激しくがなり立てる鐘の音が聞こえた。
久々の有給で惰眠をむさぼっていた史帆は、突如として響き渡ったその音に布団を跳ねのけて飛び起きた。あたたかな眠りの世界にあった意識があまりにも急激に引き上げられて、心臓が激しく鼓動している。
やがて、遠くからひどく焦ったような放送が届く。
『緊急警報、緊急警報。九番隊隊長六車拳西、副隊長久南白の霊圧消失。ただいまより緊急隊首会を執り行います、各隊の隊長は至急……』
霊圧消失、という単語に、史帆の脳は自然と、あの夜の事件を思い出していた。血だまりに伏せる友人の死体。それを見下ろす幼馴染。
惣右介だ。惣右介を探さなければ。
すぐに死覇装に着替え、斬魄刀を持って、八番隊の隊士寮から出る。瀞霊廷全体に霊圧の探知をかけるも、幼馴染の霊圧は見つからなかった。こうなったら足で探すしかない。五番隊隊舎まで瞬歩で飛ぼうとしたその瞬間、平子と京楽が自分に向けていた、あの疑うような視線を思い出して、足を止めた。
自分は上に信用されていない。それが、誰のせいなのか、史帆にはわからないけれど。
もしも、タイミングよくあの子どもが五番隊の三席に着任したように、史帆が周りに疑われていることにも、その元凶となった誰かがいるとしたら。ここで史帆が独断に基づいて行動するのは、その者の思うつぼではないか? 勝手な行動を容認してもらえるほど、今の史帆は周囲の信頼を勝ち取っていない。
悩んだ末に、史帆は八番隊の執務室へ足を向けた。京楽は隊首会でいないにしても、リサがいたら、と思ったのだが、そこには何人かの席官がいるだけで、彼女の姿はない。史帆がやってきたことに驚いた様子の隊士たちに、副隊長はと問うと、わからないという返答だった。こんなときに、間が悪いと史帆は唇を噛む。
本来ならば、別段自分の出る幕ではないことはわかっている。他隊の隊長が原因不明の失踪を遂げたとしても、一席官がどうこうでしゃばる話ではない。必要なら京楽から指示が下るのだから、おとなしく待っていればいい。それだけの話だ。
しかし、史帆は自分でも不思議なくらい、それができなかった。
血まみれの三席の死体と、それを見下ろす冷え切った表情の幼馴染。その光景が、その記憶が、史帆におとなしく待つことをどうしても許させない。
このままここにいても仕方ないので、席官たちに礼を言って退室し、廊下で一人立ち止まって、この先の動きを考えた。
藍染を探し、何か知っているのかと問いたい。答えてくれるかはわからないが、それがおそらく最も真実に近づける道だ。
そもそも、史帆がこんなにも焦っているのだって、あの幼馴染が事件に関与しているかもしれないと思っているからだ。
しかし勝手な行動をして、史帆自身が誰かもわからぬ一連の首謀者の思うがままになってもいけない。そのためには京楽かリサにあって、もうすべてを打ち明けるしかない。
瀞霊廷に再度探知をかけると、京楽の霊圧は隊首会が行われているであろう一番隊の会議室にあった。念のため自身の霊圧を抑えてから、史帆はその部屋へと向かう。たかが一席官が隊首会に入れてもらえるわけはないが、会を終えて出てくる京楽を捕まえられたらそれで十分だ。
道すがら、隊舎の庭に、青白い月が光を落としているのを史帆は見つける。そういえば、史帆が五番隊を去ってから、ソウスケはちゃんと誰かに餌をもらっているのだろうかと、そんな今考えても仕方のないことをぼんやり思った。
やがて、一か所に集積していた隊長格の霊圧が散り散りになる。半分ほどが一気に姿を消し、半分ほどはゆっくりと、歩くように動いているようだ。京楽の霊圧が後者にあることを察知しつつ、史帆はその霊圧を追って歩く。
まもなく、隊舎と隊舎をつなぐ広い廊下で派手な羽織の背中を捕まえた。京楽隊長、と声をかけると、彼は編み笠をつまみながらゆっくりと振り返る。
「史帆ちゃん、どうしたの。君今日お休みじゃない」
その声は困惑していた。わからないのはこっちだ、と言いたくなるのをこらえて、史帆はわずかに上がった息を悟られないように、努めて落ち着いて、口を開く。
「あの、京楽隊長。私、藍染副隊長に会いたいんです」
「え?」
「もしかしたら、彼が今回の一連の事件に関わってるのかもしれなくて」
