◇
ドサリ。
いつものように自宅の扉を開けた火神は、絶句した。
気だるそうに手にしていた鞄が滑り落ちるが、それを気にする余裕すらない。
靴も脱がずに上がり込んだ。
「オイ!」
床の間へのドアから覗く、白い手へと駆け寄る。
床へ横たわる身体を確認すると、慌てて抱き起こそうとするが、手を伸ばした瞬間にピクリとその頭が上がった。
「…あ。大我くんお帰りー」
へにゃりとした笑顔に、火神はドッと疲れたように息を吐く。
「何でこんなとこで寝てんだよ?」
「あはは、ちょっと転んじゃって」
「…見りゃ分かる」
彼女の足元でカーペットが大きく捲れ上がっているのを目にして、軽く眉をひそめる。
全く、転ぶ姿が目に浮かぶ。
額が赤くなっているところを見ると、また頭から突っ込んだのだろう。
手の使い方を知らないのだろうか。
寧ろ反射的に出るべきはずのものが何故でない。
呆れたように肩を落とす火神を、雅はそっと見上げた。
「それでね、足くじいたみたいで」
運んでくれると嬉しいなー。
何とも脳天気な声色で言われた台詞にピタリと動きを止める。
「それを早く言え」
素早く雅を近くのソファーまで運ぶと、直ぐに足の状態を確認し始める。
彼の知り合いがこの場にいたならば、その扱いの丁寧さに驚いたことだろう。
それくらい、火神は雅を大切に想っていた。
昔から何かと目の離せない姉だ。
家事が出来て、頭も良くて、人当たりも良い。
そんな理想的な女性だが、唯一、運動神経が破滅的に悪かった。
よく何もない所で転んではあちこちに傷を作っていた。
血の気が多い火神を止めるのは雅の役目で、雅の怪我を最小限に抑えるのが火神の役目。
小さい頃からずっと一緒で、互いを補ってきた。
思ったより腫れていないことに安堵し、とりあえず氷をと立とうとすれば、服を引っ張られる。
「大我くん、靴くつ」
「あ?…ああ」
促されて見てみれば、履いたままの外履きが目に入った。
自分のルートに沿って綺麗についた足跡に、バツが悪そうに視線を反らす。
相変わらず、姉のことになると周りが見えなくなるらしい。
自覚はしているが、ここまでいくと文句なしのシスコンだ。
「わりぃ、後で拭いとく」
気まずそうに靴を脱ぐ火神に、雅は嬉しそうに微笑む。
昔から、困っている時には一番に飛んで来てくれた弟。
いつの間にか大きくなって、いつか離れていってしまうんじゃないかと思っていた。
彼女なんて出来たら、今ほど構って貰える確証なんてきっとない。
「大我くん」
「何だよ?」
「夕食、何がいい?」
「…姉貴の作るもんなら何でも食うよ」
照れたように首に手をやって、ぶっきらぼうに答える姿を見る限りは、まだ大丈夫らしい。
フワリと笑う雅を見ると、火神は今度こそ立ち上がった。
「氷とってくる。大人しくしとけよ」
「はいはい」
その返事を耳に入れながら、台所へと向かう。
その際に、自分のポケットから落ちたモノには気付かずに。
―ガラガラ。
火神がビニール袋に氷を詰めていると、隣の部屋から微かに鼻歌が聞こえてきた。
普段からのほほんとした雅はよくハミングする。
場所や時間も問わない為、彼女の鼻歌は色々な所で聞かれ、これがまた密かに近所に好評だったりした。
今日は一段と楽しそうだ。
思わずつられて笑うと、詰め終えた氷を片手に戻る。
扉をくぐるその前に、ふと鼻歌が途切れた。
「…?」
疑問に思いながら部屋を覗く。
「オイ、何かあっ…」
言葉は、続かなかった。
雅が視線を落とす紙を見た火神の顔から、血の気が引いていく。
慌ててポケットを確認するが、あった筈の物はなく。
恐る恐る顔を上げると、笑顔の雅と目があった。
その手には、破滅的な英語のテスト。
帰国子女というにはあまりに酷い点数だ。
「大我くん」
「…ハイ」
ダラダラと冷や汗を流す火神に向けて、雅は笑顔のまま軽く首を傾げた。
普通に見れば可愛らしいそれは、火神から見れば何より恐ろしいものだ。
―彼女は、勉強面に関しては厳しかった。
「一緒に勉強しよっか?」
「………ハイ」
姉貴にだけは敵わねぇ。
氷がパキリと音を立てた。
お手柔らかにお願いします
(いつだって笑ってて欲しいんだよ)
(甘えられるうちに甘えさせてね?)
