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雅は心底げんなりしていた。
やたら親しげに肩を抱き寄せてくる男に、笑みを崩さないことで精一杯だ。
「なあ、いいだろ?今日こそ夕食付き合ってくれよ」
「いえ…今日はこのあともう一件五条の仕事がありまして」
「じゃあそれが終わった頃に連絡するからさ、また合流ってことで。もちろん迎えに行くよ」
遠回しな拒否に気付いているのかいないのか、尚続く交渉に流石に口元が引きつってくる。
断りたいのは山々だが、彼は今の仕事に関わりの強い人物であるため、下手をすると担当モデルの仕事に影響が出かねない。
今回は腹をくくって行くしかないか。
仕事をでっち上げて逃げられたなら一番だったが、数回使っているため相手も慣れてきているようだ。
五条を帰してから適当にあしらう方向かな。
そこまで思考をまとめ溜息と共に諦めの承諾を出そうとするが、不意に腕を引っ張られたことで男との距離が空いた。
「え?は!?」
慌てて状況把握に努めるが、目に入った異性の手は見慣れたそれで、ますます焦る。
このままではややこしくなってしまう。
「お、おい。なんだお前…!」
「あーハイハイすいません、マネージャーがいないと俺次の仕事行けなくて。じゃあな」
やはりというか、困惑する相手も雅の抵抗も関係無しに、腕を掴む人物ー五条悟はその恵まれた足の長さでどんどん距離をあけた。
引きずられるようについていかねばならない雅からすれば、堪ったものではない。
「ちょっと五条…!」
「ぐだぐだ言うヒマねぇだろ。“仕事が“おしてんだから」
「っう。だって、その…!」
「話は車の中で」
いつも通りすっぽり言いくるめられると、地下駐車場の自車まで戻った。
運転席に座ろうとするが、すかさず五条に後部座席に押し込まれ、あっという間に密室ふたりきりのシチュエーションが完成する。
思わずこめかみを押さえて、これでもかというほど密着してくる身体を押し返した。
「…あのね、五条。自分の立場を考えて。こんなところ、誰がどこで見ているか分からないんだよ?」
「知るかよそんなもん。つーかさっき押し切られそうになってただろ。あんなのにホイホイついていったらどうなるかも分かんねーの?」
「ちゃんと上手く帰るから。それよりも五条の仕事に影響が出る方が困るでしょ」
「ふーん…。今まさに、俺から逃げられない状況になってんのに?」
「っそ、れは」
元々狭い車内では逃げ場なんてあるわけもない。
手足の長い五条が囲むように覆い被さってしまえば、身動きすら難しくなった。
唇すれすれまで顔を近づけられて反射的に腹部目がけて膝を繰り出すが、なんなく躱される。
その上彼の膝が入り込んだせいで足の自由まで奪われてしまった。
「はいゲームオーバー。ってか容赦ないね、一応仕事上は大事な商品なのに」
「あんまり大人をからかわないで。どうせ当たるとも思ってないくせに」
「大人って、雅さんと3歳しか違わないじゃん。拗ねるなよ」
クックと楽しそうに喉で笑ってから、すんなりと身体を離してシートに座り直す。
少し窮屈そうに足を組むと、サングラスを外して大きく伸びをした。
相変わらずその素顔は作り物かと疑うくらいに整っている。
「あー今日も終わった終わった。で、これからどこ食いに行く?」
「…帰ります」
「なに、まだ怒ってんの?ちゃんと俺が奢るから」
「そう言う問題じゃないよ。そもそもご飯行くなら私が出すし、奢られる義理はない」
「…まさかさっきのやつと食事したかったわけじゃねぇよな。あんなのより俺とデートした方が絶対楽しいと思うけど」
じっと見つめてくる碧眼から目をそらすようにそっぽを向いた。
この生意気な新人モデルの担当マネージャーになってから、自分の何がそんなにお気に召したのか。
ことあるごとにこういうアプローチをされ、正直仕事に集中できない。
本人の人気が凄まじく仕事が降って湧いてくるため今のところ困りはしないが、心臓に悪い上、先ほどのような行動ばかりではそのうち悪い噂が広がって支障がでるだろう。
自分も服装の乱れを整えて姿勢を正してから、言葉を選びながら宥めた。
「何回も言ってるけどね…この業界じゃ人間関係がものを言うから付き合いもある程度大事だし、五条も私と変な噂でもでると本当にやばいんだよ?」
「…変な噂って?」
「え。そりゃ付き合ってるとか…」
「それの何がまずいのか全く分かんないんだけど」
「スキャンダルなめんなよ新人め」
話にならない。
少しむすっとしながら運転席に移るためにドアノブに手を掛けるが、背後から伸びてきた手に拒まれた。
自分の手をすっぽりと覆ってしまう手やぴったり背中に這う温度に不覚にもときめいたが、いや違う違うと首を振る。
「雅さん、こっち向いてよ」
「だから…っ、!」
このままではキリがないため多少なり強くでるつもりで振り返って、そこで唇を掠める温度に停止した。
視界いっぱいにツルツルの素肌が広がり、長い睫毛があたってくすぐったい。
いや美肌すぎだし睫毛の長さどうなってるの。
なんて考える余裕があるくらいには、他人事だった。
しかしそれも数秒のことで、感じていた体温が離れた瞬間に現実感がぶり返す。
思わず加減も忘れて突き飛ばそうとするが、びくともしなかった。
「な、に考えて…っ」
「−そっちこそ、いつまで冗談だと思ってんの?毎回流されるこっちの身にもなれよ」
「っ」
抗議をしようにも、至近距離でみる碧眼から目が離せない。
始めのじゃれ合いのような寸止めは今までも何度かあったが、実際にキスまでされたのは今回が初めてだ。
真剣な目で笑う彼に、冗談でしょ。なんて言葉は出てこなかった。
全身に血液が駆け巡って、動悸がする。
やや涙ぐむ雅に構わず更に重ねる手の密着度を上げた五条は、妖艶に唇の端を引き上げた。
「俺はさ、モデルの仕事とか正直どうでもいいんだよね。雅さんにそれを理由に逃げ続けられるくらいなら今すぐ辞めたっていい」
この表情といい雰囲気といい、今ならもれなくカメラマンの連写が止まらないに違いない。
いやそれ仕事で発揮してくれよ。
年齢にそぐわぬ色気に、呼吸も忘れて呟く。
「そんなの、許されるわけない…」
「誰の許しもいらねぇよ。まあそういうわけだから、」
するりと指の間に長い指が入り込んでくる。
−これからは覚悟して。
仕上げに耳元に落とされた音に、本格的に意識が吹き飛んだ。
既にあなたで充ち満ち溢れている
(って、これで意識飛ばすとかどんだけ免疫ないんだよ)
(こうなるからまともに取りあいたくなかったのに…!)
おはよう、おやすみ。