「ちょっと、落ち着きなさい。惣右介くんって、君……」
焦って意味のわからない伝え方をしている自覚はあったが、京楽はしかし、言葉の意図がわからないというよりは、もっと別のところに混乱している様子だった。
「史帆ちゃん、君、今、藍染副隊長が事件に関わってるかもしれないって言った?」
ひとことひとこと、しっかり確認しあうように、京楽はゆっくりとそう尋ねた。ためらうことなく頷いて、史帆はまた言葉を続ける。
「京楽隊長、私のこと信用してくださってませんでしたよね」
「……」
「その理由、一つ考えたんです。もしかして、私を八番隊に移籍させたの、藍染副隊長なんじゃないんですか」
それはずっと気になっていたことだった。史帆が今まで聞いた話を信じるなら、それは京楽であるはずなのだ。
にもかかわらず、京楽もリサも、全く史帆を信用していない。ただ席官の穴を埋めるために、他隊から異動させたというには、いささか向けられる視線に警戒がにじみすぎている。
だとしたら、本当は、別の誰かがそれを提案したのではないだろうか。
史帆は、その提案者が、もしかしたら藍染だったのではないだろうかと、ずっと思っていた。三席が殺されて、新しくあの子どもが入ったと聞いたときから。
「京楽隊長も、彼が何か怪しいって思ったから、彼がここに異動させた私のことを、警戒していらっしゃったんじゃないですか」
笠に影を落とされた双眸が、容赦なく探るような視線でもって、史帆を貫く。じとり、背中に汗が伝うのを感じながら、史帆はそれでも目を逸らさずに京楽の言葉を待った。
空気が張り詰める。口の中がひどく乾いていく。
やがて、数分にも感じられた沈黙は、京楽の小さな溜息によって破られた。実際は数秒でしかなかったはずなのに、身体が驚くほどに疲弊していた。
「……大したもんだね。平子隊長に聞いてた通り、ずいぶんと聡明だ」
吐き出された声に、警戒はない。
「全部あってるよ、史帆ちゃん。君の言う通り、藍染副隊長が君の移隊を提案したんだ」
「……そうですか」
自分で言っておきながら、しかしそれを肯定されるのはつらかった。つまり、三席の死は、やはり自分が、あるいは自分を渦中から外そうとした藍染がもたらしたものだ。
「惣右介くんを警戒してたのは、正確には僕じゃなくて平子隊長だよ。惣右介くんから、史帆ちゃんを八番隊に遣ったらどうか、って提案されて、彼も結構悩んだみたいだけど、君と惣右介くんがもし手を組んで何か悪いこと企んでるんだったら離すに越したことはないからね、それで了承したんだって」
史帆が藍染の関与の可能性に言及したことで信用したのか、とたんにあっさりと話し始めた京楽に、史帆は少し面くらいながらも頷いた。平子からそれを聞いていたからこそ、京楽も史帆を警戒していたのだろう。
「でも、君の口ぶりからして、君はきっと本当に何も関係なかったんだろうな。疑ってごめんね。お詫びに今度、何か御馳走するよ」
「は、はあ……」
呑気だ。先ほど緊急警報による隊首会を終えた直後だとはとても思えない。
「で、ええと、そうそう、君は惣右介くんに会う許可がほしくてここに来たんだっけ」
うーん、と考えるように顎に手を当てて、京楽が数秒黙考する。
「じゃあ、僕が行ってくるよ」
「え?」
「僕自身、彼が少しだけ気になってはいたんだ。うん、僕が行こう。史帆ちゃんに何か会っても困るしね」
あの、と口を挟もうとしたが、そのとき京楽が史帆の頭を撫でたので、史帆は言葉を止めた。嫌疑を無くした京楽の笑みが優しくて、自分はやっと信用してもらえたのだと、無意識に胸を撫でおろしていることに気付く。
「そんな不安そうな顔しないの。大丈夫、惣右介くんはきっと悪くないさ。それを確かめてくるだけだから」
「……はい」
「部屋で休んでなさい。気付いてないかもしれないけど、ずいぶんと疲れた顔してるよ」
言われ、思わず自分の頬に手を伸ばす。緊急警報が鳴るまで寝ていたというのに、心身ともに疲れを感じているのはたしかに事実だった。でも、と口を挟もうとして、しかし自分を見つめる京楽の心配そうな顔に、これ以上何か言っても折れないだろうことを理解し、史帆は仕方なく頷いた。