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11


―関係ない、はずだったんだけどなあ…





 雅は、観ていた。

 場所は人が溢れかえる体育館。
 使用目的は、先日決まった劇の練習だ。
 雅はスパナと正一の機転により主役からは逃れたものの、結局は校内のくじ引きで他の役に組み込まれてしまった。

 といっても、当たったのは始めのパーティーシーンで適当に一言二言喋るだけの役だ。
 こんなものぶっつけ本番で充分事足りるとも思うが、一応初回ということで、役者は全員集合らしい。



「…はあ」



 大きな溜め息を溢すなり、いけないいけないと慌てて右手で口を覆った。
 雅の望む平穏の為には、『彼女』の怒りに触れるような事も厳禁だ。
 しかしその彼女こそが今の憂鬱な気分を造り出しているのだから、目の当てようもない。
 
 心底げっそりしながら、ステージ上に視線を向けた。



「何回言ったら分かるんです!?そんな下手な演技認められません!私と骸様の晴れ舞台を台無しにするつもり!?」



 緩いウェーブのかかった茶髪を振り回して台本片手に叫ぶ少女。

 密かなる雅の身代わりとして劇の主役の座を勝ち取った、骸の相手役である花園河南だ。
 誰が見ても美少女と答えるであろうその容姿だけなら、ジュリエットそのもの。
 しかし富と権力があるだけに、少々お嬢様気質な面が目立ってしまっている。

 骸が来る一時間前に練習を始めようと、早めに集合をかけたのも彼女だった。
 その心意気だけならば雅も評価するのだが、練習を開始してから早45分。
 未だに劇らしい進みは一つもない。



「っもう、こんな素人ばかりじゃ話になりません!プロの演劇団の方々を雇った方がいいんじゃないかしら」



 いやいやそれは最早学園祭の出し物じゃないから。

 ハハハと空笑いを浮かべた雅は、ステージの中央で苛ただしげに足踏みをする花園に心中で突っ込んだ。
 花園を遠巻きに見ている役者達も、恐らく同じ気持ちだろう。
 げっそりした表情があちらこちらに見え、苦笑を溢す。

 これが雅のような一般生徒であったなら、迷わず嫌がらせの対象になったであろう。
 才色兼備な彼女だからこそ、骸の相手役もこの振る舞いも許されるのだ。
 
 理由は何であれ、か弱い女の子が不可抗力に嫌がらせにあうところなど見たくはない。
 そんなどこぞやの紳士のようなことを考えながら、ふと天井に焦点を当てた雅は、微かに眉をしかめた。



「…ん?」



 瞳に捕らえた、異質なモノに首を捻る。
 ステージ上にチラつくそれは、明らかに電灯や照明といった類の物ではなかった。
 よく見ようと目を細めると同時に、ぐらりとそれが大きく傾き全貌を露わにする。



「は……?、!?」



 あまりにその場にそぐわぬ物品に思わず呆けるが、そこから零れ落ちようとする中身にギョッとした。
 反射的に落下位置に視線を落とせば、ツンとした態度の花園が佇んでいる。



「っ−!」



 女の子にすることじゃないでしょ…!

 あんまりな状況に、考えるまでもなく駆け出した。
 結構な人数がステージ下にいたため何人かとぶつかったが、構っている暇はない。



「花園さんそこから退いて!!」

「−え…?」



 いきなり叫ばれた自分の名前に彼女の顔がこちらを向くが、戸惑うばかりでその場から動く気配はなかった。
 そんな様子に軽く舌打ちした雅は、上着を脱ぎながら軽快な動きでステージ上に飛び乗る。

 一見大人しそうな彼女の突然の行動に、周りは唖然となった。
 そんなギャラリーを差し置いて、雅は脱いだ上着を花園に向かって放り投げる。



「きゃあ!?」



 見事に頭をすっぽり包んだそれに困惑する彼女の腕を、そのまま引き寄せた。



「っちょっと…、!?」



 一方的すぎるその行動に文句を言おうと花園が顔をあげようとするが、どこからこんな力が出てくるのか、華奢な腕は上着ごと彼女の頭を覆い込む。


 次の瞬間−、

 ぼとり。


 何かが上着を通して自分の頭に乗ったのが分かった。



「…え?」



 その場に零れたのは、誰の声だったか。
 “ソレ”が何か、第三者達に認識されるのに、数秒も必要としなかった。



「−っっきゃあぁああ!?」
「なにーーー!?」
「っやだぁあああ…!!!」
「うわぁああっ!?」



 一拍置いて、様々な絶叫がその空間を満たす。
 一気に遠ざかる人の気配。
 何が何だか分からないうちに、続けざまに、ボトボトと何かが落ちてきた。
 
 枷が外れたかのように雨のように降り注いだそれらの正体を理解したのは、自分を庇うように一緒に座り込んでいる雅のスカート上を這うモノを見てからだった。
 そのうねる長細い肢体は、一般的に好まれるものではない。



