百名を超える隊士たちの前に立って、藍染が書類片手に、淡々と連絡を伝えていく。週に一度の全隊集会で、連絡事項を伝えるのはいつも副隊長である藍染の役目で、隊長である平子はそれを後ろで聞いているのだか聞いていないのだかわからないくらいの様子で立っているのが常だった。
今週五番隊に降ってきた討伐任務とその割り振りをいくつか読み上げた後で、藍染が書類をめくり、次に、と言う。
「事務連絡ですが、人事異動が二件。十二番隊に新しい隊長が就任される。名前は浦原喜助殿。正式には来週の月曜日からの着任となりますが、取り急ぎ」
その言葉に、隊がわずかにざわめいた。最前列で聞いていた史帆を除いて、他の席官たちもおそらくは多かれ少なかれ驚いていただろう。十二番隊の曳舟隊長が何らかの理由で隊長職を離れることは既に瀞霊廷でも多くの者が知っていて、なればこそ、史帆の噂が立ったように、その後釜として隊長に昇進する隊士は誰なのかというのが最近の専らの話の種だったのだから、当然だ。
この場においては、結論を一足先に知ってしまっている史帆がむしろ例外だった。
「浦原喜助って、たしか二番隊の席官だった人ですよね?」
隣の四席が小声で史帆に話しかける。ばれないように目線は前に向けたまま、史帆は曖昧に頷いた。浦原喜助が新隊長であることは、知らなかったふりをした方が丸いだろう。
「隠密機動からって、珍しい異動ですね。そんなにすごい方なんでしょうか」
「私一度会ったけど、のほほんとした人だったよ」
「のほほん……平子隊長みたいな?」
「平子隊長ってのほほんとしてる……?」
「そこ、静かに」
藍染にぴしゃりと注意され、史帆は四席とともに頭を下げて、口を噤んだ。こういうことが起こりやすいから、集会で前に並ばなくてはいけない席官という立場は面倒だと、史帆はたまに思う。
「二件目。四谷第三席が来週から八番隊第三席に移籍となる」
え、と、先ほどのざわめきよりも明らかに大きな声が上がった。大量の視線が一気に自分を向いた感覚に、史帆は背中にむずがゆさを覚える。藍染は変わらず冷静に、連絡事項を読み上げ続けた。
「それに伴って、第四席以降は各自一席繰り上げで昇格となるので、覚えておくように」
どこかから、左遷?とつぶやく声がした。タイミング悪く、藍染が言葉を切ったところだったせいで、きっと声の主が意図したよりも大きくその言葉が部屋に響き、嫌な沈黙が場を包む。人生でも五本指に入る気まずさを覚えて、どうしようかと史帆が考えあぐねたそのとき、藍染が大きく息を吐いた。
「他隊第三席への異動が左遷とは随分手厳しいな。そう言う君はさぞかし優秀なのだろうね?」
藍染は確かにほほえんでいたが、その目は全くもって笑っておらず、むしろ視線の冷たさは背筋に汗を流させるほどだった。先ほどの発言者らしき男がひどく慌てた様子で「申し訳ありません」と謝罪する。
藍染の奥で面倒くさそうに立っていた平子が、溜息を吐いた。
「惣右介、ンな怒んなや」
「怒っているわけではありませんが」
ポケットに手を突っ込んだまま数歩前に進んで、平子は藍染の隣に立つ。最前列にいる史帆と一度目を合わせてから、ぐるりと隊士を見回して、口を開いた。
「本人には言うたけど、八番隊で上位席官が一気に何人か欠けてな。うちから誰か一人優秀なやつを出すゆうて隊首会で決まったんや。やから全員、変な邪推しなや」
なあ史帆ちゃん、と平子が史帆に目を向ける。まだ微妙な空気の漂う部屋に、どこかいたたまれなさを感じながら、史帆は肩をすくめて苦笑した。
「嫌だ!」
全隊集会その日の夜。
誰からともなく突如として企画された飲み会で、へべれけになった四席が大きく叫ぶ。持っていた酒瓶を乱暴に畳にぶつけて、アルコールで紅潮させた頬をぐっと食いしばっている。甘味の強い果実酒をゆっくりと飲んでいた史帆は、既に騒がしい場にもひときわ大きく響き渡った彼の声にぽかんと目を瞬かせた。
「何が?」
「あなたが五番隊からいなくなるなんて嫌だ!」
普段は穏やかで落ち着いた雰囲気の男が変わり果て、駄々っ子のように文句を言っているのが面白くて、史帆は思わず吹き出してしまう。それを見た四席がまたまなじりを吊り上げて、「何笑ってんですか!」と声を荒げた。
「いいじゃない。みんなも結果的に昇進だし」
「よくないですよ! 今まで五番隊支えてきたのは誰だと思ってるんですか!」
「藍染副隊長じゃないの?」
「副隊長は除いてです!」
史帆はまた耐えきれず、「ずる」と笑いを零した。そしてまた果実酒のグラスを傾けたところで、側で飲んでいた六席が、史帆の肩に手をおいて、妙に間延びした口調でその名を呼んだ。こちらもそこそこ酔っているらしい。
「ねえ史帆さん、折角だから最後に教えてくださいよぉ」
「何が?」
「藍染副隊長とのことですよ!」
「またそれ? あなたたち、本当にその話好きだね……」
