■ 02:
◇
晴れやかな空が広がる昼過ぎの、とある大きなマンション前。
平和島静雄は笑みを浮かべて、目の前の青年を睨みつけていた。
矛盾した図だが、確かにその顔には笑顔が張り付いている。
笑みと言ってもお世辞にも穏やかなものではなく、とてつもない怒りを凝縮してそれを無理矢理覆っているような、そんな邪悪なものだ。
それを助長するように、そのこめかみにはクッキリと血管が浮かび上がっていた。
そんな彼の片手にはミシリと音を立てつつも何とか原型を保っている携帯が握られており、もう片方の手は―ガードレールにかけられている。
彼を知らない者は何気無く見過ごすだろうが、知る者は確実に顔を蒼白にして踵を返すことだろう。
―そのガードレールが引っこ抜かれて彼の武器となることを、予測できるからだ。
しかしそれを知りながら微塵も顔色を変えない青年―折原臨也は、薄ら笑いさえ浮かべてみせた。
「やあ、シズちゃん久しぶり」
「テメェ、ふざけたメール送ってきやがって…!アイツに妙なことしてねぇだろうなあ!?」
「さあ、それはどうかな?」
「…ぶッ殺す!!」
ビシリと更に大きな血管が額に張ったのを合図に、静雄のガードレールに掛ける手に力が入り始める。
ミシミシと音が鳴り、受けて立つとでもいうように臨也がナイフを構えた瞬間―、
「静雄さーん」
その場の雰囲気にそぐわない何とも平和な声が、ピンと張り詰めた空気を震わせた。
それに気付いた二人が上―すぐ横のマンションの五階辺りを見上げると、花のような笑顔で手を大きく降る少女が此方を見下ろしている。
臨也が静雄を誘き寄せる為に使った、彼の恋人に当たる人物だ。
「!…み」
静雄が目を見開いてその名を呼ぼうとするが、それは叶わなかった。
彼が口を開き切る前に彼女は手摺に足を掛け―、その身を空中へと投げ出した。
フワリと黒髪が舞い、華奢な身体が重力に晒される。
「あぁ!?」
「わお」
それぞれ反応を返すが、勿論考える暇などなかった。
静雄が携帯を投げ捨てガードレールを手放したと同時に、少女の身体がそこに到達する。
ドサッ。
軽いとは言えない音が響き、彼女を受け止めた静雄の呆れたような、しかし安堵のため息が静かに吐き出された。
今しがた五階から飛び降りた人間を受け止めたとは思えないほどあっけらかんとした表情で、少女の身体の状態をざっと確認する。
怪我などの異常がないことを確信すると、少し眉を潜めて彼女と視線を合わせた。
「雅、お前なあ…危ねぇだろーが」
「わー静雄さん会いたかったー」
「…聞いてるかオイ」
静雄の言葉には返さず、すかさずその首元にギュウっと抱きつく雅に、怒る気も失せたと苦笑を浮かべる。
これが彼女じゃなかったら確実に相手は宙を舞っていたことだろう。
普段の彼からは考えられない対応を面白そうに眺めつつ、臨也はナイフを音もなく袖口にしまいこんだ。
「雅ちゃん、菓子にはもう飽きたのかい?」
臨也が声を掛けると同時に静雄の鋭い睨みが飛んでくるが、その腕の中にいる雅からはのんびりとした声が返ってくる。
「んん、飽きたとかじゃなくてね。もう全部食べちゃった」
「ああ、俺のミスだ。
君の胃袋なめてたよ」
ニコリ、とそこらの男が好みそうな笑顔で言い切る雅に、臨也も最高の笑顔を返した。
数分前に渡した缶の大きさを記憶の中で確認し、心中ではやれやれと首を振る。
次はドラム缶一杯の菓子でも準備しないといけないな。
そんなことを企てる臨也をよそに、雅は静雄にフワリと笑いかけた。
「あ、そだ。静雄さん、パフェ食べに行こ!前話したでしょ、美味しい店があるんだよ」
「どーでもいいけどよ…お前、まだ食うのか?」
「デザートは別腹ってよく聞かない?」
「お前のは別腹どころかブラックホールだろーが」
雅の口元にチョコレートを食べた跡を見つけ、片手で抱き抱えた状態のまま軽く親指で拭ってやる。
ったく、こいつぁ常に何か食ってんだよなあ…。
しみじみとその幸せそうな表情を見つめる静雄は、今まで彼女と巡った喫茶店や甘味屋を思い出した。
その後心底疲れたように息を吐くと一瞬だけ優しげに口元を弛ませ、雅の身体を地面に降ろす。
それにお礼を述べた雅はクルリと臨也の方を向き、白い歯を見せた。
「臨也サン、お菓子ご馳走さま!また新しいの入ったらお茶誘ってね」
「
うん、やっぱ人質の自覚はなかったわけだ。いいよ、また波江に言って用意しておく」
「ありがとー」
ブンブンと臨也に手を振る雅だったが、その片手を軽く止めた静雄が微妙な表情で問掛ける。
「…雅、今ノミ蟲に言われた事理解してるか?」
「んん?」
「
いや、もういい」
「あはは、変なの」
ケラケラ声を上げる雅を促し、静雄は臨也に背を向けた。
最後に激しく殺気の篭った視線を投げ掛けるのも、忘れずに。
二人の仲の悪さを理解している者が見たならば、臨也を目の前にあっさり退く静雄にとてつもない違和感を感じた事だろう。
しかし臨也はその意図さえ把握していた。
雅がいるからだ。
自動販売機を軽く投げ飛ばすような力を持つ静雄と、それを長年しのいできた臨也。
この二人の抗争の中にいて無事に済む保証はない。
全く、苛つくくらい雅ちゃんにベタ惚れだよねえシズちゃん。
二人の背を見送りながら忌々しげに微笑みを溢すと、先程部屋を出る直前に雅に言われた台詞を思い出す。
『臨也サン、カッコイイんだからその気になれば簡単に彼女つくれるよ?その変な欲望を七割くらい抑えたらほっといても女の子寄ってくると思うけどなあ』
―恐らく、自分の雅への口説き文句を彼女欲しさと受け取った為の言葉だろう。
勘違いもいいところだとクツクツ笑う。
こういうこと以外の事柄には、ムカつくくらい鋭いのにねえ。
「俺のシズちゃん嫌いの理由には、君の事も含まれてるんだよ?」
けして手には入らないだろう少女に向けて、皮肉げに唇を歪ませる。
まあ、君がそれに気付く日なんて来ないだろうけど。
臨也は空を仰ぐと、眩しい太陽に、何とも疎ましそうに目を細めた。
「まあ、俺は俺なりに楽しませてもらうさ」
真っ青な空に似合う爽やかさに少しの狂気が混じった声で、青年は呟く。
その顔には、玩具を与えられた子供のような、無邪気で愉しげな笑みが浮かんでいた。
非常に残念だが心の底から愛しているよ(俺の愛すべき人間という要素を除いた上でも、ね)
(貴方の言葉を借りるなら、全ては偶然だよ。愛すべきは、偶然)
キラキラ、憎い。(お題配布元:Swallow Sparrow様)