「っ…ひ!?」



―大量のミミズの群に、息が詰まった。

 悲鳴を上げることもままならず反射的に仰け反る身体を、そっと抑えられる。



「落ち着いて、動かないで」



 少し低めのソプラノが耳に届き、視線をあげれば冷静にニコリと微笑む女生徒の姿。
 ミミズの雨は止んだらしい。
 自分の制服につく虫もそっちのけで、花園に被せた上着からこぼれ落ちるミミズを彼女に付かないよう払いのけていく。



「あなた…、」



 関わったこともない雅の対応に戸惑った花園が口を開きかけるが、言葉が零れることはなかった。





−雅にとって、まさに最悪なタイミングで、その人物は登場した。





「−すいません、僕としたことが少々遅れてしまいました」

「骸様…!」



 響き渡った優雅な声に、動揺に満ちていた空気が色めき立つ。
 
 しまった、と後悔した時にはもう遅かった。
 雅に考える隙など与えず、舞台に視線を止めた骸は口元に笑みを湛えたまま、微かに眉を寄せる。



「おやおや…何やら穏やかではありませんね」



 ふぅと息を吐いて、人の目を奪うに申し分ない動きで雅達の方へと向かった。
 頬を染めた女生徒の熱い視線を受けながら舞台上に上がった骸は、座り込む二人と天井に目を向け、状況を把握する。
 上でカラカラと音を立てる銀色のバケツに、彼女達を中心に這いずるミミズの大群。



「…遅れたことをこんなに悔やんだのは初めてですよ。大丈夫ですか?」

「は、はい…っ何ともありませんわ!」

「それは良かった」



 頬を紅潮させながら身を乗り出す花園に、瞳を細める。




−自分の常連である花園に焦点を当てながらも、骸の意識は専らもう一人の少女の方に向いていた。

 飴凪雅。
 ダンスパーティーの時から完全に興味の対象となった少女だ。

 2ラウンドからは姿を消してしまったため、関わることはできなかった。
 何やら面白い展開に発展していることを感じ、先日は大人しく身を退いたのである。
 今回、劇の話を快く引き受けたのも単なる気紛れなどではなく、確実に彼女が関わっていた。

 普段は大人しく慎ましい、周りと何ら変わらない普通の少女。
 しかし前回見つけた微かな綻びに、好奇心が疼く。
 あれから、自分を含むメンバー達への態度は、彼女の素ではないと確信していた。




−まさかこんな形で収穫があるとは、ね。

 骸の唇がクツリと弧を描いた。
 今現在の状態は、正にその証明に近い。
 位置や被害状態から見て、狙われたのが花園であること。
 そしてそれを雅が庇ったことなど一目瞭然だった。

 上着を頭から被り直接的な被害のない花園に対し、ブラウス姿の雅はモロにミミズを身に纏っている。
 虫を身体に纏っても悲鳴すら上げない。
 これは彼女が普段演じているような“女の子”とは、無縁な反応だろう。
 恐らく、こちらが彼女の素なのだ。

 さて、ここからどう動くのか。

 惚ける花園から虫のへばりつく上着を外しながら、俯く雅に視線を投げた。



「−…被害は貴女の方が酷いようですね。宜しければ別室にお連れしますが」



 内心とは裏腹に、心配そうに雅の顔を覗き込む。
 その至近距離に今までとは違った意味での女生徒の悲鳴が耳を突くが、気にした素振りもなく、彼女から虫を払いのけるべく手を伸ばした。

