08 ―やっと回収ですか、そうですか 木が立ち並ぶ森の中で、雅は変わらず浮遊感と戦っていた。 時間がたつにつれ聞く回数が増えてきた声が、楽しげに耳に届く。 「もう戻るのもメンドイしこのまま帰っても良くね?」 「勘弁して下さいお願いします」 雅は冗談とはとてもとれない提案に本気で懇願した。 あれからボチボチ会話を進めて分析した結果出した結論。 ベルの興味を決定する基準は『女の子』ではなく『一般人』だということだ。 この身のこなしからしても一般人とは考えにくい彼からすれば、恐らく相手の性格はどうでもいいのだろう。 察するに、彼にとって重要なのは精神的・身体的な図太さや、純粋な強さ。 自分の場合は多分前者で興味をひいてしまったのだと結論付けた。 冷静過ぎたのだ。 普通の人間ならこんな状態に陥れば少なからず焦る。 そこに視点を当てた上で自分の言動を思い返し、雅は眉を潜めた。 完全に、判断を誤った。 彼に対しては脅える、又は緊張する人間を演じなければならなかったのだ。 どんな人格も演じる自信はあるが、今更そんな演技をしても通じる相手ではないだろう。 他のレアメンバーも同じなのだろうか。 カエル少年―フランや、まだ見ていない残りのメンバーのことを思い出し、彼らについてはまた管理役二人と対策を練らなければと頭の隅にメモをした。 そしてもうひとつ、忘れてはいけない存在がある。 「…ッ、てめぇ、いい加減にしやがれ!」 追いかけっこの鬼役を未だ律儀にこなしている獄寺のことだ。 呆れるほどの体力を見せ付ける彼に、スポーツでもやっていたのかと疑問さえ持った。 しかし、反面申し訳なさも出てくる。 自分の目標上関わるのは御免だが、ダンスを見てくれたりとお世話になったのは事実。 悪い人間ではないことも分かっている。 もうここまで来たらとことん、ツナの客である自分の為に走り続けるだろう。 獄寺の方に気をとられる雅が気に入らなかったのか、ベルは急に黙り込むとスピードを上げた。 「ちょ、え!?」 「!…くそッ」 急激に上がったスピードに、どんどん獄寺の姿が小さくなる。 今までのスピードはベルにとっては準備運動のようなものだったのだろう。 獄寺が吐いた悪態もすぐ風に消し去られ、あっという間にその姿は見えなくなった。 うなじに強風を感じる。 風にかき消されないようにと、雅は少し声を張り上げた。 「あの!」 「何、あんま喋ると舌噛むぜ?」 「こんなにスピード上げたら、追いかけっこも何も、ないと思うんですが…!」 一文一文区切って、風に負けないように声を張る。 ベルの言う通り気を抜いたら舌を噛みそうだ。 そんな雅に向かって、ベルは一言で返した。 「気が変わった」 「はい?」 意図が掴めず首を傾げる。 ふに落ちない。 獄寺と追いかけっこをしたいが為に自分を連れ回していた筈ではないのか。 否、それは確実だった。 だからこそ彼が見失わない程度のスピードで移動していたのだろう。 一体どんな気の変わり様だ。 雅にはベルが何を考えているのか全く検討がつかなかった。 浮遊感も忘れて考え込む雅に対し、ベルは突如速度を緩めると、軽い音をさせて太い木の枝に着地する。 雅が反応する間もなく、ベルの何とも嫌そうな呟きが耳に入った。 「…げ」 「?何かあったんですか?」 流れからベルの進行方向に何かがあるのは確実なのだが、俵担ぎをされている雅には、彼から見て後退方向180゜が視界に入る限界範囲だ。 長時間同じ体勢だった為に首や体幹は固まり、その方向に捻るのには少し時間が必要そうだった。 後ろを覗くこともままならずじれったさを感じる雅だったが、突如響いた大声に、反射で両耳をかばう。 「う゛お゛ぉいベル!!!てめぇは一体何やってやがるんだあ!!?」 ビリビリ。 今まで自分とベルの肉声や風の音しか入れていなかった耳には、負担が大きすぎる音量。 