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■ 07:




 ザアザアと音を立てる雨の中、二人の男女が店前に立っていた。
 青年に傘を差し出しながら、雅は微笑む。



「ありがとう」



 自分を店まで送り届け、猫の手当てまで手伝ってくれた彼には、純粋に感謝の言葉を伝えた。

 薬の効果が切れた後、青年は謝罪を述べると共に、雅の家路に着くまでの護衛を申し出たのだ。
 もう失敗だと腹をくくったのか、本気で雅に惚れ込んだのか。
 恐らく両方だろう。
 臨也の判断によりその申し出は採用され、今に至る。

 残りの三人も、臨也が抜かりなく対処してくれていることだろう。
 そういう事に関しては、雅は臨也に絶対の信頼をおいていた。

 差し出された傘を受け取りながら、青年はそっと雅を覗き込む。



「今度また会いにきてもいい?」

「お客としてならいつでも大歓迎だよ」

「ちゃっかりしてるなぁ」



 ニシシと歯を見せて笑ったのち、彼は貸した傘をさして走り去った。
 あまり傘を使い慣れていない、不器用な掲げ方を微笑ましそうに見つめる。

 ブルーの傘が見えなくなったところで、雅は踵を反して店の中へと入った。



「さて、と…」



 ガラガラと引き戸を閉めるなり、雅の足は一直線に調理場の戸棚へと向かう。
 軽く背伸びすると中に視線をさ迷わせ、そこからお目当ての物を引っ張り出した。
 雅が手にしたのは、数枚のタオルだった。
 それらを丁寧に畳み直すとすぐ近くのテーブルに置いて、自分も椅子へと腰掛ける。

 カチ、カチ。

 静かな店内には、時計の秒針の音だけが響いた。
 どれくらい時間がたったか。

 ふと、雅がテーブルに落としていた視線を上げた。
 硝子戸に映る影を見つめて、音も立てずに席を立つ。
 タオルを一枚手に掴むと、そこから動こうとしない影の元へと歩みを進めた。

 誰か、なんて確認する必要もない。

 ガラリ。

 開けた扉の先に立つ人物に優しい笑みを向けた。



「いらっしゃい、しずちゃん。入って」



 外は相変わらずの雨だ。
 ポタリ、ポタリとその金髪から滑り落ちる雫を見て、そっと手を伸ばす。
 静雄の頬に触れると、雅は少し困ったように眉を下げて笑った。



「冷たいね」

「…、雅」



 掠れた低い声に真っ直ぐ視線を返すが、視線は交わらない。
 確かに静雄の目は此方を向いているのに、視線が、合わない。

 雅は少し寂しそうな光をちらつかせて睫毛を軽く伏せると、微かに震える静雄の手をとった。
 完全に雨に奪われた温度。



「とりあえず、入って」



 いつものようにふわりと笑って、その手を引く。
 されるがままに店内に足を踏み入れた静雄の足元に、ジワリジワリと色が広がった。
 濡れて変色する床に、自然と謝罪の言葉が溢れる。



「悪いな、店内濡らしっちまって」

「そんなのすぐ乾くから気にしないで。ほら、座って」

「いや、でもよ…」

「言ったでしょ、すぐ乾くから大丈夫だよ。座って?」



 有無を言わさぬ笑顔で促すと観念したのか、静雄は苦笑混じりで腰を下ろした。
 彼が遠慮がちに腰を落ち着けたのを確認すると、雅はその頭にタオルを被せて拭き始める。
 静雄も特に抵抗はしなかった。

 じわじわとタオルに水分が移るのを感じながら、静雄は重い口を開く。



「…なぁ、雅」

「なに?」



 聞き返してきた雅に、思わず顔を上げた。
 いつもみたいにはぐらかされると思っていたのに、そこにあったのはしっかり自分を捉える瞳だった。
 驚きはするものの、唇は動き続ける。



「…―何で、俺に何も言わねぇんだ?」



 何か言いたいことあるだろ?

 冷静な口調に対しどこか焦る必死な目付きに、雅はクスリと笑みを浮かべた。



「また、彼に何か吹き込まれた?」

「…違ぇ」

「嘘。何か言われたんでしょう?しずちゃん、昔から私達関連のネタは全部鵜呑みしちゃうんだから」



 おかしそうにクスクス笑う姿に、頭の中が沸騰しそうになる。

 違うだろ、笑うところじゃねぇだろ?

 真っ赤に染まる脳内で、数十分前の臨也の言葉がリピートした。



『今回もシズちゃんが不甲斐ないから俺の出番だったわけだけどさ、』



 愉しげな声が頭の中を掻き回す。



『シズちゃんももう分かってるよね』



 嘲笑うかのように、躊躇なく淡々と流れ出る言葉。



『シズちゃんが側にいる限り、―雅ちゃんは危険に晒され続けるよ?』



 分かってる。

 口の中に広がる鉄の味にも構わず、ギリギリと唇を噛み締めた。

 雅は、本来なら危険とは縁のない存在だ。
 いつも笑顔を振り撒いて、人の気持ちに敏感で、誰に対しても手を差し延べられる。
 彼女自身が恨みや妬みを買うことはありえなかった。
 しかし、昔から雅は常に狙われ続けた。

