組織において異動がよくあることとはいえ、やはりいざそれが起こると、新しい環境に慣れるのが大変であることは事実だった。しかも護廷十三隊は、各自所属する隊ごとに居住する棟が異なるから、史帆のように隊をまたいで異動が起こると、生活していた部屋まで動かさなければならない。いわゆる、引っ越しである。
とはいえ史帆は隊長格ではないから、部屋も平隊士としてのそれであり、私物はそれほど多くない。備え付けの机や布団はそのままでいいから、運び出さなくてはいけないのは私用の衣類と、大量に部屋に積んであった本である。衣類はともかく本は重量がかさむから、新しく三席となった彼や藍染が手伝いを申し出てくれたのだが、仕事に忙しい彼らの時間を奪ってしまうのも申し訳なくて、史帆は丁重に断っていた。
しかし、いざ見てみると――本の群れが詰められた合計三つの段ボールを前にして、史帆は一人頭を抱えた。箱自体は小ぶりだが、史帆の腕力だと一度に一つしか運べないから、これでは新しい部屋まで三回往復するはめになってしまう。
鬼道でなんとかできないだろうか、と、自分が楽する方法を真剣に考え始めたそのとき、少しだけ開けていた障子から室内に影が落ちた。
「あれ、四谷サン、スか?」
振り向けば、そこにはあのとき庭で猫とともに出会った男がいた。浦原さん、と言おうとして、しかし今彼が羽織っている白い羽織に気付き、あ、と思った。
「浦原、隊長」
「……なんかこそばゆいっスね。四谷サンにそう呼ばれると」
自分が隊長になるとは思わなかった、という顔で居心地悪そうに苦笑する。そういえば、史帆が隊長候補だという噂を伝えたのはほかでもないこの浦原だから、彼の立場からしたら確かに多少は気まずさがあるのかもしれない。「気にしないでください」と笑うと、浦原はほっとしたように小さく息を吐いて、部屋を覗き込んだ。もう小物はすべて運んでいて、残っているのは本をしまった三箱の段ボールのみだから構わないのだが、部屋を見られるのは少し気恥ずかしい。
「引っ越し中、ですか?」
「はい。昨日から八番隊に移籍しまして」
「あ、そうなんですか。それはまた、お疲れ様ッス」
そう言って頭を下げるので、史帆もお辞儀で返した。すでに隊長格だというのに、腰が低いことだ。
「僕もこの前引っ越ししたんですけど、大変っすよね」
「本当に。なんとか鬼道を応用して段ボール運べないかって、今考えてたところです」
肩を落とした史帆に、浦原が首を傾げた。
「それ運びたいんですか? 僕、手伝いましょうか」
「え、」
「今二番隊に忘れ物取りに来た帰りで、十二番隊に戻るところなんですけど、八番隊の隊士寮、通り道ですし」
それは魅力的な申し出だった。他隊の隊長の手をこんなことに煩わせるのは憚られたが、すでに浦原は部屋に入って、段ボールを一つ試しに持ち上げては、「僕これなら二つ持てますよ」などと言っている。隊長への礼儀と三往復の手間の削減とを天秤にかけて、結局図りは後者にふれた。
「じゃあ、あの、お願いしてもいいですか」
「いいっすよ。行きましょう」
快活に笑って、浦原は段ボールを二つ積み重ねて持ち上げた。中に入っているのは本だからそれなりの重さがあるはずだが、特につらそうな様子もない。見た目の印象に反して結構力持ちなのかもしれない。史帆も残った一つを抱え上げて、浦原とともに部屋を出た。
五番隊から八番隊の隊舎寮まではそれなりに距離がある。のんびりとその道を歩みながら、二人は他愛ない会話を交わした。浦原は隊長に就いてから、副官である少女との距離を測りかねていると、少しだけ悩ましげに言った。その少女を知らないのに何かを無責任に励ますことはできず、史帆は黙って、彼の言葉に耳を傾けては頷く。突然他隊から隊長がやってきたら自分だって戸惑うだろうから、その少女の気持ちもわかる。
「隊長って思ったよりも大変っす……」
「そうですか……でも、浦原さんは浦原さんですから」
史帆の言葉に、浦原は顔を上げて、不思議そうに史帆を見る。
「自由にやったらいいんじゃないですか? 平子隊長なんて、本当に好き勝手にやられてましたよ」
本人が聞いたらしっかり怒りそうだが、もう移籍した以上は直属の上司ではないのでいいだろうと思うことにする。
史帆の言葉に、浦原は少しだけ表情を緩め、ありがとうございます、と言った。手から滑り落ちそうになる段ボールを一度器用に持ち上げなおして、前を向く。
「しかし、四谷サンはまたどうして八番隊に移籍を?」
「八番隊の席官が一度に何人か亡くなったそうで、その補充みたいです」
「へえ。ソウスケくんがさみしがりそうっすね」
その名前が猫を指しているのだろうとはわかっていたが、しかし脳は勝手に寂しがる藍染惣右介を想像して、史帆は少しだけ愉快な気持ちになる。数日前の宴会の夜、実際彼は確かに、少しだけ悲しそうにふてくされていた。
「彼氏さんは怒らなかったんスか?」
と思ったら、今度は明確に人間の方を示してそんなことを言う。よくなされる勘違いにまたかと溜息を吐いた。
「藍染副隊長のこと言ってるなら、あの人は彼氏じゃないですよ。幼馴染です」
「あ、そうなんですか。ずいぶん仲良いんスねぇ」
嫌味ではなく、純粋に感嘆するような声色だった。自分と藍染の関わりを浦原が知っているとは思えず、どこからそう判断したのだろうと史帆が首を傾げると、浦原はそんな史帆の様子を見て、気にしないで下さいと首を横に振った。
「ただ、独占欲強いんだなぁと」
「……あの、ごめんなさい、何のお話をされてます?」
「僕が怖かったってだけです。気にしないでください」
言葉を聞けば聞くほどよくわからないので、史帆はそれ以上問うのをやめて、どこか納得できないながらも頷いた。気が付けば、八番隊士寮までもうすぐだった。