笑って、笑って。
ドサリ。
いつものように自宅の扉を開けた火神は、絶句した。
気だるそうに手にしていた鞄が滑り落ちるが、それを気にする余裕すらない。
靴も脱がずに上がり込んだ。
「オイ!」
床の間へのドアから覗く、白い手へと駆け寄る。
床へ横たわる身体を確認すると、慌てて抱き起こそうとするが、手を伸ばした瞬間にピクリとその頭が上がった。
「…あ。大我くんお帰りー」
へにゃりとした笑顔に、火神はドッと疲れたように息を吐く。
「何でこんなとこで寝てんだよ?」
「あはは、ちょっと転んじゃって」
「…見りゃ分かる」
彼女の足元でカーペットが大きく捲れ上がっているのを目にして、軽く眉をひそめる。
全く、転ぶ姿が目に浮かぶ。
額が赤くなっているところを見ると、また頭から突っ込んだのだろう。
手の使い方を知らないのだろうか。
寧ろ反射的に出るべきはずのものが何故でない。
呆れたように肩を落とす火神を、雅はそっと見上げた。
「それでね、足くじいたみたいで」
運んでくれると嬉しいなー。
何とも脳天気な声色で言われた台詞にピタリと動きを止める。
「それを早く言え」
素早く雅を近くのソファーまで運ぶと、直ぐに足の状態を確認し始める。
彼の知り合いがこの場にいたならば、その扱いの丁寧さに驚いたことだろう。
それくらい、火神は雅を大切に想っていた。
昔から何かと目の離せない姉だ。
家事が出来て、頭も良くて、人当たりも良い。
そんな理想的な女性だが、唯一、運動神経が破滅的に悪かった。
よく何もない所で転んではあちこちに傷を作っていた。
血の気が多い火神を止めるのは雅の役目で、雅の怪我を最小限に抑えるのが火神の役目。
小さい頃からずっと一緒で、互いを補ってきた。
思ったより腫れていないことに安堵し、とりあえず氷をと立とうとすれば、服を引っ張られる。
「大我くん、靴くつ」
「あ?…ああ」
促されて見てみれば、履いたままの外履きが目に入った。
自分のルートに沿って綺麗についた足跡に、バツが悪そうに視線を反らす。
相変わらず、姉のことになると周りが見えなくなるらしい。
自覚はしているが、ここまでいくと文句なしのシスコンだ。
「わりぃ、後で拭いとく」
気まずそうに靴を脱ぐ火神に、雅は嬉しそうに微笑む。
昔から、困っている時には一番に飛んで来てくれた弟。
いつの間にか大きくなって、いつか離れていってしまうんじゃないかと思っていた。
彼女なんて出来たら、今ほど構って貰える確証なんてきっとない。
「大我くん」
「何だよ?」
「夕食、何がいい?」
「…姉貴の作るもんなら何でも食うよ」
照れたように首に手をやって、ぶっきらぼうに答える姿を見る限りは、まだ大丈夫らしい。
フワリと笑う雅を見ると、火神は今度こそ立ち上がった。
「氷とってくる。大人しくしとけよ」
「はいはい」
その返事を耳に入れながら、台所へと向かう。
その際に、自分のポケットから落ちたモノには気付かずに。
―ガラガラ。
火神がビニール袋に氷を詰めていると、隣の部屋から微かに鼻歌が聞こえてきた。
普段からのほほんとした雅はよくハミングする。
場所や時間も問わない為、彼女の鼻歌は色々な所で聞かれ、これがまた密かに近所に好評だったりした。
今日は一段と楽しそうだ。
思わずつられて笑うと、詰め終えた氷を片手に戻る。
扉をくぐるその前に、ふと鼻歌が途切れた。
「…?」
疑問に思いながら部屋を覗く。
「オイ、何かあっ…」
言葉は、続かなかった。
雅が視線を落とす紙を見た火神の顔から、血の気が引いていく。
慌ててポケットを確認するが、あった筈の物はなく。
恐る恐る顔を上げると、笑顔の雅と目があった。
その手には、破滅的な英語のテスト。
帰国子女というにはあまりに酷い点数だ。
「大我くん」
「…ハイ」
ダラダラと冷や汗を流す火神に向けて、雅は笑顔のまま軽く首を傾げた。
普通に見れば可愛らしいそれは、火神から見れば何より恐ろしいものだ。
―彼女は、勉強面に関しては厳しかった。
「一緒に勉強しよっか?」
「………ハイ」
姉貴にだけは敵わねぇ。
氷がパキリと音を立てた。
お手柔らかにお願いします
(いつだって笑ってて欲しいんだよ)
(甘えられるうちに甘えさせてね?)
笑って、笑って。