「な、ん、で、勝手にいなくなったのかなあ? 僕に一声かけていくことくらいできたよねえ? まだ僕のこと信用してないの? 百年も一緒にいてもうすっかり信頼関係育まれてると思ってたよ僕は。悲しいなあ、泣いちゃうなあ」
「痛い痛い痛いです! すみませんでした!」
悶絶し声を上げても容赦なく、京楽は拳で史帆の頭をごりごりと抉る。そんな二人を浮竹は座したままにこやかに眺めている。助けてという願いを込めて目線を遣ると、浮竹はそれに気付いてさらに笑みを深め、手を振った。いい笑顔だ。でもそうじゃない。
やがて一通り怒って満足したのか、史帆から手を引いて、京楽は座布団に座りなおす。まだ痛みの余韻を残す頭をさすりながら、史帆も涙目で浮竹の隣、京楽の前に正座した。
「本当に肝が冷えたよ。タイミングがタイミングだ。もしかしたら君まで、って思うのが普通だろう」
「すみません……」
「怪我はないんだね? 霊圧は自分で消してただけ?」
「は、はい」
だいぶご立腹らしい京楽は口を尖らせ、それならよかったけどさあ、と不満げにつぶやく。いたたまれずにうつむく史帆を見かねたのか、浮竹が茶を飲みながら、まあまあ、と苦笑した。
「四谷の無事も確認できたし、ひとまず話を聞こう、京楽」
「……そうだね。じゃあ僕から聞いてもいいかな?」
浮竹が頷いたのを確認してから、京楽は史帆に視線を向けた。
「聞きたいことだらけなんだけど……まずは、どうして旅禍についてったんだい?」
「えっと、……そうですね……」
唇に手を当てて、史帆は目を伏せた。先ほど浮竹にも同じ質問をして答えを返したばかりではあったのだが、その返答を寄越しても、二人とも納得はしないだろう。さらになぜだと深堀られるだけだ。そのために今この場に集まっているのだから。
言葉に迷う史帆を、京楽と浮竹は黙って待っている。何を話しても、彼らは笑い飛ばしたりはせずに聞いてくれるだろう。しかし、どこまで話していいものかがわからなかった。信用していないのではない。ただ、話し過ぎれば藍染が、史帆も彼らも渦中から排除しようとするのではないかと思われたのだ。それは百年間抱き続けてきた懸念だった。
藍染が、結局自分をどうしたいのか、史帆にはずっとわからないでいた。
史帆ちゃん、と優しい声が場に落ちる。
「質問が悪かったかな。別に君の話しやすいように、好きに話してもらって構わないよ」
「あ、いえ……」
「それとも、話すかどうか、それ自体を迷ってる?」
京楽は鋭い。うつむいた史帆に目を細め、続ける。
「君を疑ってるわけじゃない。君が僕らに話したくない理由があるとしたら、たぶんそれは僕らのためなんだろう」
「……」
「でも、悪いねぇ、史帆ちゃん。僕もこれ以上、何も知らないまま君にだけ重荷を負わせるのはごめんなんだ」
はっとして、史帆は弾かれたように顔を上げた。わずかに痛ましげに眉を下げた京楽の表情を、知っている。そこにある感情を、知っているのだ。史帆だって同じだったから。
何も知らないまま終わりたくない。何も知らないまま、藍染を失いたくなかった。
たとえそれが守るためであったとしても、蚊帳の外にされた本人がどれだけ自分の力の無さを呪うのか、一度経験した史帆はよくわかっている。
気付けば、わかりました、と、自然に口が紡いでいた。
「……すみません、何も話さないで、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑はかけてないでしょ、少しは周りを頼りなさいって話さ」
「いえ、あの……はい、……すみません」
なんと言えばよいのかわからず、間を埋めるように謝罪する史帆に、京楽と浮竹が肩をすくめた。一度小さく息をついてから、史帆は口を開く。何から話したってどうせ突飛な話には違いないので、史帆はもういっそ、最初から答えを告げることにした。
「藍染惣右介が、おそらく生きてるんです」
その言葉に、京楽と浮竹は揃って目を見開いた。
「彼が何か、百年前のような、誰かが傷付くようなことを企んでいて、……それが、朽木ルキアの処刑と、旅禍の進入に何か関係があるのではないかと思ったんです。それで、何かわかればと思って、旅禍に会いに行きました」
「ちょっと待ってくれ。朽木の処刑については俺も疑問だった。あんな理不尽に重い判決は不当だと思っていたんだが、まさか」
浮竹は一度そこで、ためらうように言葉を切った。
