黒崎一護は白哉と交戦する意思と力を見せたが、その途中に乱入した四楓院夜一によって拉致され、案外あっさりとその場を離脱してしまった。去り際、夜一は史帆を見て何かを思うように目を細めたが、声をかけることなく、その俊足でもって見事にその場から逃げ去った。
夜一が姿を消した屋根の上、もう誰もいないそこをじっと見つめながら、史帆は百年前、彼女が隊長羽織をその背に羽織っていた時代を思い出す。平子らがいなくなったあのタイミングで、夜一もともに消息が不明となったのだ。事件の主犯として判決を受けた浦原喜助とともに現世へ逃げたのではないかと、藍染が一度言っていたのを聞いたことがある。
そうだ。事件の主犯として、判決を受けた彼と。
藍染が百年前の黒幕だとして、もし浦原や夜一が何かを知ったがために藍染の画策によって主犯に仕立て上げられ、その地位を追いやられたのだとしたら。彼らは、藍染の近くにいた自分を、今ものうのうと護廷十三隊にいる自分を恨んでいるだろう。先ほどの夜一の視線を思い出し、史帆はそっと目を伏せる。
夜一が消えた屋根の上を同じように見つめていた白哉が、ふいに無言で踵を返す。どこへ行くんだと問いかける浮竹に、興が削がれたという返答。その背中が見えなくなった後で、ようやく強大な霊圧が消えて楽になった空間で、史帆は大きく息を吸った。浮竹が苦笑する。
「大丈夫か」
「はい、なんとか」
自身の霊圧を極限まで抑えていたせいで、白哉の巨大な霊圧にまともにあてられてしまったのは失敗だった。そのおかげでここまで見つからずに来られたので、悪いことばかりでもなかったけれど。
浮竹は影で見ていた十三番隊の部下たちを呼び、岩鷲の手当の手配とルキアの再投獄をてきぱきと命じた。そして傷ついた岩鷲を痛ましげに一瞥してから、史帆に視線を移す。
「四谷」
「はい」
「君は自分から旅禍についていったのか?」
史帆はためらうことなく頷いた。浮竹相手に嘘を吐く気はない。百年前から浮竹は史帆にずいぶんとよくしてくれたし、史帆も彼のことは信頼している。
「なぜだ」
「……旅禍と、話すためと、……朽木さんの処刑を止めるためです」
史帆の返答に、浮竹がわずかに目を見開いた。京楽を介したつながりもあって史帆と浮竹はよく親交があるが、とはいえ十三番隊そのものには史帆は大して関わりがない。事実朽木ルキアのことだって、今日会うまで顔さえ知らなかったのだ。そんな状態で彼女を救いたいのだと宣う史帆はずいぶん奇妙に見えただろう。
しかし浮竹はその先を追及しなかった。そうか、と小さく頷いてから、さらに重苦しい口調で続けて問いかける。
「……藍染のことは」
「知っています」
ためらいはない。声が震えることもない。藍染の死体に対して、この護廷十三隊で、むしろ最も喪った哀しみを感じていないのが史帆だ。おそらく。
しかし、その声のまっすぐさを、幼馴染を亡くしてもなお気丈にふるまう強がりだとでもとらえたのか、浮竹の表情は悲痛をたたえたままだった。問うている浮竹の方が、その質問と返答によって傷ついているようにさえ見える。
「君が動いていることは、藍染の死と、何か関係があるのか?」
数拍おいて、史帆は頷いた。そうかと小さくつぶやいて、浮竹が目を伏せる。
藍染の死を、悼んでくれているのだ。浮竹は京楽と同じく、百年前、藍染が平子の副官だった頃、あるいはそれよりもずっと前から護廷にいたのだ。死神といういつ死ぬかわからない命をもってこれだけ長い間護廷で生き続ければ、自然と互いに情も湧く。
数秒の沈黙を経て、改めて浮竹が史帆の名を呼んだ。はいと返事をすると、隊長らしくりりしい光を宿した双眸が、史帆をまっすぐに射貫く。
「本来なら、どんな理由があれ、旅禍に一時でも与したというのはあってはならないことだ。拘置を受けても文句は言えない」
「はい」
「……だが、藍染の件で、護廷も混乱している。君に離脱してもらう余裕はない。君の処分については俺がなんとかしておくから、とりあえず一緒に来てくれるか」
そう言い切って踵を返す浮竹に、少し遅れて我に返り、史帆はそのあとを追った。
「浮竹隊長、あの、どちらへ」
「隊首室に戻る。京楽も呼んで、そこで話をしよう」
「話って、」
どこか遠回しな言い方をする浮竹に、半ば先を急かすような言い方になった。先ほどから隊長格に無礼ばかり働いているな、と内心反省を始めた史帆をよそに、浮竹は気を害した様子もなく答える。
「朽木の処刑を止める方法だよ」
ぽかんと口を開けた史帆に、浮竹が少しだけ振り向いて、優しく笑った。
「俺だって、あんな理不尽な判決で大事な部下を奪われるのは納得がいかないんだ」
――ああ、そうか。
すとんと、胸に落ちるように自然に納得する。
上司として、隊長として、浮竹は本当に人格者だ。一度史帆は隊首試験を受けたけれど、たとえば浮竹のこういう一面に触れるとき、自分ではあまりに力不足だったと痛感せざるを得なかった。こういった人をこそ隊長の器だと言うのだろう。自分ではあまりにも足りていない。
また歩き出した浮竹の後に続いて、史帆は隊舎への道を行く。離脱した一護の霊圧は、もうかけらも捉えられないほどに弱まり、遠ざかっていた。