それから数日して、五番隊第三席の死は虚の襲撃によるものだったと結論づけられた。実際にその様子を目撃した者はいないというのに、なぜそれが断定されたのか、史帆にはわからない。しかし、あの夜の藍染の氷のような声が、ほほえみが、史帆にそれ以上の追及を許さなかった。
彼が死んでまもなく、五番隊には新しく入隊した者が第三席に就いたらしい。そのことを史帆が聞いたのは、京楽に同伴して流魂街へと出かけていた昼下がり。三席の殺害から一週間ほどが経過したその日、前を歩く京楽がふいにそれを口にしたのである。五番隊に入った子どもが、いきなり三席になった、と。
「子ども、ですか?」
「そう。なんでも霊術院を一年で卒業した天才らしくて、配属決定のときは隊同士取り合いだったよ」
まだ子どもで護廷十三隊に入れるだなんて優秀には違いないが、しかし霊術院を一年で卒業するとは、史帆ですらかつて聞いたことのない偉業だ。何せあの幼馴染ですら、霊術院では三年の歳月を費やしている。それが目立つことを恐れた手抜きの結果であったにせよ。
将来有望な新入りを取り合う最中、ちょうど三席という上位席次が空いていた五番隊が、それを取っていったということだろうか。その切り替えの速さに少し寂しさを覚えながらも、組織としては仕方ないと史帆がひとり納得しかけたところで、しかし京楽の言葉がそれを阻んだ。
「でも、五番隊に入隊することが決まった直後に三席の彼が亡くなるだなんて、その新入りの子にしてみればずいぶんとタイミングが良いよね」
え、と史帆は思わずつぶやいた。入隊が決まった直後?
「彼が亡くなるより、その子が入ることが先に決まってたんですか?」
史帆の言葉に、京楽はあっけらかんと頷いた。史帆は少しだけ眉をひそめる。
先ほど京楽が言った通りだ。確かに、いくらなんでもタイミングが良すぎる。
編み笠をつまんで、砂の道を大股に歩く京楽の背中を少し後ろから追いながら、史帆はひとり思考した。深く考えるまでもない。きっと、三席が虚に殺されたのだという判断さえなければ、誰もが最初に考える可能性を思うと、ひどくおそろしかった。
その、新しく入った子どもを三席にするために、彼は殺されたのではないか。
ならば、本当は、殺されるはずだったのは、自分ではないのか?
わずかに顔をうつむけて歩む史帆に、ほんの少しだけ振り向いて視線を遣っていた京楽が、その目を細める。いたわる類の視線ではなかった。その意味も、史帆はわからない。
京楽も平子も、自分を警戒しているのだ。史帆はぼんやりとそう思う。あの仲の深い幼馴染でさえ、すべてを知った表情だけを彼女に見せ、しかしその本位を教えようとはしない。
史帆だけが何も知らないまま、しかし確かに史帆を取り巻いて、何かが動いているようだ。
「その、新しい三席の子、なんて言うんですか」
史帆の問いに、京楽が足を止めて目をまたたかせる。「知らないの」と、なぜか驚いたように言うので、史帆は困惑しながらも頷いた。他隊の新入隊士など知るはずがない。
京楽は何かを考えるように数秒沈黙した。そして口を開こうとしたそのとき、さえぎるように史帆の裾が何かに引っ張られる。え、と思って、引っ張られた方向に視線を向けると、輝くような銀髪をした少年が、史帆の死覇装を握っているのだった。
「市丸ギンやで」
「え?」
「せやから、名前」
そこでふと、史帆は少年が自分と同じ死覇装を身に着けていることに気が付く。護廷の隊士なのか。まさか、と思ったそのとき、道沿いの茶屋から出てきた一人の男が、苦笑しながら歩み寄ってきた。
「これはこれは、京楽隊長に四谷くん、ご苦労様です」
「惣右介くん、奇遇だねえ。ご苦労様」
京楽に一礼して、彼は手に持っていたみたらし団子を少年に差し出す。どうやら少年のために買ってきてあげたらしい。
先の夜の件もあって、少し話すのが怖い気持ちはあったが、彼の雰囲気はいつも護廷十三隊に見せる穏やかで柔和な態度そのものだった。史帆はおそるおそる声をかけた。
「あの、藍染副隊長、もしかしてこの子が?」