「……まさか、藍染が裏で手を引いていたっていうのか?」
「いえ、そこまでは、まだわかりませんが……」
「史帆ちゃんは朽木ルキアちゃんの処刑を止めたかったんだよね」
京楽が口をはさむ。
「ってことは、直接的にそれを主導したかはわからないにせよ、惣右介くんの目的が彼女の処刑にあると、史帆ちゃんは考えてるわけだ」
「はい。朽木さんの処刑そのものが目的なのか、それに乗じて別の何かを起こすつもりなのかはわかりませんが」
なるほどね、と京楽がつぶやく。さすがに史帆と長年一緒にいるだけあって、理解が早い。
「もう一個聞いていい? 史帆ちゃんさっき、百年前、って言った。平子くんたちがいなくなった、あの事件の話だよね」
その問いに、史帆は自然目を伏せた。それ自体がもはや答えのようなものだった。
問いかける京楽の顔には、責めるような色はない。それだけが救いだ。
「あれも、惣右介くんが犯人なんだね?」
目をつむって、頭痛をこらえるようにぎゅっと眉を寄せた。
やがて、数秒の沈黙の後で、やっと、史帆は小さく頷いた。
潮時だ。これ以上、確証がないからと逃げ回るのはあまりにも狡いだろう。もう、彼が怪しいというだけの甘い言葉でごまかすわけにはいかない。
「あの夜、君に白伏をかけたのは誰かって聞いたとき、君はわからないって答えたね。あれも嘘かい?」
「……、はい」
「それも彼が?」
史帆は首をすくめながら、小さく頷く。これは史帆が明確に、自ら選んだ嘘だった。
「どうして黙ってたの」
「……わかり、ません。でも、言えなくて」
本心だ。京楽が小さく息を吐いたのが聞こえたが、史帆は顔を上げられなかった。
藍染に直接釘を刺されたわけではない。だからそれを隠したのは史帆自身の意思だ。
藍染が本当に黒幕だったという証拠がなかったのをいいことに、彼を信じる可能性を少しでも残しておきたかったのかもしれないと思う。あのとき、証拠のない状態で藍染を犯人だと告発したとして、それを周りが信じたかどうかはわからないけれど。
「……そっか。ほんと、ひどい男だね」
「……」
自分も断罪されるべきだ。うつむき、目をつむって、その言葉を待っていた史帆は、ふいに、頭にのせられたあたたかさを感じて顔を上げた。京楽が自分の頭を撫でているのだ。見上げて、言葉を失った。その表情が、あまりにも優しいほほえみだったので。
「よくがんばったね、史帆ちゃん」
許される理由はないだろうに、京楽は平然と、史帆をそうやって甘やかす。なぜかと思うのに、それを問うよりも先に、目の奥が熱くなるのを感じた。
だって、悪いのは自分だと思っていた。この百年、ずっと。
「誰にも言えないまま、一人で百年間、ずっと抱えてきたんだろう」
「……っ、でも、私は、」
彼をかばったのだ。どんな要因があったとしても、その事実は変わらない。
しかし、京楽はあっさりと首を横に振る。
「いいんだよ、史帆ちゃん。だから今、今度こそ彼を止めるんだ。そうだろう」
いつもはふざけてばかりの京楽が、あまりにも真剣な目をしてそう言うので、史帆は思わずこくりと頷いた。それを見て、京楽の口元がにっと笑う。
京楽が手を離すと、隣で二人を見守っていた浮竹が、そっと溜息を吐いた。
「四谷、話してくれてありがとうな」
「い、いえ」
「今、四十六室に朽木の減刑を陳情しているところだ。その結果を待つ間に、藍染を探そう」
浮竹の言葉に史帆は頷いた。朽木ルキアの判決に藍染が直接絡んできたなら、陳情は跳ねのけられる可能性が高いが、やらないよりはやった方がはるかに良い。
ようやく話にひと段落がついた部屋の中へ、そのとき、一羽の蝶が窓から跳んで入った。地獄蝶だ。指に止まらせた浮竹が、とたん、顔色を変える。
「浮竹?」
「……朽木の処刑日時が変更になった」
低く吐かれたその言葉に、京楽も史帆も目を見開いた。処刑は今から二十余日後だったはずだ。それも元は三十五日あった猶予期間が縮まってのことだったのに、さらに変更が加わることなど、普通ならばありえない。
やはり、藍染が直接的に絡んでいるのだ。そうでなければ、こんなことにはならないだろう。
「いつ?」
珍しく切羽詰まった様子の京楽に、言葉を返す浮竹の声は、もっと逼迫していた。
「明日だ」
誰も言葉を発せなかった。惣右介、と、史帆は心の中で、恨み言のようにその名をつぶやく。
三人に走る緊張などつゆ知らず、伝令を持ってきた蝶だけが、のんきにその羽をひらひらと瞬かせていた。