突然後ろに現れた霊圧に驚いて振り返ると、そこには先ほど五番隊隊舎で働く姿を見かけたばかりの藍染が立っていた。やはり杞憂だったと自室に戻ろうとしていた矢先だから、一体何事かと考えた瞬間、彼の腕に抱き上げられた女性の姿を見て京楽は目を見開く。
「惣右介くん、これは一体」
彼の腕に抱かれているのは、まぎれもない、数刻前に部屋に戻るように言いつけたはずの部下だった。気を失っているのか、だらりと垂れた腕にも足にも、力が入っている様子はない。顔は血の気が感じられないほど真っ白だった。
突然すみません、と断る彼の声は、珍しく少し焦っているようだった。
「先ほど五番隊隊舎で、倒れている彼女を発見して。とにかく保護が優先だと連れてきてしまったのですが、まず京楽隊長にお知らせするべきだと思い直して、参りました」
突然の事態に戸惑いながらも、明快に説明してみせる藍染はやはり藍染らしかった。頷きながら、京楽は気絶している史帆に視線を遣る。ぱっと見ただけだからなんとも言えないが、外傷はなさそうだ。
「待って、五番隊隊舎って言った?」
「はい」
なぜ。京楽は半ば怒鳴るように、心の中でそうつぶやく。部屋に戻れと、そう言ったのに。
しかし、五番隊が危険かもしれないというのは、今京楽の目の前で、史帆を抱えてそれを報告している藍染惣右介を危険分子だと考えた場合の話だ。先ほど隊舎で働いていた姿も、今目の前で史帆を抱えて眉をひそめている姿も、やはりおかしな点はない。
ならば一体どうして、史帆は五番隊で倒れていたのだろう。
たとえ藍染に後ろ暗いところがあったとしても、自分の隊舎でいつも通り働いていただけの彼が、わざわざ彼女に危害を加える利はない。
史帆の額に触れて、そこに体温があることにどこかほっとしながら、京楽は霊圧の残滓を探る。しかしわかるのは、鬼道に類する何かしらの術、おそらく白伏、が使われた痕跡があることくらいで、その術者の霊圧は微塵も残っていなかった。あまりにも見事だ。白伏を使えば、普通はしばらくの間使用者の霊圧が残る。長年隊長をやっている京楽でも、ここまで見事な術はかけられまい。
藍染は黙って京楽の指示を待っている。ひとまず四番隊に、と言いかけて、今ちょうど緊急事態でばたついているかもしれないと気付き、言葉を止めた。今ちょうど隊長格が現地調査に行っているから、彼らが帰ってきたら、四番隊の救護が必要になる可能性も十分にある。開けられるなら、病床は開けておくべきだろう。四番隊のベッドはそれほど数がない。
「……部屋で休ませてあげて。あと、四番隊から点滴借りよう」
「はい」
しっかりと返事をして、藍染は史帆を抱えたまま京楽に一礼し、踵を返す。その背中を数秒じっと見て、ふと、彼の左腕にあるはずのものがないことに気が付いた。
「惣右介くん」
「何でしょう」
青年は立ち止まり、律儀に振り返った。
「君、副官章どうしたの」
一瞬、風が強く吹き付けた。藍染の死覇装の裾が、京楽の羽織が、音を立ててはためく。
ああ、とつぶやく藍染の声は、変わらず落ち着いていた。
「つけたつもりだったんですが、……部屋に忘れてしまったかもしれません」
「さっき会ったときはつけてたじゃない」
京楽の言葉に、藍染は首を傾げることもせず、そうでしたっけ、とつぶやいた。
「じゃあ、どこかで落としてしまったのかもしれませんね」
藍染はずいぶんあっさりとそう言った。副官章ほど大事なものを落としたとなればもっと慌てて然るべきだが、まるで初めからそれを知っていたみたいに、平然とそう言ってのけた。
そのあまりの冷静さに京楽が返答に窮した一瞬のうちに、それでは、とだけ言い残して、藍染は史帆ごと姿を消した。瞬歩で去る彼を、一瞬追おうかと思ったけれど、すでに彼の痕跡は無く、後を追うことはできそうになかった。