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■ 06:





 コツ、コツ。

 硬いナイフの先が、コンクリートを叩く。
 常備している折り畳みナイフを弄びながら、折原臨也は暗闇の中で笑った。

 倉庫に積み上げられる木箱に腰掛けたまま携帯を開くと、電話帳ではなく、頭の中に入っている数字に指を滑らせる。
 間違っても、普段使うことのない番号だ。
 3回ほどのコールの後ガチャリとたった音が、相手に繋がったことを知らせた。

 相手の表情を頭に思い浮かべながら、クツリと喉を鳴らす。



「―、やあ、シズちゃん。久しぶり」

『…!!』



 息を呑む音が聞こえた。

 同時に、ミシリと何かが軋む音。
 きっと、携帯を握り潰しそうになるのを必死に制御しているのだろう。 
 いつもなら出会った瞬間に常識外れの物を投げてくる彼の健気な努力に、滑稽そうに目を細める。

 ああ、やっぱり彼女の事となると違うよねえ。

 愉しさと不快さが同時に渦巻き、臨也の唇を歪ませた。



『ッ何でテメェが…!!』

「やだなぁシズちゃん、もう大体分かってるくせに」

『…、ッアイツは!雅は無事なんだろうなあ!?』

「へぇ、俺に聞くんだ?やけに素直だね。そんなに雅ちゃんが大事?」

『…、…』



 何度も己を陥れた殺したいであろう相手に頼るなんて、それこそ屈辱だろうに。
 それでも返された無言の肯定に、やれやれと肩をすくめる。



「安心しなよ、雅ちゃんは無事だからさ。今頃自分の家に帰って猫の手当てでもしてるんじゃないかな」

『…本当だろうな?』



 伝えた瞬間にピリピリした殺気が多少薄れたのを敏感に感じとり、臨也はその顔に笑みを浮かべた。
 いつもなら自分の言葉になんて耳も傾けないだろう男が、あっさりとこれを信じるのだ。
 その理由も、臨也は理解している。

 静雄は知っているのだ。

―学生時代にも、静雄関連で雅が危険にさらされていたこと。

 そして皮肉にも、それらから雅を守る為に手を回していたのが、臨也であったことを。






「いつもありがとう」



 青空が広がる屋上。
 足を踏み入れた瞬間に真上から降ってきた声に、臨也はゆっくり空を仰いだ。

 声の主は見えないが、こんな柔らかい声を出せるのは一人しかいない。



「君がサボりだなんて、台風でも呼び寄せる気かい?」

「ふふ、私だって人間だからね。こういう日だってあるよ」

「まあそれもそうか」



 楽しげにクツクツと笑いながら上へと続く梯に足をかけた臨也は、軽快な動きで地面を踏んだ。
 よっ、と両足で着地するなり、少し意外そうに首を傾げる。



「君でもそんな恰好するんだねえ」

「折原君から見た私は何なのかな?宇宙人か何か?」



 クスクス笑う雅に近付いて、その横へと腰を下ろした。

 一方、ゴロリと横たわる身体を僅かに揺らした雅は、臨也には目も向けずに相変わらず空を眺め続ける。
 そんな彼女を口元に微笑みを称えながら見つめると、そっと手を伸ばした。



「君はれっきとした人間さ。シズちゃんに比べたらそれこそ普通の、そこら辺にいるような女の子だ」



 コンクリートの上に広がる黒髪に臨也の指先が触れると、少し擽ったそうに身じろぎする。



「まるでしずちゃんが普通じゃないみたいな言い方だね」

「あのさ、普通の人間が標識引っこ抜く?自動販売機とか投げる?」



 溜め息混じりに問掛けるが、やはり返ってくるのは緩やかな笑みだった。



「確かにしずちゃんの力は人並み外れてるけど、」



 一旦切ると、不意に、その漆黒の瞳が臨也を捉える。
 珍しいと驚く暇もなく、その薄い唇からは言葉が溢れた。





「―、折原君よりはずっと普通の人間だよ」





 ふわりと顔を綻ばせて溢れたそれは、喩えるならば綿菓子のような声で紡がれる。
 しかしその内容は、実に刺々しい。

 他の人間がいたならば、その光景の矛盾に己の耳と目を疑うことだろう。
 それほどまでに、雅の生み出す違和感は異を越していた。
 そしてそんな彼女だからこそ、臨也の興味の対象であり続けているのだ。