大きく刺激を受けた鼓膜が、耳鳴りを助長した。 「相変わらずうっせ…」 雅を抱えながら器用に耳を防ぐベルだったが、そこに気を取られて後ろから迫る気配に気付くのが遅れたらしい。 雅の視界に、カエルが映った。 「あ…」 思わず上がった雅の声がベルに届く前に、それは実行される。 「死ね堕王子」 「あ!?」 ―ドカッ フランが上方から思い切り放った飛び蹴りを、ベルは寸前で受けとめた。 「このクソカエル…!」 次の瞬間には血管を浮かび上がらせて笑うベルが、ガードしたのと逆の手で反撃に移る。 その流れるような動作を他人事の様に傍観していた雅だが、ある事に気付いた。 ベルが両手を自由に使っているということは、自分はどうなるのか。 ―答えは、簡単。 反動で宙に投げ出された身体は自然の原理で重力に従って、落ちる。 あえておさらいをするならば、ここは木の上である。 けして地面に近いとは言えない高さ。 いくら受け身がとれるといっても、身体は普通の女子のものと変わらないのだ。 骨の一本や二本は覚悟しなくてはならないだろう。 さあっと血の気がひく音がした。 「やべ」 「あ」 一言でコメントすんな。 何晒してくれとんのじゃああぁああ!!! こんな扱いを受けて笑って許せるほどできた人間ではない。 が、ここで思うがままに叫べば厄介事を増やすような気がして、微かに残る理性を総動員させることで心の声を暴露することは免れる。 しかしそれでこの状況が変わるかと言えば、勿論答えは否。 二人の姿がスローモーションで遠のくのを認識しながら、どう受け身をとるべきか考えた。 必死に頭を働かせるものの、どうやっても無傷で助かるようなイメージは浮かばず、スパナや正一のびっくりした顔が脳裏を横切る。 ああ、きっと二人にこんな顔をさせてしまうのだろう。 半分諦める脳内、反転する世界で、長い銀髪が視界に乱入した。 「ちッ、クソガキ共がぁ」 「!」 舌打ちと共に、遠ざかる空が一瞬停止する。 声を出す間も与えられず、再び視界反転。 そこからは何が起こったのか理解出来なかった。 気が付けば身体は安定していて、しかし手足は宙ぶらりん状態。 焦点が定まった瞳が収めたのは、木の枝と、そこに着いている誰かの足と、そして行き場のない自分の手足。 「ナイス隊長ー」 「ししっ、危機一髪」 憎たらしく感じる声が二つ聞こえた。 その台詞と自分の目線と腹部に回された誰かの腕を見て、情報を頭の中で総合。 状況を確信した。 つまりは隊長とやらに助けられ、小脇に抱えられた状態だ。 隊長とは先程鼓膜を破壊しようとした声の持ち主で間違いないだろう。 何にせよ恩人には間違いなかった。 「…有難うございます」 落下しそうになったショックにより一度極度に緊張した筋肉は安堵で弛み、固まっていた筈の首は案外簡単に上に向く。 回された腕に失礼して手を添え、そこを基点に半場反るように見上げると、鋭い眼光と視線が交わった。 その姿を確認した瞬間、ベルやフランの時と同じく雅の脳が記憶を探る。 今回はそんなに時間を要さなかった。 目立つ長髪の銀髪は1つにまとめられているものの、間違いない。 スペルビ・スクアーロ。 彼もまごうことなきレアメンバーの一人で、状況から察するにフランと共にベルを止めにきたのだろう。 そのフランの行動のせいで地獄を見たが。 しかし対策も何も練らないうちに二人と会ってしまったのは、これまた計算外だった。 彼等もベルと同じで本メンバーとは『基準』が違うに違いない。 ベルの一件で考え込みすぎて積極的に動けずにいる雅に、二度目の舌打ちが聞こえた。 「…怪我してやがるな」 「?」 いかにも面倒事だと言いたげなその一言に、初めて自分の怪我に気付く。 スクアーロの視線を追って辿り着いた左手の甲に大きな擦り傷を見つけた。 