互いの唇に彩り
◇
「はあ…」
部屋に響いた雅の溜息に、隣でごそりと袋を漁る五条が不思議そうに顔を上げた。
「なになに、溜息なんかついちゃってどうしたの雅」
「いや、なんでも」
「もしかして口紅の色が気に入らなかった?」
「ううん、口紅の色はかわいい」
「でしょー僕天才」
で、どっちからつける?
楽しそうに差し出された二本の口紅を前に、じっとりと黙る。
つい先ほど、五条と共に買ってきたものだ。
否。正確に言うならば、五条が選んで彼が買ってくれたものだ。
口紅が欲しいから一緒に選んで欲しいと誘って、快諾がでたまではよかった。
しかし、店に着いてみれば試し塗りのひとつもさせてもらえず、「はい、コレとコレね。買ってくるからちょっと待っててー」と秒速で選んでレジに向かってしまったのである。
お金も受けとってもらえなかった。
はて、私がいた意味とは?
あれが似合うこれが似合うと、色々試しながら好きな人に口紅を選んで貰うのはちょっとした夢だったのだ。
さようなら私の理想のショッピング。
「…センスは認めるけど。でもやっぱり試し塗りくらいさせてくれてもよかったよね」
少しいじけたように声をあげてみれば、真剣な顔でガン見される。
「え、何言ってんの。あんなところで塗ったら、帰り道で誰に見られるか分かったもんじゃないでしょ」
「いや、五条さんが何言ってるの。そこまで自意識過剰じゃないから」
「ってか僕以外に見せる必要がある?」
「だからその自信は一体」
的確に突っ込みながらも、これは本気の顔だと肩を落とした。
それよりも、気になることがひとつ。
「…あの、五条さん…なんか、ちょっと近い」
先ほどから確実に縮まっている距離に、反射的に両手を前に背中を反らす。
しかし既にソファに身を預けてしまっている以上、これが限界だ。
逃げ腰の雅に対し、五条にとっては予想内の反応だったのか嬉々と笑みを深めた。
「ん?だって近づかないと塗れないからさ」
「いやいやいや待って!?自分で塗るからいいよ!」
「そう遠慮するなよ」
「断じて遠慮とかじゃないから、っん…」
あっという間に追い詰められて、唇に彼の指が滑る。
スティックから直接ではなく、一度指先にとった紅を塗り込む形にしたらしい。
後頭部で固定する手は優しいくせに、全く身動きがとれない鬼畜仕様。
親指が輪郭をなぞる度にぞくぞくするような、むずかゆい感覚が脳内を刺激した。
「うーん、やっぱりこっちのやり方のが色づきが淡くていいね」
「い、ったん離して…」
「あれ、もう限界?」
余裕全開の表情で解放されたときには完全に熱が顔に集中しており、慌てて手のひらをあてて冷ます。
相変わらずの横暴さに一言物申してやろうと口を開けるが、出るはずだった音は次の瞬間に変えられた。
差し出された鏡に映る姿に、思わず感嘆の声が漏れる。
「え…すごい、なんて言うか顔色から違う」
普段は選ばないやや明るめのピンクだったが、指で塗ったせいか肌のトーンにも馴染んでいた。
そもそも筆も使わずこの見事な仕上がりは何なんだと、少し恨めしく思ってしまう。
どうどう?すごいでしょ?と得意気な五条に鏡を返し、照れ隠しも兼ねてはにかんだ。
「五条さん、センスもだけど塗るのも誰より上手だね。…もしかして昔誰かに塗ってあげたりした?」
なんてね。
後半部分はちょっとした反撃、冗談交じりの皮肉だ。
女友達によく遊びがてら塗られていたのを思いだし、記憶上で比較しながらクスリと笑みをこぼす。
しかし、それに何か思うことがあったのか。
雅から見ても明らかに空気が変わった。
「…へえ。もしかして妬いちゃった?」
「なんで!?」
目隠しまでおろして、完全にスイッチが入っている五条に冷や汗が伝う。
未だに彼の地雷がよく分からない。
「言い忘れてたけど、僕といるとき以外はつけるの禁止。ってか毎回僕が塗るから、これは預かっとくよ」
「え!いや、出掛けるときは、」
「普段のリップでいいんじゃない?」
「普通逆だと思います!」
「嫉妬深い男なんてみんなこんなもんでしょ」
再度迫ってくる五条に対し気持ち後退りながら、その言葉にははたりと止まる。
「…五条さんって、嫉妬深かったの?」
「なるほどそこからね。これからは気をつけないと、僕超嫉妬深いよ?」
教えてあげる。
なんて聞いたのが最後、足らぬ酸素に目眩がした。
互いの唇に彩り
(もう一本、このまま試し塗りいこうか)
(すいませんちょっと休憩で)
ピンクとオレンジ。
※スイッチオンの理由:
・想像以上に似合っていたのと表情にぐっときたから。
・「誰より」の言葉選びから、自分以外にも塗ってもらったことがあると解釈(答え:女友達)。
2021/02/10
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