は君の思惑通りに僕を妨害したよ。おかげで、一思いに殺そうと思ったのに、即死させてあげられなかった」
あまりにも淡々と述べる男に、史帆はもう理解ができなくて、ただ痛みをこらえるように歯を噛みしめた。どうか雛森がすでに意識を失っていて、彼の言葉が聞こえていないことを切に願う。
どうして、と、つぶやく声が怒りに震える。
「殺す必要ないでしょ……!」
珍しく怒りに満ちた史帆を見て、藍染は肩をすくめた。膠着状態にあった刃を強く払って、お互い後ろに飛んで間合いを取る。
「何をそう怒っている? 君は雛森くんとそんなに親交が深かったかな」
「そうじゃない!」
怒りが転じて涙となって、気を抜けばそのまま溢れていきそうだった。まだ泣いてはいけない。心の中で繰り返すようにつぶやくと、手のひらに握った斬魄刀が、励ますように、そうだ、と頷いた気がする。
距離を取ったことで一時休戦とでも思ったのか、藍染は刀を下げたが、史帆は変わらず刀を構え続けた。非常に残念な話だが、霊術院にいたころから、彼に一度として剣術で勝ったことはないのだ。
力の差があることを、ほんの一瞬でも忘れてはいけない。今は命の瀬戸際なのだ。
あっけらかんとしている癖に一瞬の隙さえも見せないまま、藍染が口を開く。
「しかし、予想はしていたが、ずいぶんあっさりしているな。僕が生きていたことに少しくらい喜んだらどうだい」
「わかってたもの。かわいくなくてごめんね」
そうかい、と藍染が肩を揺らして笑う。
「ならば、百年前の答え合わせもかねて、君の推理を聞こうか。君はあれらを何と予想した?」
あれら、とは、言うまでもなく、藍染の偽物たちのことだろう。百年前は生きた状態で、昨日は死んだ状態で、その生死は異なるものの、どちらも見た目だけは完璧に、ほんのわずかなほころびもなく、藍染惣右介そのものだった。
しかし、その正体は何かと問われても、史帆は答えうる解答を持ちえない。本物ではないということにたどり着いただけでも褒めてほしいくらいだ。
黙ったまま答えない史帆に、藍染はまだどこか楽しそうに言葉を続ける。
「わからないならヒントを上げようか。僕は君に、何度か僕の斬魄刀の能力を見せたね。しかし、あれはこの刀の真の能力ではない」
藍染の言葉の意図が読めず、史帆は眉を寄せ、彼を睨んだ。
彼の刀は流水系の斬魄刀。光の乱反射で敵を攪乱して、同士討ちを誘う力だと言っていた。実際にその様を見たこともある。しかし、それが真の力ではないというのだから、意味がわからない。
訝しむ史帆を気にも留めず、藍染はさらに続けた。その顔が、種明かしする子どものような嬉しそうな笑顔で、史帆はわずかに戦慄する。
「そしてもう一つ。僕の斬魄刀の名前は、鏡花水月というんだ」
「何を、いまさら……」
発した言葉が、途中から急に勢いを無くしていく。それを耳にして、男の口角が上がった。得意げに、自慢げに。それにいらだちを覚える余裕すら、今の史帆にはない。
鏡花水月。鏡に映る花のように、あるいは水面に映る月のように、手を伸ばしても触れられない、幻。
嘘だ、と史帆は思う。たった今思い至ってしまった、あまりにも強大すぎる力を、受け入れることができなかった。
そんな能力があっていいのか。
「残念ながら、君の予想はおそらく当たっているよ」
慈悲もなく、男は淡々と口にする。愕然としたまま声を発せない史帆に、今一度言い聞かせる教師のような口ぶりで。
「完全催眠。相手の五感を支配し、対象を僕の意のままに誤認させる。それが僕の斬魄刀、鏡花水月の能力だ」
そう藍染が言い切った瞬間、後ろから肩を叩かれる。弾かれたように振り向いた先、そこに立つ男を見て、史帆は瞠目した。呼吸を失い、喉の奥で詰まった言葉が、ぽろぽろと零れ落ちるように吐き出される。
「うそ、」
――百年前。五番隊隊舎の庭で、無残にも斬り殺されていた、三席が。
「お久しぶりです、史帆さん」
穏やかに笑って、目を見開き言葉を失う史帆を、そっと見下ろしている。
虚構だとわかっていた。たった今、藍染が自らの力を見せびらかすために作り上げた幻だと、わかっていた。わかっては、いたのだけれど。
見た目も、声も、そっと細められる目の優しさも、何もかもが同じで。本当に、本物にしか見えなくて。それに目を取られて、ほんのわずか、思考が完全に考えることを放棄したその一瞬に、肉を突き刺す鈍い音がした。
あまりに音が近い、と不思議に思って、すぐに、それが自分の腹が貫かれた音なのだと知った。遅れてやってきた猛烈な熱さに、思わず叫びそうになる。
「そういえば、君は彼と、ずいぶん仲が良かったね」
ずぶりと刀が抜かれ、耐えきれず史帆は膝から崩れ落ちた。硬い木の床に倒れ、喉の奥からせり上がってくる血に身体を丸めて咳き込む。痛みで思考は鈍いが、意識は飛んでくれそうになかった。なんとか首を動かして見上げると、そこに立っているのは三席ではなく、不気味な笑みを浮かべた市丸ひとり。
本当に、幻なのだ。史帆がただ、勝手に彼を三席だと思い込まされただけ。
息を切らし、力のない目で見上げる史帆に苦笑しながら、市丸がその身体を抱き上げる。少しでも体勢が変わるたびに激痛が走って、史帆は叫ばないようにするので精一杯だった。史帆の腹から溢れる血が市丸の隊長羽織を汚していくが、彼は気にするそぶりもない。
「さて、行こうか」
浅い呼吸を繰り返す史帆に目を落とし、藍染は血払いした刀をしまってあっさりと告げる。
「君もまた除け者にされるのは嫌なようだからね。今回はちゃんと、何が起きるのかをその目で見るといい」
まるでこれからが本番とでも言うような口ぶりに、史帆は眉をひそめた。腹の痛みにこらえながら、市丸の胸元を掴んで支えに、少しだけ頭を上げる。
「……処刑、なら、」
「ん?」
「とめる、よ……京楽、たいちょ、が」
絶え絶えの言葉だったが、意図は伝わったらしい。両手を袖に入れ、藍染が口元を緩ませた。百年、自らの心に隠し続けた真相をやっと告発したというのに、黒幕の顔色は変わらない。いずれにせよ今日で明らかになる予定だったから、今更だとでも思っているのかもしれない。
そのとき、入口の方に足音がした。痛みに震えながら視線だけを遣ると、入口に立っているのは、息を切らした一人の少年だった。白い髪に翡翠の瞳、白い羽織に背負われた斬魄刀。日番谷だ。
藍染の足元、血だまりに伏せる雛森を見て、日番谷の大きな瞳がさらに見開かれ、震える。ぼやける視界にそれを見つけて、どうして、と、史帆は心の中で呪った。
どうしてこうも、想定されうる最も残酷な形で、役者が揃うのだろう。
「やあ、日番谷隊長」
お早いご帰還だね、と、まるで日常的な挨拶を交わす口調で、藍染は笑った。