死を装った藍染惣右介が、身を隠すとしたらどこを選ぶだろうか。史帆は彼の死体を見たときから、ずっとそれを考えていた。
本当に姿を隠すことを目的とするなら、彼はその目的に最も合致する場所を潜伏場所として選ぶはずだ。その候補として、史帆には一つだけ思い当たる場所があった。
――四十六室の居住地区は、完全禁踏区域だよ。
いつだったか、史帆が藍染と他愛のない会話をしていたとき、何気なしに彼が口にした科白だ。完全禁踏区域、という言葉の響きがあまりにも強烈だったから、よく覚えている。その場所が清浄塔居林と呼ばれる、本当に隊長格すらも立ち入れない場所であるということを知ったのは、それより少し後だったのだが。
誰も入らない場所が、誰からも身を隠すのに最適だという考えは安直だろうか。しかしそれ以外に思いつく場所はないのだし、とにかく行ってみるしかない。
念のためにまた霊圧を消し、自身に曲光をかけて、他人に見つからないよう慎重に清浄塔居林へと向かう。処刑当日だからか、まだ旅禍を警戒して多くの隊士が守護配置についているのか、隊舎内はいつもより閑散としていた。
その途中、四十六室の塔へ続く廊下に出ようとしたところで、並んで歩く二人の死神の姿を見つけ、慌てて頭を引っ込めた。廊下に続く隊舎の壁に沿って身を隠し、交わされる言葉に耳をすませる。
「もう怪我はええん?」
「ええ、一応……」
「それは何より」
特徴的な京言葉は、どこからどう聞いても市丸のものだ。そしてそれに答える、か細いながらも警戒の滲んだ女性の声も、史帆は勿論知っている。
五番隊副隊長、雛森桃。藍染の副官の少女だ。
藍染の死体を見つけたときに騒ぎを起こして拘置を受けていたはずだが、解放されたのか。
二人の声は少しずつ遠ざかっていく。その方向は確かに、史帆も向かおうとしていた清浄塔居林の方向だった。少し迷って、史帆は二人の後をつけることにした。鬼道の扱いに長けた二人に曲光が悟られないよう、一層慎重に距離を取りながら、ぎりぎり会話が聞き取れる距離を保って。
史帆は市丸が藍染の仲間だと思っている。数日前、屋根の上で交わした言葉が本心であれ嘘であれ、その事実には変わりはないだろうと思っている。しかし、だとしたら今、彼とともにいる雛森は何だろうか。雛森は市丸を藍染殺害の犯人だと思っていたのではなかったのか。あるいは、あの発狂すらも演技で、雛森も彼らの仲間だったのだろうか。その割には、市丸に向ける雛森の声にはとげがあるけれど。
初めに聞こえた取り留めない会話を除いて、以降目的地にたどり着くまで、二人の間に言葉はなかった。到着したとき、市丸の斜め後ろを歩いていた雛森が、その入口で足を止める。どこまでも続くのではと思えるほど広く静謐な空間に、一定の間隔で塔が林立しているのを見回して、その荘厳さに息を呑んでいるようだった。
淡々と歩を進める市丸に、我に返った雛森も小走りでその後を追う。
「今までここに来たことは? 雛森ちゃん」
「そんな……ここは完全禁踏区域じゃないですか。見るのも初めてです」
市丸が立ち止まる。雛森に背を向け、前を向いたまま、たっぷりと言い聞かせるように、ゆっくり、その言葉を発音した。
「合わせたい人、おんねん」
――瞬間、史帆は息を飲んだ。
目の前、少し離れたその先に、男の背中が突如現れたのだ。五と書かれた白い羽織が、茶色いくせ毛が、瞬歩の余韻で揺れている。
史帆と二人の間をさえぎるように立つ彼は、確かに、あのとき東大聖壁に磔にされ殺されていた男だった。
史帆に気付いているのかいないのか、彼は後ろを気にする様子もなく、雛森に向かって声をかける。瞳を震わせながら振り向いた雛森が、泣きそうな声で、藍染隊長、とつぶやいては、そのまま震える足取りで、一歩一歩、藍染に近づく。
「本当に、藍染隊長なんですか……?」
「もちろん、見ての通りだ。心配させてすまなかったね、雛森くん」
涙にむせぶ雛森の小さな身体を抱きしめ、藍染はいつも通りの柔和さを装って、表面だけは優しい言葉をいくつも投げかける。それはまさしく"藍染隊長"の姿だ。護廷十三隊の誰もが知っている、温和で部下思いで冷静で聡明な、藍染惣右介の仮面だった。
喉がごくりと鳴る。無意識に唾を飲んでいた。全身を這うような悪寒に、鳥肌が止まらない。
嘘だ。こんなものは茶番だ。
藍染の生存に対する雛森の喜び。それ以外、この場において真実は何一つ存在しない。
彼が何をしようとしているのか、察してしまう自分の勘が憎かった。考えるより先に、腰の斬魄刀に手をかける。
「瞬け、――!」
ここまでの焦燥を込めて、自身の刀の名を呼んだのは初めてだ。手に握った斬魄刀が驚愕しているのがわかったが、説明している場合ではない。解放された斬魄刀を一度薙ぐように振りぬいて、藍染に向けて斬撃を飛ばす。
刃と斬撃がぶつかる音がするより前に、史帆は剣を構え、藍染に向かって駆け出した。