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何がどうしてこうなった。
眩しいライトの下、ずらりとスタッフ達に囲まれて雅は固まっていた。
メイク担当の女性が軽く雅の髪を整えて、仕上げにニコッと笑うとその場から離れる。
「はい、じゃあマネージャーさんはそのままで。顔は映らないのでリラックスしてね。五条君は適当に動いて。とりあえず撮りまくって良いショット選ぶから」
カメラマンの説明に背後で軽く返事をした五条が、おろした雅の黒髪に軽く触れた。
少しカサつく指先が耳を掠めるだけで、肩が上がりそうになるのを必死に我慢する。
「ー雅さん、もしかして緊張してる?」
いつも通り喉を震わすような笑いが空気に滲んで、動かないように最新の注意を払いながら小声で猛抗議する。
「っ当たり前でしょ…!こんなの性に合わない」
「でも似合ってるよ。終わったらこのままデートしない?」
「衣装借り物。ばか言わないで」
「僕の顔使えばちょっとくらい融通利くでしょ。なんなら買い取ってもいいし」
「うん、撮影に集中して?」
「してるしてる。コンセプト通り、雅さんしか見えてないから」
「っ、…」
冗談のようなノリで次々繰り出される甘党仕様の言葉には、未だに慣れない。
あれから結局十年近くたつが、彼との仕事上の関係は変わらず続いていた。
プライベートとしても付き合う付き合わないの話はしていないが、事実上は世間の恋人達と変わらない状態だろう。
「大体、五条が余計なことを言うからこんなことに…」
「いやいや、僕は“このジュエリーには黒髪のモデルの方が合う気がします“って助言しただけだよ。たまたまその場にいた黒髪の女の子が雅さんしかいなかっただけでしょ」
それとも、仕事を成功させたくて口を出すのが悪いことだった?
なんて聞き返されれば、口を噤むしかない。
本日はジュエリーの特集雑誌の撮影で呼ばれ、五条にきた依頼は、女性にネックレスを着ける男性のショットだ。
コンセプトは“君しか見えない“。
そのコンセプト通り、繊細ながら光の加減でキラキラと輝くそれは女性受けしそうだ。
それを彼のようなずば抜けた容姿の男性につけてもらう、というシチュエーションであれば、雑誌もジュエリーの売れ行きも確実。
なんとも夢のある企画である。
昔は色々苦労もしたが、年を重ねるごとに五条も一人称や喋り方を改め、大人の対応を身につけてきた。
現場で問題を起こすことも激減したため今回も無事に終わる予定だったが、それは見事に粉砕された。
先ほどの会話通り、五条の一言で雅に白羽の矢がたってしまったのである。
五条が口を出すことは珍しいため、今後も彼を使いたい会社側のご機嫌取りの意向が8割、そして案外その意見も的を得ているということでほぼ即決した。
元々女性側は顔も出さないため、求められる条件は肌や首元が美しいことだけ。
その点、雅は仕事上身だしなみや身体のケアには気を遣っていたため、その条件は軽々クリアしてしまったのだ。
本人の意見など蚊帳の外で、あれよあれよという間に着替えとメイクが施されて撮影場所に引っ張り出されてしまった。
普段は一つにまとめ上げている髪は肩甲骨に触れ、着慣れたスーツ姿もワンピースに変わり、正直気が気じゃない。
オフの日ですら見せたことのない姿を晒すのは心情的に拷問に近い。
一方、元凶である五条は大層お気に召している様子であり、見るからに上機嫌で周りのスタッフのざわめきが耳についた。
うんうん分かる、顔だけは最上級だもんね。
思わず遠い目をするが、後ろ髪が五条の手で左サイドへと全て流されることで我にかえる。
いくら顔が映らないといっても、仕事のプロとしては集中力を欠くわけにはいかない。
今回のメインであるジュエリーが首元に回され鎖骨にかかるのを感じて、気持ち姿勢を正した。
しかし、首に掛けているだけで中々後ろでつけられる様子がない。
「…?」
カメラマンへの配慮か、彼なりの空気づくりか、何か他に狙いがあるのか。
うなじに感じる視線に落ち着かなくなり、催促しようと口を開き掛けるが先を越された。
「雅さんはさ、なんでこういう格好しないの?休みの日でも着ないよね」
「え?うーん…まあ見せたい相手もいないし」
「僕がいるじゃない」
「その自信は一体どこから。五条とは一緒にいすぎて今更感が否めないというか…」
「いやいや、刺激はいつまでたっても必要だよ」
ーこんな風に。
「っ、ちょ!?」
耳元に吐息を感じた刹那、耳朶に熱を感じて飛び上がりそうになった。
カメラからは死角だったのが幸いだが、本番中である手前、下手な動きはできない。
ぐっと押さえ込むと、暴れる心臓を鎮めるために静かに深呼吸を繰り返した。
「…さっすがプロ。そうこなくっちゃね」
降ってきた軽い音には流石に怒りしか湧いてこない。
「あとで覚えておいて」
「怖い怖い」
絶対思っていないだろうという軽快さで笑う五条は、今度は分かりやすく雅の後頭部に口付けた。
ふざけていても、そこは今となってはこの業界のカリスマだ。
間の取り方や人目を惹く表情、動きはお手の物で、その場の全員が彼一人に呼吸すら忘れて魅入るのが空気で分かる。
浴びせられる光と音がえげつなかった。
長年の付き合いで慣れている雅ですら、その独特の雰囲気にあてられてしまうのだから仕方がない。
周りが固唾をのんで見守る中。
髪の感触を堪能するように瞳を閉じていた五条の碧眼がゆるりと現れ、ゆったりとした動きでネックレスの留め具をはめこんだ。
これで一連の動作は終了したはずだ。
スタッフ達の反応も見るからに良好であるし、あとはカメラマンの指示したポージングでも数枚撮れれば満足してもらえるだろう。
やっと解放されると肩の力を抜いた瞬間に、ハハッと嫌な予感しかない笑いが空気に滲んだ。
「なーに勝手に終わった気になってんの、これから最後の仕上げ。ー…動くなよ?」
リアクションをとる間もなく、するりとネックレスから離れた指先が雅の両肩を捉え、唇がうなじに寄せられる。
「っ!…っ」
あまりにも不意打ちなそれに意識の全てがもっていかれた。
女性スタッフの声にならない叫び声も、まるで違う空間のような遠さで聞く。
放心状態の雅に対し、あてが外れたのかやや残念そうに唸る五条が茶化すように手を伸ばした。
「凄いじゃん、本当に動かなかったね」
えらいえらい。
ポンポンと頭に手を置くも、何の反応も返ってこないことに首を傾げる。
これは調子に乗ってやりすぎただろうか。
本格的に怒らせてしまったかと顔をのぞき込もうとするが、瞬間ぐらりと傾く身体。
考えるより先に受け止めて、一気に騒然とする現場に反省した。
「…やっぱりやりすぎたみたいだね」
きっとそう、どう足掻いても手のひらの上