「ああ、うちの新しい三席だ」
団子を受け取って顔を輝かせたギンは、幸せそうに団子をかじる。お腹がすいていたのか、ばくばくと早食いしては口の周りをみたらしのたれでべとべとに汚すので、それを見咎めた上司が「ギン、ゆっくり食べなさい」と注意すると、口を尖らせた。
子どもとはいえ、まさかこんなにも幼いだなんて。かわいらしくおやつに喜ぶギンをじっと見ていると、ふとギンが何かを思い出したようにぱっと顔をあげ、史帆を見た。史帆の死覇装を掴んで、なあ、と、独特の訛りで声をかける。
「お姉さんが史帆ちゃんなん?」
「え、うん、そうだよ。八番隊の四谷史帆です」
突然名前を呼ばれたことに少しだけ驚きながら、史帆はギンと目線を合わせるようにしゃがむ。目の高さが同じになると、太陽に照らされた彼の銀髪が一部分だけ虹色に輝いて見えて、ちょっとびっくりするくらい綺麗だ。
「藍染副隊長のおさ、おさなじみや」
「幼馴染、ね」
「おさなじみ!」
「おさななじみ」
どうしても正しく発音できないらしい少年に、思わず笑いがこぼれた。ほほえましい。
こんなに愛らしい子どもが、三席を殺すことなんて、あるのだろうか。藍染の猫かぶりを知っているから、人を第一印象で判断してはいけないのだとわかってはいるけれど、しかしそうだったとしても、この子どもに裏の顔があるだなんて到底思えない。
「史帆ちゃんと藍染副隊長はどっちが強いん?」
「はは、どっちかなあ」
悪戯っぽく笑って、史帆はちらりと、ギンの後ろに立つ男に視線をよこす。何かしら口をはさんでくるに違いないと思ったのだが、意外にも彼は肩をすくめただけで何も言わなかった。あれ、と史帆は思う。いつもの彼なら絶対に、憎まれ口を叩いてくるはずなのだが。
ほんの些細な違和感に首を傾げながら、ギンの頭を撫でていると、京楽が後ろでふと口を開いた。
「平子隊長はいらっしゃらないの?」
「今日はご出張でして」
簡潔に答えた副官に、一拍おいてから、ふうん、とつぶやく。
「五番隊も色々あって大変そうだね。ちゃんと休んでる? 大丈夫?」
「御心配ありがとうございます、京楽隊長。僕は大丈夫ですので」
「それは良かった。惣右介くんが倒れたりしたらいよいよことだから、あんまり無理しちゃだめだよ」
京楽の言葉に、男は薄く笑って、はい、と言った。
二人はこの後瀞霊廷に戻るというので、まだ用事の残っている京楽と史帆はその背中を見送った。大人が子どもの手を取って歩いているその姿は親子のようでかわいらしいのだが、史帆は妙な気持ち悪さとともに、彼の後ろ姿をじっと眺めていた。先ほど感じた幼馴染への違和感が、喉に刺さった小骨のように、まだ胸に残っている。
「さすがに少しお疲れみたいだね、惣右介くんも」
京楽の言葉に、史帆はそうですね、とつぶやく。疲れていたから、先ほども少しだけ様子が変だったのだろうか。そうと言われればそうな気もする。
行こうか、と言われ、はいと返事をして、彼らとは逆の方向へ歩を進める。京楽の斜め後ろに控えて、ふと、何とはなしにもう一度、後ろを振り向いたとき。
瞬きの合間のほんの一瞬だけ、もう離れて小さくなったその姿が、幼馴染とは全くの別人に変わった。驚愕に息を飲む。しかしその次の瞬間、気付けば、やはり少年の手を引いているのはあの幼馴染の姿に戻っていた。
足を止めた史帆に、京楽も数秒遅れて気が付いて、足を止める。「史帆ちゃん?」と呼ぶ声が、どこか遠い。
「どうかしたのかい?」
「……さっきの人」
「うん」
「……ほんとに、藍染副隊長、でしたよね」
史帆の科白に、京楽は訝しげに首を傾げた。何を言ってるんだとでもいうような表情で頷くから、史帆は気のせいだと自答して、視線を前に戻した。
きっと自分は疲れているのだ。隊も異動して、仲の良かった友人が一人殺されて、幼馴染には冷たい顔をされて。疲れているに違いない。だからおかしなものを見るのだ。
けれど、きっとそうだとわかっていても、史帆はどうしても、もう一度彼らの背中を振り向くことができなかった。