―人間離れした力を持ち恐れられた、自分のせいで。

 学生時代は臨也が手を回していた為に大きな危険には見舞われなかったものの、それ以前は何度か怪我を負った事もあった。
 人当たりのいい雅なら他の居場所なんていくらでもあったのに、彼女は静雄から離れることはなかった。
 どんな光景を見た後も、どんな目に遇ったとしても、決まって笑顔で隣に帰ってきた。

 その度に胸の中にうずくのは、嬉しさと悔しさと、怒り。
 雅が隣で笑う度に、救われる反面、違う違うと心が叫ぶ。

 笑うなよこんな俺に笑顔なんか向けるんじゃねぇ誰のせいで自分がそんな目に遇ってんのか分かってんだろ笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな止めろ笑うな笑うな笑うな



「…―しずちゃん?」

「!!ッ」



 ハッと気付けば、珍しく眉を寄せて心配そうに此方を伺っている雅の姿。



「あー…悪い」

「大丈夫?」

「大したことねぇよ」

「そっか」



 前髪を揺らしながら笑顔を取り戻した雅に、グツグツと煮えたつ気持ちが収まらなかった。
 このままでは店内を破壊してしまいそうだ。
 彼女にも怪我をさせてしまう。

 ミシリと反応する筋肉を必死に押さえ付け、静雄は声を絞り出した。



「…雅、お前には怒る権利がある」



 だから、笑うな。

 ピタリと雅の手が止まる。
 静雄の頭を拭いていたタオルをパサリと退けると、ひょいとしゃがみこんで彼の顔を覗き込んだ。
 頭を傾けて、柔らかく笑みを称える。



「しずちゃん、彼と私とどっちを信じてる?」



 静雄の眉間に皺が寄った。
 そんなの、普段なら比べるまでもない。

―しかしこういう関連では、



「…臨也だ、今回はな」

「ふふ、とうとうあの折原君より信用なくなっちゃったか」



 相変わらずどこか棘を含む言葉、どこまでも優しさに溢れた声で笑った。
 変わらぬ笑顔にカッとなって、思わずその手首を掴む。



「ッだから…!、ッ」



 言い掛けて、止まった。
 雅は微塵も表情を変えなかったものの、反射的に掴んだ彼女の手首にかなりの力を入れてしまった事に気付く。

 するりと、静雄の手が力なく下がった。



「…、わる」



 何度目か分からない謝罪を口にしようとするが、最後まで言い切る前に途切れる。

 ドン。

 あの時と同じ、衝撃が身体を襲った。
 前と違うのは、静雄が微動だにせずにその身体を受けきれたことか。

 回された腕、感じる体温に、呼吸が止まった。

 たっぷり雨を吸った静雄の服が、雅の服に密着する。
 水分が移動するのを感じて、静雄は微かに身体を動かした。



「濡れるだろーが。離れろって」

「一緒に風邪ひこっか」

「洒落になんねぇ。俺だけでいい」

「つれないなあ」



 楽しそうに笑うだけで、雅は離れようとはしない。
 雅には分かっていた。

 静雄が傷付けるのを怖れて、必要以上に自分に触れないこと。
 触れる時は、最大限の注意を払っていること。

 昔から何も変わらないよ、しずちゃんは。

 愛しそうに口元を緩めて、雅は腕に力を込めた。
 そんな静雄だからこそ危なっかしくて、大切で、隣にいたいと思った。
 その背中を見守りたいと、そう思ったのだ。



『お前ら、俺が怖くねぇのか?』



 必死に何かに耐えながら聞かれたあの時から、絶対に守ると決めた。



「ね、あの時言った言葉、覚えてる?」

「…ああ」

「よかった」



 少しの間を置いて返された返事に、雅はそっと息を吐く。
 この気持ちは昔のまま変わっていない。

 しかし、雅は確信していた。

 静雄が、今日を境に自分から離れようといていること。
 ケジメをつける為に、此処にいること。

 臨也に何か吹き込まれたのは明らかだった。
 彼が自分を救出した時点で、それは十分予想の範疇だ。
 只でさえ責任を感じている時に揺さぶられれば、一溜りもないだろう。
 自分の為に静雄がずっと苦しんできたのは知っている。

 雅は静かに瞳を閉じた。
 もう既に服の水分はほぼ移り、互いの身体は冷えきっている。



「しずちゃん」



 ソプラノがゆっくり空気を振動させた。






「―しずちゃんの事は、私と幽君が守るから」






 あの時よりも幼さが抜けた声で、同じ言葉を紡ぐ。
 柔らかい声色も、微かな揺れも、あの時のままに静雄の耳に届いた。






「私と幽君は、しずちゃんが守ってね?」






 スローモーションで離れる温度。
 顔を挙げた雅は、綺麗に綺麗に、笑っていた。

 伸ばしかけた手。

 堅く拳を握った。







いっそ昔のように泣いてくれればまだ救われたのに


(唯一の弱味すら、笑顔に消えた)

(この笑顔が貴方を苦しめていること、分かってるのにね。ごめんね)


本日も口封じ、お口にチャック





(お題配布元:Swallow Sparrow様)


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