藍染と分かれて数刻後。おそらく隊首会が開かれているだろうちょうどその頃合いに、二度目の警報が鳴った。一日に二度も緊急警報を聞いたのなんて、長い間護廷十三隊にいる史帆でもはじめてだった。
それは、旅禍が瀞霊廷内に侵入したという通達だった。至急各隊守護配置につくように、との放送に、執務室にいた席官たちが一斉に史帆を見て指示を仰ぐ。京楽も七緒もそれぞれ隊首会やら副隊長会やらで不在である今、指示を出す人間は三席の史帆である。
これだけ人から見つめられるのも慣れないな、と内心で苦笑する。少し考えてから、史帆ははじめに、四席と五席の名を呼んだ。
「二人はここで待機しててくれますか?」
はい、と頼もしい返事。頷いてから、ほかの者たちに視線を移す。
「ほかのみんなは、放送通り配置につきましょう。私はうろうろしてるので、何かあったら呼んでください」
そう告げると、真面目な隊士たちは元気に立ち上がって部屋を駆け出していった。残る二人に「じゃあ、よろしくね」と告げてから、史帆も歩いて部屋を出る。平時における斬魄刀の携帯許可はまだ出ていないが、旅禍の対処であれば正当な理由になるだろうと判断して、史帆も持っていくことにした。
緊急時の守護配置が決まっているのは八番隊においては六席以下だ。それ以上の席次は特定の配置にはつかず、その状況に合わせて行動を決定する。だから、三席である史帆が守るべき特定の場所はないので、とりあえず言った通り、うろうろして様子を見るつもりだった。配置についた八番隊の誰かが危なそうであればかけつける非常要員のようなものだ。
史帆は霊圧の感知能力が高い。どこにいたってその気になれば瀞霊廷内全域の霊圧を探れるし、誰がどこにいるかも知ることができる。だから歩き回ることにはあまり意味がないので、面倒臭さも相俟って、屋根の上を散歩しつつあたりを見ようと隊舎の屋根の上に飛び乗った。
瀞霊廷はずいぶん騒然としていた。当然といえば当然だが、すでに複数地点で戦闘が起きている気配がする。隊長格の霊圧もめまぐるしく移動していたり、逆に全く動かなかったり様々だ。
さて、どこに行こうかと思っていると、ふいに史帆の背後で空気が揺らいだ。瞬歩で誰かがやってくるとき、こうやって押し出された空気がゆがむのだ。
振り向くより先に、それが誰かは霊圧でわかっていたのだけれど、しかしそれでも驚きはあった。珍しい人物だ。
「やほ、史帆さん」
「市丸隊長? どうしてここに」
「いややなぁ。史帆さんが一人でおんの見つけて、チャンスや思て来たんやないの」
けらけらと笑う彼は相変わらず真意が読めない面を張りつけていた。百年前はもう少しかわいかったんだけどな、と、初めて彼と会ったときのことを考えながら、史帆は肩をすくめる。
「隊首会は終わったんですか?」
「終わらざるをえんよ、こんなことなってしもたんやから。ボクとしてはええタイミングで警報が鳴ってくれて助かったんやけど」
市丸の言葉の意味がわからず、史帆は首を傾げた。それを見てまた面白そうに口角を上げては、続ける。
「隊首会でえらい怒られててん、ボク。やから中断してくれて助かったわぁ」
「怒られた?」
「うん。ちょっと前に旅禍を取り逃がしてしもて」
「へえ……」
彼の言葉に、史帆はわずかに違和感を感じた。市丸ほどの実力者が、たとえ偶然でも、果たして旅禍を取り逃すものだろうか。市丸がどれだけ強いかは史帆もよくわかっている。
そう。よく、わかっているのだ。だって、彼は、藍染の。
「……そんな怖い顔せんといて」
眉尻を下げて、困ったように笑う市丸を数秒見つめて、史帆は諦めたように視線をそらした。彼をつついたところでどうせ何も出ない。藍染と同じだ。
「これでも反省しとるんやって」
「何を?」
食い気味に鋭く問いかけた史帆に、市丸は一拍置いて、「堪忍や」とだけ言った。
「やっぱりよう似てはるわ、自分ら」
「え?」
「藍染隊長。さっき隊首会でボクえらい詰められてん」
怖かったわあ、と溜息を吐く彼が本当は何を考えているのかが、史帆にはわからない。史帆の中では市丸はすでに藍染の仲間だと認識されていた。確証がないにせよ、百年前の事件でタイミングよく三席として入隊した彼に、藍染の意思が何も関与していなかったとは思えない。
「それは珍しいですね。てっきり、藍染隊長とはずいぶん仲良しでいらっしゃるのかと思ってました」
皮肉を込めてそう言うと、市丸は肩をすくめる。
「史帆さん、ずっと勘違いしてはるみたいやけど、ボク、あの人のこと嫌いなんやで」
黙ったまま、訝しむように自分を見つめる視線に、彼の笑みが少しだけ変わる。能面のようなかわいた笑みから、少しだけ。
「ほんまやよ」
それは、先ほどまでよりもほんのわずか、頼りどころを無くした幼子の言葉のように、史帆には聞こえた。風に白い羽織をはためかせる彼が、百年前、まだ副官章すらも身に着けていなかった小さな子どもの姿に一瞬だけだぶる。
「……そう」
史帆のつぶやきに、市丸はもう何も言わなかった。彼の心中が、史帆にはわからない。この先も、もしかしたら彼が死ぬその瞬間まで、自分には明かされないのかもしれない。そう思った。