移動中か、はたまた投げ出された時か。 どちらにしても周りに気をとられすぎて今の今まで感じなかった。 自分でも気付かなかった怪我をこの暗闇の中めざとく発見したスクアーロには驚いた。 人間というのは不思議なもので、今まで何ともなかったのに認識した瞬間に酷く敏感になる。 ジンジンと痛み始める手の甲を見つめると、今度は慌てた管理役二人の顔が脳裏に浮かんだ。 「とりあえず下の小僧に応急処置してもらえ」 「下…?」 初めは理解が追いつかなかったが、直に大きくなる足音に気付き、その意図を掴む。 忘れていた訳ではないが、危機に晒されていたことで完全に意識から外れていた。 「…ッいい加減に、しやがれ!」 息を切らしながらも十分な音量を保つ声が後下方から聞こえる。 あれだけ引き離されてよく場所が分かったものだと感心した。 野生の勘というものだろうか、なんて失礼な事を考えていたが、そんな余裕が続くわけもなく。 「小僧!落とすんじゃねえぞぉ!!」 突如聞こえたスクアーロの台詞に、目を点にする。 待てよ。 流れ的に、酷く嫌な予感がした。 つうっと冷たい汗が背中を伝うのを感じるが、自分は『それ』を止める術を持たない。 拒否権なんてものは雅には初めから与えられていないのだろう。 下にいる獄寺もスクアーロの言葉の意味を汲んだのか、声のトーンが変わる。 「おい、まさか…」 「ちょ、ま、心の準備が…!」 スクアーロは焦る二人に構わず、体勢を整えた。 「グダグダ言ってる暇はねぇんだあ!!」 「わ、」 ブン。 やっぱりか…!! 風を切る音と共に、雅はまたもや宙に投げ出される。 体重を支えてくれていた腕と温度は消え、夜の冷たい空気に全身が晒された。 落ちる寸前に、スクアーロの鋭い眼と視線が交わる。 何かを見定めるようなその眼光に心臓が脈打ったが、彼は雅より先に視線を外すと背中を向けた。 そこから先は世界がめまぐるしく変わり、思わず目を瞑る。 ドサリ。 「…ッ」 軽いとは言えない音が発せられ、しかし一向に感じない痛みに、受け渡しは見事成功したのだと確信した。 「ッおい、無事かよ!?」 目を開ければ必死の形相で自分の様子を窺う獄寺が映る。 しかし、呼吸、心拍数、発汗の量と、どれをとっても正常ではないのは彼の方だった。 スーツなんて運動とは縁のない格好で、足場も視界も悪い中を長時間走ってきたのだ。 しまいには木の上から落とされる大事な客をキャッチしろと言うのだから、正常な方がどうかしている。 そんな目にあっても尚、客である自分の事を優先した獄寺に、雅は文句なしの花丸をこっそり贈呈した。 それでこそメンバーの鏡だ。 感動するが、それに浸っている暇はない。 レアメンバーとは違い、本メンバーである彼に対してはいつもの演技でいいのだ。 今までの流れに惑わされてこれまでおろそかにすれば、それこそ今までの苦労が無駄になってしまう。 素早くスイッチを入れると慌てたように起き上がり、下敷きになってくれている獄寺の上から降りる。 「ごめんなさい!大丈夫です…!獄寺さんこそお怪我はなかったですか?」 頬を軽く染めオロオロと様子を窺ってくる雅に対し、獄寺はいつもの不機嫌そうな表情に戻ると、顔を背けた。 雅はその様子に心中でガッツポーズを決める。 ベルに通用しなかった分、ここまで目に見えて効果があると嬉しいのだ。 出来ればこの状態のまま会場に戻りたいと願うが、それが叶うことはやはりなかった。 そっぽを向いていた獄寺の注意が、雅の左手にいく。 長時間走っていたせいで暗闇に十分慣れた目は、この暗さの中でも『赤』を認識した。 思わず目を見開くと、広範囲に渡って血の滲む雅の左手をとる。 「くそ…!怪我してんじゃねぇか!」 傷自体は浅いものの、これだけ範囲が広いと痛々しい。 幸いな事に泥などの汚れは見当たらなかった。 