「今日だって全隊会で藍染副隊長怒ってたじゃないですかあ、史帆さんのために」
「怒ってないって本人が言ってたじゃない」
「怒ってたでしょ! 私関係なかったですけどめっちゃ怖かったですもん。普段穏やかな人が怒ると怖いですよねえ」
「嫌だ! 僕は聞きたくない! 藍染副隊長と史帆さんの話なんて聞きたくない!」
ほとんど寝転がるように畳の上に倒れ、拳で床を叩く四席に、六席が「あら」と口を覆う。隠される前の口元は面白がって歪んでいた。
「もしかして、史帆さんのこと狙ってました? 無茶ですって、あんなスペック高い彼氏がもういらっしゃるんだから」
「彼氏じゃないってば!」
「そりゃあ、史帆さんなら彼氏一人なんて言わずに二人や三人や四人や五人いたっておかしくないけど」
「どういうイメージもたれてるの、私」
「史帆さん、藍染副隊長とはいつから付き合ってるんですか?」
「だからさあ、」
酔っ払いたち相手にむきになって反論しようとしたそのとき、襖が開いた。ふと動くものを見つけた猫のように、その場にいた隊士たちが一斉にそちらを見ると、呆れた顔で噂の人物が立っているのだった。あまりの間の悪さに、史帆はいっそ頭痛がしてきた。
「君たち、いつまで騒いでるんだ。もう夜中だよ」
「藍染副隊長! 良いところに! ぜひ真相を聞かせて下さい!」
藍染は溜息を吐き、「また今度ね」と酔っ払いたちをいなして部屋へと踏み入る。空の酒瓶やらつまみの袋やらが散らばった凄惨な状況に眉をひそめながら、史帆の側まで歩み寄る。
「史帆、ちょっといいかい」
ゆるやかに、穏やかに、吐き出された言葉に、部屋が一瞬で静まり返った。どうしてこうなる。
「どうしたの」
いくら無礼講とはいえ他の隊士たちの前だったのに、敬語が解けたことに後から気が付いて、史帆も存外、自分が動揺していたらしいことを知る。
しかし藍染は、史帆の問いには答えず、チーズをつまもうとしていた史帆の腕を掴んで、半ば強引に引っ張り上げた。されるがままに立ち上がり、そのまま部屋を出ていこうとする藍染についていかざるを得なくなり、「ちょっと、惣右介」と声が漏れる。きゃあ、と甲高い悲鳴のような歓声が聞こえた。
部屋を出る間際、史帆の腕を掴んだまま、藍染が部屋に残る隊士たちににっこりと笑いかける。
「すまない、主役を少し借りるよ」
どうぞ、と高らかに叫んだ六席を、襖が閉まるその瞬間まで史帆は精一杯の恨みをもって睨みつけた。ちくしょう、覚えてろ。
襖を閉めて、藍染に連れられるがまま部屋から離れていく最中、聞き覚えのある酔っ払いが泣き崩れる声が聞こえた気がしたが、史帆はそれどころではない。
「ねえ、惣右介」
「……」
「惣右介?」
やがて、部屋から数分歩いたところで立ち止まり、藍染が振り返る。深夜の廊下は静まり返っていて、思いのほか声がよく響いた。
「案外、へこんでないんだね」
「移籍のこと? 別に、異動なんてよくあることじゃない」
史帆がそう言うと、藍染は目を細め、小さく息を吐く。
「もう少し悲しむかと思ったけど」
「ご期待に添えなくてごめんね」
藍染が肩をすくめる。そのどこか残念がるような表情が新鮮だった。からかう気持ちで、下からその顔を覗き込むようにして笑った。
「もしかして、悲しいのはあなたの方だったり?」
「……どうだろうね」
瞬間、掴まれたままだった腕を引き寄せられ、建物の壁に押し付けられる。この状況、前読んだ小説に出てきたな、と目の前の現実から逃避しようとする史帆だが、目の前に迫った幼馴染の顔が、そこに浮かんだほほえみがどこか色めいた含みを持っているように見えて、我に返る。そういえばこの幼馴染、顔が整っているんだったな、なんてことも思っている場合ではない。
「惣右介、ちょっと、まって、……――!」
無残にも返事はなく、男の顔が近づくだけだった。反射的に瞳を閉じて、来たるべき衝撃を、暴れる心臓とともに待った。
しかし、次に史帆が認識したのは、耳元でくすくすと笑う男の声だった。目をあけると、男の顔が離れていき、伸ばされた手の甲が、ほんの少しだけ頬に触れる。触れた体温が思いのほか冷たくて、ふと、熱を持っているのは自分だということに気が付く。
「そこまで期待されると、男としては答えたいところだけれど、」
へ、と間抜けた声が零れる。藍染は相変わらず意地の悪い笑みを浮かべながら、目線だけで、たった今二人が通ってきた廊下を示す。その視線につられるがままにそちらを見遣って、史帆はまた絶句した。
「見世物にされるのもかわいそうだからね」
そこには柱の影に隠れるようにして、二人を覗き見る五番隊の隊士たちの姿があった。六席は目を輝かせ、四席は滝のように涙を流している。
我に返った史帆が、ほとんど悲鳴のように「ばかぁ!」と叫んだ声は、まもなく夜明けを迎える五番隊舎に広く響き渡っていった。