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浮上する意識に伴い、重い瞼を押し上げる。
目を覚ました雅が横たわっていたのは、待合室のソファのようだった。
「…?え」
ゆるゆると身体を起こすと、掛けられていた男物の上着が腹部へと滑り落ちる。
次いで、聞き慣れたいつもの声が鼓膜を揺らした。
「あ、起きた?相変わらず耐性ないねー」
まさか皆の前で気絶しちゃうとは思わなかったから正直焦ったよ。
テーブルを挟んで座っていたらしい五条が、雅のいるソファの空いたスペースに腰を下ろす。
その言葉に自分の現状を思いだして、一気に血の気が引いた。
「っのばか…!人前であんなことして…っ今後に響いたら…!」
いくら仕事とはいえ、マネージャー相手にあんな出血大サービスをかますモデルがどこにいるというのか。
下手をしたら関係性がバレる可能性だってある。
ただでさえ年の近い女マネージャーということで、色々な噂をたてられているのだ。
それをはね除けるために仕事中は毅然とした態度で五条の傍にいるし、不必要な接触は一切避けている。
彼にとってはそれは不服らしくオフの日に物凄いしわ寄せがくるが、仕事中に発揮されることはなかったため安心しきっていた。
今回のあれはもう言い訳のしようがない。
例えば他の同業者であれば、人によってはプロ魂や演技派で通るかも知れないが、五条に至っては難しい。
既に名を馳せている彼は、愛想はよくなったが無闇なスキンシップはとらないことで有名だ。
実際に仕事でも何人か有名な女性モデルが関わろうと精を出したが、無難にいなされて撃沈していた。
そんな彼が見せた甘い表情に慈しみに満ちた瞳。
誰からどう見ても、醸し出す雰囲気は明らかな恋人同士のそれだろう。
人間という生き物は不特定多数の羨望が集まる対象については、誰のものでもない存在にこそより憧れや欲する力が強くなるものだ。
ネタがあがれば、今後の彼の人気に影響を及ぼしかねない。
仕事中に意識を飛ばすという失態も含めて、自分の不甲斐なさに泣きたくなった。
「止められなかった私も悪かったけど…何考えてるの…」
「ん?雅さんは何も悪くないでしょ。やりすぎちゃってごめんね」
「本当にね!この際腹を割って話そうか。始めから私を巻き込む予定だった?」
「いいねー雅さんの本気。怒ってる顔も嫌いじゃないよ」
「茶化さないでちゃんと答えて」
このままではまた彼のペースで言いくるめられて終了だ。
少し睨みをきかせて見つめると、軽く肩を竦めた五条はギシリと背もたれに体重を預けた。
「はいはい。そうだね、雅さんを撮影に巻き込むのは依頼を聞いた時点から考えてたよ」
「理由は?今後のためにはリスクが高いことくらい分かっていたよね」
「だって、仕事でもないとまた逃げるでしょ。最近二人きりの時ですらまともにスキンシップとらせてもらえてないんだけど」
「う…と、それは…」
「ほら何も言えなーい」
確かに、年々実力をつけて人気があがっていく五条の仕事は忙しく、互いに疲労はたまりぎみ。
加えて雅自身が照れ屋なこともあり、最近は恋人としての関わりを避け気味だったのは否めない。
申し訳なさそうに視線を逸らした雅に追い打ちをかけるように、気怠げに身を沈めていた五条がやや雅の方に乗り出した。
「それにさ、気付いてる?雅さんが打ち合わせどうこうでやたら食事に誘われる回数が増えたんだよね」
「や、それは普通でしょ。仕事が増えてるんだから」
「へえ。そろいも揃って、わざわざメインの僕がいない時に誘うのが普通?」
「五条君は仕事で疲れてるだろうからって…」
「いやいやないでしょ。自分の関わる仕事の打ち合わせに呼ばれないなんて心証悪くなるもん。本人の機嫌損ねるなんてあり得ない。雅さんって仕事のための人付き合いとか気にするくせに本当そういうとこ疎いよね。ああ、逆にそれを利用されてるのかな」
まあそういう一直線なところも魅力なんだけど。
珍しくペラペラと止まらない五条の語りに、少し胸がざわつく。
彼は自分のペースで一方的に喋ることはあるが、今日は何だか饒舌過ぎる気がした。
珍しく、何か焦っているのだろうか。
「だから、つまりは関係をばらしてしまおうと…?」
「ーまあ、ざっくり言うとそういうことかな。正直ムカつくんだよね、雅さんにまとわりつく視線とかも。安心してよ、ばれたところで僕の人気は揺らがないから」
「…五条、」
「なに。さすがに呆れちゃった?これでも、色々考えてくれてるのに邪魔ばかりしちゃって悪いとは思ってるんだよ。でも僕にとって一番優先すべきなのはー、」
「もういいよ、ごめんね」
「!」
自分にしても珍しく、言葉を被せて彼の音を遮る。
上半身だけを起こした状態から下肢を降ろして座り直し、隣に位置する五条の背中に両手を回した。
雅から触れてくることは滅多にないため、それだけでその動きは面白いくらいにピタリと止まる。
「不安にさせて、ごめん。二人の時間については努力するし、仕事関連の人間関係も気をつける」
「…」
「…だめ?」
普段のノリを知っている身としては、少しの沈黙も不安を煽った。
反応が返ってこないことに恐る恐る上目遣いに見上げると、片手で目元を抑えた五条が盛大に溜息をつく。
「ーあーあ、ずるいよねえ雅さんは」
「…ずるい?」
「うん、ずるい。今日はちょっと泣かせるくらいせめてやろうと思ってたのに。あ、もちろんちゃんとその後で甘やかすつもりだったよ?」
いや、聞いてないです。
なんだかとんでもないことを暴露されている気がするが、通常運転に戻った彼に安心した。
緩く口元を崩す雅の肩甲骨に、そっと手が添えられる。
「撮影中もさあ、正直もっと取り乱してくれるのを期待してたんだけど。雅さんのプロ魂なめてたよ」
「私が焦るのを見て楽しむつもりだったんだ?」
「うん、否定はしない」
「そこはしてほしかったかな」
清々しいほどの回答に怒りも通り越してふにゃりと笑っていたが、不意にするりと腰に回された腕に雅の身体が強張った。
「…ん?あれ…?」
いつの間にやらしっかり抱き寄せられている状況に、困惑が生まれる。
なんとも自然な流れで、全く身動きがとれなくなっていた。
せめてもと彼の背中に回している手をゆっくり引き戻そうとするが、首筋に唇が寄せられて逆にしがみつく形になってしまう。
言葉もでない雅の耳元で、いつもの低いトーンが甘く響いた。
ま、そういうことで。
「これからは、仕事と同じくらい僕にも一途になってよ」
きっとそう、どう足掻いても手のひらの上
(えっと、とっくに一途ですけど)
(いやいや、僕に比べたらまだまだ足りないね)
おもいくらべ。