理解できないことだらけだった。
駆けつけた現場には同じ隊長の拳西がまるで虚のような仮面をつけ、理性を失い暴れ、かろうじて助けたと思ったひよ里まで、平子を攻撃しては仮面に呑まれた顔で獣じみた咆哮をあげる。ともに任務を受けてこの場へ来た隊長各全員が、平子同様に、ただ進行するおぞましい事態になすすべなく地に倒れ伏したのだ。
何が起きている。何が起きている。
しかしその混乱下にあっても、その場に藍染が姿を表したとき、平子は驚きはしなかった。むしろ、一つの謎が解けたくらいの感覚でいた。
この男だ。やはり、この男が黒幕なのだ。
「俺はお前をずっと怪しいと、危険やと思っとった」
腹から地に倒れたまま、低くうなるように吐き出される平子の言葉を、藍染は穏やかに聞いている。
「しゃあから俺は、お前を五番隊の副隊長に選んだ。お前を監視するためにや」
藍染のほほえみは崩れない。ずいぶんと長い間一緒にいたのに、見たこともないほどにその表情は冷酷だった。眼鏡の奥で、普段と変わらぬ様子で目を細めて、その口角をわずかにあげる。
「僕だけではないでしょう?」
その言葉には余裕があり、自信があり、自分が勝者だと信じて疑わない傲慢さがある。
「四谷史帆。あなたは彼女のことも疑っていたはずだ」
「……」
「危険分子と警戒するにはぬるい。しかし何一つ後ろ暗いところがないとするには、彼女はいささか僕と近すぎた」
平子は唇を噛み締めた。この場に立っているのは藍染、そしてその部下と思われる東仙要と市丸ギンの三人だけだ。四谷史帆の姿はおろか、霊圧さえもそばには見当たらない。
「残念でしたね」
「何がや」
そっと勝ち誇ったように溜息を吐く藍染に、平子は噛みつくようにさえぎった。
「四谷が裏切り者ちゃうかった。それの何が残念やねん」
「わかりませんか。今あなたがそこに倒れているのは、あなたが四谷史帆に対する判断を誤ったからだということが」
藍染の言葉の意味がわからず、平子は眉を寄せる。そんな平子をじっと見て、藍染は肩をすくめた。
「やはり気付いてはいなかったんですね」
「しゃあから何がや言うとんねん!」
「この一か月、あなたの後ろを歩いていたのが、僕ではなかったと」
一瞬視界が眩んだ。心臓が激しく鳴り打ち、めまいがする。この男は今何を言った?
明確に動揺を見せた平子に、藍染は淡々と、しかしそのかげに巨大な自尊心をのぞかせて、その力の説明をする。鏡花水月。完全催眠、あらゆる事象を誤認させるという、化け物じみた能力を、滔々と、自慢げに、平子に説明してみせる。
「僕の身代わりをさせた男には、普段の僕の、ほかの隊士に対する受け答えや、行動のパターンをすべて完璧に記憶させました。しかしそれでも、あなたたちには二つ、それを見破れる可能性があった」
抜いた刀を鞘にしまいながら、まるで教科書を読む教師のような口ぶりで、藍染はしゃべり続ける。
「平子隊長。もしもあなたが、他の隊長が副官に対するそれと同じように僕に接していたのなら、あるいは見抜くことができたかもしれません。……でも、あなたはそうしなかった」
藍染を警戒するあまり、常に一定の距離を置き、けして心を許さず、立ち入ることも立ち入らせることもしなかった。まさしく藍染の言う通りだ。平子は藍染を理解しない。理解することのないようにしていたのだ。
悔恨の念に歯を食いしばる平子を、藍染は愉快げに見つめている。
「そして、二つ目の可能性が、四谷史帆。僕をよく知りよく理解する彼女が、もしもまだ五番隊にいたのなら、きっと間に合っていたことでしょう」
八番隊で上位席官が一度に複数人欠けたあのとき、五番隊から史帆を移籍させることを提案したのは藍染だ。そして平子はそれを受け入れた。藍染と史帆が万が一つながっているのなら、離しておくに越したことはないと。
そして新しく三席になった男が死んだとき、もしも藍染が黒幕だったなら、史帆はわざと事件に巻き込まれないように遠くへ離されたのだと、ただそれだけだとばかり思っていた。
何にせよ、と藍染が、変わらぬ口調で続ける。
「お分かりですか。あなたは自ら僕と距離を置き、彼女を僕から遠ざける提案も受け入れた。結果的に、残されていた可能性をすべて、あなた自身が潰したんです、平子隊長」
藍染の声は、まるで一仕事終えたような、もう平子との水面下での探り合いは自分の勝ちで完結したのだとでもいうような、そんな響きだった。
「本当に動きやすかった。あなたが、僕も、何の罪もない彼女さえ、少しも信用しなかったおかげで」
湧き上がるように腹の底から怒りを感じ、平子はほとんど反射的に、刀を握って藍染に斬りかかった。しかし、その刃が藍染に届くより先に、身体の内側から異物が膨張して血肉が押しつぶされるような痛みを感じ、全身が硬直する。握力を失った手のひらから刀が落ち、口から、目から、呼吸さえも押しのけて、溶けた骨のような何かがどろどろと溢れていく。
揺らぐ視界で、藍染が何かをつぶやいた。そして斬魄刀を抜き、高々と掲げる。
今にも下ろされようとするギロチンの刃。しかし平子はその場から一歩として動けない。
「さようなら」
――あなたたちは、素晴らしい材料だった。
靄がかっていく思考が最後、その言葉を聞き取る。悲鳴にも似た痛恨の叫び声をあげた直後、あふれ出る何かに、脳が、意識が溶けていった。