キミのすべてを丸呑もう
◇
はあ。
自分の吐き出した息が白く空気に溶ける様を見送っていた夏油は、不意に振り向いた。
待ち人が来たらしい。
「夏油さん!待ちました!?」
息を弾ませて駆け寄ってくる少女に少し困ったように瞳を細めた。
「雅ちゃん、毎回言っていることだけどその流れは…、」
「今日は更に余裕を持って二時間前に出てきたんですけどやっぱり重なりに重なって、えぇええああ!?」
「はいはい」
すってーん。
恐らく効果音をつけるならばこんな感じだろう。
なぜか雅の足下に向けて全速力で転がってきた空き缶に足をとられ、思い切り後方に傾いた身体はそのままいけば背中強打の体勢だった。
しかしそんな光景をすっかり見慣れた夏油が、素早く近づいて支えたため事なきを得る。
彼が高身長のため、すっぽり抱きかかえられる形になった雅は引きつった顔で笑った。
「っすが、夏油さん…ないすキャッチ…」
「毎回見ているからね。私がいることで安心してくれるのは嬉しいけど、さすがに心配かな。そろそろ“ゴール手前でも歩く”ことを覚えようか」
「はい。毎度ありがとうございます…実は最近は結構できてきているんですよ?でも夏油さんを見るとつい、うずうずしちゃって」
「…まあ今回も怪我がなくて何よりだ」
シュンと項垂れるつむじに眉を顰める。
このままではいつ大怪我をするか分からない。
できるだけ穏やかに叱るも、大抵この手の言い訳にやられるのだ。
悟に見られたらまた笑われるな。
一度このやり取りを見られたときに、誰だテメェはと爆笑してきた親友を思い浮かべて自嘲する。
雅は、とにかく不幸体質だった。
常に誰かに運を分け与えているのでは、と疑うくらいには日々ハプニングに見舞われている。
「それで、今日はどうしたんだい?」
「そう、ちょっとお願い事があって」
やや深刻な面差しを見せた彼女に、首を傾げた。
こんな境遇にもめげずに底抜けに朗らかに生きている雅のこんな表情は滅多に見ない。
胸騒ぎを覚えながら見守る夏油の前に、紙袋がそろそろと差し出された。
「これ、見てもらえませんか」
「…うん?」
話を聞くに、バレンタインに向けて猛特訓中らしいのだが、彼女の周りの人間には味見はさせられないのだとか。
それだけ聞けば大方察しはついたが、黙々と紙袋の中身を確認した夏油は納得したように頷いた。
見た目からして、中々に躊躇する物体が出てきた。
「ちょっと健康保障ができないので食べるのはオススメしないんですけど、夏油さんなら何かアドバイスくれないかなって」
既に誰かに何かが起きたのか。
視線が泳ぎ気味なパティシエを前に、ごく自然にそれを口に運ぶ。
「ってなんで食べ、え、話聞いていました!?大丈夫ですか!?」
ーああなるほど。
口元を片手で被っているため、無理しているように見えたのかもしれない。
顔を蒼白にして行き場のない手を泳がせる雅とは対照的に、夏油は秘やかに唇の端を引き上げた。
これは確かに、中々に衝撃的な味だ。
一般的な味覚では荷が重いかもしれない。
見た目通りかそれ以上の破壊力のそれを、ごくりと嚥下した。
「ぇ、ちょっと夏油さん?今ならまだ間に合うかも…吐き出してもらっていいですから!」
「ーうん、これはこれで都合がいいかな」
「へ?」
「いや、こちらの話だよ。確かに面白い味付けだけど…知っているだろ?個性的な味には人より慣れているからね、何も問題ない」
「嘘だぁ…」
一般人ながら視ることだけは長けている雅には、自分の術の特性はざっくり教えてある。
呪霊を取り込むときのあの味に比べれば、なんてことはないのだ。
それよりも、先ほどの説明の中で自分の胸に引っかかったのは、これが誰のための準備かということだった。
どこの誰だか分からないヤツに彼女の手作りを美味しくいただいてもらうくらいなら、このままでいてくれた方が心中穏やかでいられるだろう。
己の人間味溢れた本性を自覚してニヤけたのち、唇の形を整えて片手を外す。
もはや泣く寸前にまで涙をためこんでいる双眼に吹き出すと、空になった紙袋を返すついでにその白い指先に触れた。
緊張と寒さで温度を失ったそこに、熱を送るように握りこむ。
目に焼き付くつむじに触れるほどに唇を寄せると、白い温度が微かに震えた。
「なんならこの先君が作るモノは全部私が食べるから」
薄く微笑むと、軽く見開いた黒目からはボロリと大粒が零れ落ちる。
「っ…はい!わたし夏油さんと一緒のお墓に入ります…!」
「え、多分そこまでは言ってないけど。まあいいか、それで」
キミのすべてを丸呑もう
(だから私のすべてを受け入れて欲しい)
(初めから、貴方に食べてもらうためだったのに)
ゆめゆめ、ごちそうさまでした。
2021/01/23
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