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■ 05:





 ポツリポツリと、地面に斑模様が出来始めた。

 間も無く本降りになるだろう。
 冷たさは感じない。
 頬に当たる雨にも構わず、静雄は走っていた。

 当てもなく、ただ街を走り続ける。
 完全に漆黒に包まれた世界に人影は少なく、時々視線が投げ掛けられるくらいだ。
 それでさえ、対象が静雄だと分かると慌てたように視線を外し、逃げるように早足で去る。

 しかし、そんなものは静雄の視界の隅にも入っていなかった。
 今の彼の頭を占めるのは、たった一人の幼なじみの姿だけ。

 大切な、特別な感情を持つ女の笑顔だけ。

―ッ雅…!

 頭を掻き回す後悔の渦に、自分への嫌悪に、気が狂いそうだった。
 危険だと分かっていたのに。
 彼女が狙われることなど分かりきったことだったのに。

 どうして目を離したりした?
 何故、あの時もっと強く言いくるめなかった?

 呆れられるのも泣かれるのも嫌われるのでさえ覚悟して、無理矢理にでも自分の側に置いておくべきだった。
 目の届く範囲に、手の伸ばせる場所にいてもらうべきだった。

 彼女がいつどんな時だって笑顔でいるのは、昔から散々見てきた筈だ。
 風邪をひいて40度の熱を出した時も、怪我をした時も、
 ―自分のせいで危険な目に遭った時でさえ、笑みを絶やすことはなかった。

 そういえば、とめまぐるしく動き回る意識の中であることを思い起こす。

―…一度、たった一度だけ、雅が笑わなかったことがあった。



 子ども時代、静雄が最も不安定だった時だ。

 妙な力が目覚めて、怪我を繰り返して、何故自分だけがこんな目にと悩んでいた頃。
 自分を恐怖して避ける周りに対し、なんら変わりなく、当たり前のように常に側にいた二人。
 弟の幽と、幼なじみの雅。

 一緒にいてくれることが嬉しくて、でも反面堪らなく不安で。

 夕陽に包まれた公園内、遊具の上で、ある日二人に問掛けた。



『お前ら、俺が怖くねぇのか?』



 子どもながらの、純粋な疑問だった。

 化物じみた怪力を、悲惨な光景を幾度となく目にしてるにも関わらず、二人とも恐怖という感情を露にしたことがない。
 幽は無表情を崩さないし、雅に至っては笑顔だ。
 どうして自分の隣にいてくれるのか、不思議で仕方がなかった。

 膝を抱えてじっと答えを待つ静雄に対し、幽は足をブラブラさせながらアッサリ返す。



『別に』



 いつもの無機質な声に、少し笑ってしまいそうになった。
 しかし、もう一つ、返ってくるべき声が返ってこない。

 やっぱり、本心では怖がっていたのか。

 苦しいのか悔しいのか悲しいのか怒っているのか。
 自分の気持ちも分からず、じっと地面を見つめる。

 隣を見るのが、怖かった。



『…、雅、もう』



 もういい。

 答えを聞くのが怖くて、聞くのをやめようとした。
 質問を取り下げようと口を開くが、言葉は途中で遮られる。

 ドン。



『!』



 いきなりの衝撃に軽くよろめきそうになりながらも、必死にその身体を受け止めた。
 首元に回された腕に、密着する身体に戸惑う。

 当時から雅に想いを寄せていた静雄には少々刺激が強く、顔に熱が集まるのを感じながらオロオロした。



『お、おい!雅…!?』


『…、しずちゃん』



 耳元で聞こえた声に、ピタリと動きを止める。
 いつもの、澄んだまっすぐな声ではなかった。
 柔らかな音質は変わらないものの、感じとった微かな揺れに困惑する。

―泣いている…?



『…雅?』



 先程とは違う戸惑いを浮かべながらそっとその背中に手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。

 自分の力が、恐い。

 こんな時に、抱き締め返してやることもできないなんて。
 悔しそうに視線を落とす静雄の鼓膜を、いつもの優しげな声が揺らした。



『…―――、』



 回された手に、少し力が入る。



『―――…ね?』



 思わず目を見開く静雄からそっと温度が離れた。

 夕陽に照らされた黒髪を風になびかせる幼なじみは、瞳に涙を浮かべたまま真っ直ぐ静雄を見つめる。
 息を呑む彼の前でパタリパタリと涙を落とした後、次の瞬間には、それらが幻だと錯覚させるような笑顔を見せた。
 

 オレンジ色の光が、花のような笑みにとても綺麗に映えた。







彼女はその涙の美しさをきっと知らない


(守りたいと、心からそう思った)
(貴方は優しい人だから、全て抱えて離れていってしまいそうで)


誓い、秘かに。




―ブルルル…ッ

 突如振動したポケットに、静雄の意識は一気に引き戻された。

 時刻はもう真夜中。
 こんな時刻にこのタイミングでかかってくるなんて、可能性は一つだ。
 すかさず雨をしのげる屋根下に飛び込み、軽く深呼吸してから携帯を手に取る。
 怒りに任せて携帯を握り潰しでもすれば、それこそ雅が危険だ。

 微かに震える指で、ボタンを押す。

―ピッ



『―…、やあ、シズちゃん。久しぶり』



爽やかな声が、冷たいプラスチックから流れ出た。







(お題配布元:loathe様)



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