 しかし、彼の手が届く前に雅の手がそれを拒む。



「っ…結構です」



 顔を隠していた前髪が揺れ、彼女の表情を垣間見た骸は息を呑んだ。

 蒼白な顔色に、伏せ気味の睫毛。
 どこか泣きそうな瞳で視線を逸らして、それでもうっすら色付く頬に、一瞬惑わされる。
 虫に拒否反応を示しつつ、そんな姿を憧れの人に見られた羞恥心、心配される嬉しさに高揚。

 そんな葛藤が目に見える表情だといえた。


−意識して接してもこの様だ。

 疑って掛からなければ、疑問すら持たないだろう。
 彼女に興味を持つ前の自分であれば、気にも留めなかったに違いない。

 寧ろ、本当に演技なのかと己の思考に疑惑を感じるほどの振る舞いに、対応が遅れた。
 それを見計らったかのように、雅は素早く行動に出る。



「あの、骸さんの手を…煩わせたくないので」



 すいません。
 か細い声で付け足した雅は少し身を引いて立ち上がると、くるりと方向転換する。



「外で払ってきます」



 翻る黒髪を止めることもままならないまま、見送った。
 虫のせいか生徒達に数歩退いた位置で見守られながら彼女が消えると、骸は静かに視線を落とす。

 口元を覆うように移動させた手の下で、形のいい唇が歪んだ。



「骸様…?」



 黙り込む骸に気分でも悪いのかと、慌てた花園が気遣うように肩に手を添える。
 その手に自分の手を重ねた骸は、何ともないと首を振ると、ゆったりと笑んだ。



「−河南…少し、提案があるのですが」

「は、はい!骸様の仰ることなら何なりと!」



 顔を真っ赤に染め上げた花園の答えに、満足そうに頷く。
 ひっそりと、妖艶な光が骸の両目に宿った。







 体育館からある程度離れた位置で歩みを止めた雅は、大きく息を吐いた。



「…っはー…」



 肩を落とすと、次の瞬間には禍々しそうに前髪をかきあげる。

 その顔には、先程の表情など面影もなかった。
 強いてひとつ挙げるとするならば、その顔色の悪さだろうか。
 勿論これは虫のせいなどではなく、今回唯一の素の身体反応だった。

 全く、何というタイミングで登場してくれるのか。

 咄嗟に演じたのはいいものの、新たな問題が発覚してしまった。
 すぐに感じ取った、違和感。
 
 演技をとちったわけではない。
 いつも通り、完璧に演じきったからこそ、



−彼のあの反応は問題だった。

 自分の偽りの表情を見た後の、驚きに満ちた瞳が脳裏をよぎる。
 骸にとって、予想外の展開などなかったはずだ。
 女の子であれば、あの状況下で泣きそうになるのは当たり前。
 そういう女の子を、彼らに対して演じてきているのだから。

 今まで通りなら、骸は余裕の笑みで手をとるなり横抱きをするなりして、雅を別室に誘導したことだろう。
 一般的な、“女の子”への対応として。
 それができないほど、彼は困惑していた。

 完全に己の予測を裏切られたような、そんな感情を孕んだのだ。



「あれじゃあまるで…、」



 言いかけて、口を噤む。

 不意に、曖昧な思考のピースが繋がり、疑惑が確信に変わった。
 まさかと指先に力がこもるが、一度辿り着いてしまえば、それ以外の答えには思考が及ばない。
 必死に記憶を手繰り寄せても彼に対してミスを犯した覚えはないが、元々要注意に指定していた人物だ。
 ハプニングの範疇だと、そっと睫毛を下ろす。

 何をきっかけにしたかは分からないが、彼は。



―六道骸は、“気付いている”。



 飴凪雅の仮面に疑いをもってこその反応だったのだ、あれは。



「…、しょうがない」



 いつの間にか強張っていた肩に苦笑を浮かべ、ふっと力を抜いた。
 両手を上に伸び上がると、歩く振動では振り切れなかったミミズを制服から払う。
 躊躇なくパンパンと落としきったのち、ゆっくり目蓋をあげた。

 恐らく、文化祭では間違いなく一波乱あるだろう。
 最悪事態をシミュレーションして、先が思いやられると首を軽く左右する。
 とにかく、助っ人であるスパナと正一には報告しなければならない。



「また迷惑かけるなあ…」



 正一とか胃に穴空けたらどうしよう。
 洒落にもならないことを冗談混じりに考えて笑いつつ、やはり唇の隙間からは溜め息が漏れた。






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