獄寺は傷口を確認するなり自身のネクタイに手をかける。 しゅる。 ほどいたそれをそのまま手に巻き付けようとするのを間の辺りにし、ぎょっとした雅は思わず制止した。 「へ!?いや、そんな大したものでは…」 「客に怪我させるなんて大問題なんだよ。こんなもんでも気休めにはなるだろーが。黙ってじっとしてやがれ」 ぶっきらぼうに言い捨てると、真剣な顔で作業を開始する。 「…」 しかし、あまりこういうものは得意な分野ではないらしかった。 明らかに、苦戦している。 あーでもないこーでもないと試行錯誤した結果、お世辞にも綺麗とは言い難い包帯巻きが出来上がった。 腕の先に出来た不格好なお団子に、雅の頭は真っ白になる。 そんな彼女に気付かず、獄寺はバツが悪そうにうつ向いたまま口を開いた。 「〜ッ悪かったな、めちゃめちゃで!戻ったらちゃんと…、」 ふと顔を上げた獄寺は固まる。 雅が、笑っていた。 獄寺の作ったネクタイ団子に視線を落として、おかしそうに、愉しそうに。 あの体育館で見たのと、同じ表情で。 頭から離れなかった笑顔が、前回よりずっと近くに存在した。 また、これか。 頭を殴られたような感覚がする。 思考回路が遮断される。 獄寺の周りの女性や客だって殆んどが笑顔で近づいてくるのだ。 普段の雅だって自分が見る限りいつだって笑顔で。 笑いかけてくる、のに。 何故、彼女のこの笑顔にだけこんなに揺さぶられるのか。 そして獄寺の脳は本能的なものから、これから起こることを予期した。 かち。 何かスイッチが入る音が聴こえるかのような錯覚。 気が付いた時には雅に先程の笑顔はなく、 「有難うございます」 恥ずかしそうにはにかむ『女の子』が笑っていた。 □ 「ムカつく」 ボソリと聞こえた声に、フランは顔ごと、スクアーロは視線だけをベルに向けた。 大腿を台に頬杖という、よく見る体勢の彼の視線は専ら下の二人にある。 「ベルセンパーイ、嫉妬は醜いですよー」 「バカだろお前。オモチャに嫉妬なんかするかよ」 嘲笑うかのように返すベルに、同じく二人に焦点を合わせたフランが首を傾げた。 「センパイにとってはどっちもオモチャだと思うんですけど、だったら何にムカついてるんですかー?」 その言葉に、はたりとベルの動きが止まる。 何に? 確かに自分にとってはどちらも退屈凌ぎの対象で、それは認めているのだ。 オモチャを二つ同時に奪われたことに苛立っているのか。 オモチャ同士がいっちょまえに仲良くしているのが気に入らないのか。 何となく、此方に背を向ける雅の黒髪に目がいった。 「…意味分かんね」 ドカ。 急に殴られたフランが恨めしそうに呟く。 「それはミーのセリフですーこの堕王子」 「斬り刻んでやるよカエル」 今にも戦闘を再開しそうな二人に、今まで黙って傍観していたスクアーロが睨みをきかせた。 「お前らはもう帰れぇ!!」 思わぬ指示に、二人の視線は案外素直にスクアーロへと集まる。 「ししっ、オレら帰っていいわけ?」 「願ったりですけどベルセンパイ会場に連れ戻さなくていいんですかー?」 「てめぇらがいる方が厄介だぁ。あとはオレがやる」 それだけ言い捨てると、二人は放置して下に飛び降りた。 あとは勝手に帰るだろう。 ズンズンと歩みを進めると、驚きの表情で振り返った雅の腕を引っ張り、肩に担いだ。 「え、」 「!おい!何しやがる!」 あまりに自然な動作にほうけたものの、直ぐに我に返った獄寺がスクアーロにつっかかる。 それをいとも簡単に避けると面倒そうに告げた。 「こっからどれだけあると思ってやがるんだぁ?女歩かせたら朝になるぞぉ」 言うなり何なり、獄寺の返事も待たずに木の上に飛び乗る。 「って待ちやがれ!」 「…はあ」 帰りもこれか。 走り出す獄寺を上から眺めながら、散々体験した浮遊感に身を任せる。 小さなため息が唇から漏れた。 |