 自分に向けられた毒に怒るでも悲しむでもなく、臨也はただ、愛でるように雅の髪を撫でる。



「これまた手厳しいね」



 特に傷付いた様子も見せずに、指に絡めた毛先を弄んだ。

 そんな臨也の反応でさえも見透かしていたかのように、雅の瞳は揺るぎなく彼の笑顔を映す。
 その瞳を覗き込むようにして、臨也は身を乗り出した。

 トン。

 音もなく雅の顔の横に手を置いて覆い被さると、形のいい唇で弧を描く。



「分かってると思うけど、今回は後払いだから」



 敢えて何の感情も籠めずに見下ろすが、雅には微塵も動揺はなかった。
 数回睫毛を上下させると、空が見えなくなったと、残念そうに眉を下げて笑う。



「毎度思うけど、よく飽きないね」

「…。はは、ごめんごめん。一つ、訂正するよ」



 スルリ。

 髪を解放した指は、今度はその唇へとターゲットを定めた。
 白い親指が、雅の下唇をなぞる。



「君はそこら辺にいるような女の子なんかじゃない」



 雅に向けた敬意か、己に向けた嘲笑か。
 訳の分からない笑みを向けてくる臨也の手をそっと退けて、雅は静かに瞼を下ろした。
 口元の形の優しさはそのままに、片肘をついて地面から背中を浮かす。

 重なる、唇を伝う体温。



 それ以降の言葉は、二人の間には生まれなかった。







白雪姫は知っていながら毒林檎を食べた


(最高に意味のない行為。そんなことは分かってる)
(何も思ってないわけじゃないよ。私だって人間だから)


ひやり、温度のない。







『―ブッ…ッツー、ッツー…』


「あーあ、やっぱ携帯壊しちゃったか」



 突如ぶちぎれた回線。
 虚しい音が繰り返されるのを聞くと、臨也は予想通りだと唇をつり上げた。

 あれから二、三言で終わってしまった会話を思い返して、更に笑みを深める。



「シズちゃんには酷な言葉だったかな?」



 パチリと携帯を閉じて木箱から飛び降りた。
 カツリ、カツリと足音を反響させながら出口へと向かう。



「これでシズちゃんの方から離れてくれれば万々歳なんだけど、」



 自分の唇を指で軽くなぞった後、諦め混じりに息を吐いた。



「そんなこと雅ちゃんがさせるわけないだろうねえ」



 いつも思い通りにならない静雄が唯一、予想通りに動いてくれるのが、雅関連だ。
 しかし、その雅が臨也の予想を上回る存在なのだから手に終えない。

―全く、退屈しないね。

 扉を開ければ冷たい風が吹き抜ける。
 頬に当たる雨もそのままに、臨也は土砂降りの空を見上げた。

 きっと今頃、茶髪の青年に送られた雅が家に到着したことだろう。
 彼は完全に雅に惚れているという確信がある。
 きっと安全に送り届けた筈だ。

 初対面の、しかも敵である彼をあそこまで虜にする雅にはちょっとした恐怖を感じるが、彼女をずっと『観察』してきた臨也からすれば大して驚くことでもない。
 確かにそれだけの魅力があるのだ、彼女には。



「さて、と…」



 一旦閉じた携帯を再び開き、画面で時刻を確認した。

 あと数十分ってところか。

 間も無く、静雄は雅の元に訪れるだろう。
 彼女の安全を確認するために。
 そして、揺れる気持ちにケジメをつけるために。



「せいぜい苦しみなよ、シズちゃん」



憎らしげな笑顔で吐き出された愉しげな声は、雨に掻き消された。







(お題配布元:女神の心臓を食った悪魔様)


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