◇
「あー…さみー」
呼吸に合わせて吐き出された白い靄が風に流されるのを眺め、無意識にマフラーで口元を覆う。
学校を飛び出した高尾は、順調に雅の家へと向かっていた。
吃驚させようと思って、敢えて連絡はいれていない。
まず彼女の場合、自分のせいで高尾が学校をサボっただなんて分かった日には責任を感じて悩むことだろう。
何かお見舞い品を買っていこうと思ったものの、そんな彼女の性格を把握している高尾は結局手ぶらで会いにいくことにした。
暫く歩くと、見覚えのある赤い屋根が見えてくる。
「お、着いた着いた」
『飴凪』と彫られた門の前で立ち止まると石段を上がり、ドアの横のインターホンに手を掛けた。
中で軽快な音楽が響くのが微かに聞こえ、パタパタと足音が近付いてくる。
それを聞いてから、親がいる可能性を考えていなかった事に気が付いた。
もし母親なんかが出たら、この時間に制服で此処にいることをどう説明すればいいのだ。
悩む暇もなくガチャリと開けられたドアに珍しく焦るが、そんな考えは杞憂に終った。
「ッ高尾!?」
「…へ?」
ドアから顔を出したのは紛れもなく雅で、しかしそれを喜ぶ前に高尾は素っ頓狂な声を上げる。
ああ元気そうで良かったななんて思いはすっかり流され、その姿に思考を奪われた。
そんな高尾に対し、彼の思わぬ訪問に驚いた雅は反射でドアを閉めようとする。
「ちょ、ストップストップ!」
通常なら反応できないようなスピードだったが、バスケで鍛えた反射神経は今の高尾にとって大いに役立った。
ガッ。
考えるより先に身体が動き、片足をドアの間に滑り込ませる。
挟まれた部分が少しジンジンするものの、とりあえず閉め出されて今日1日会えないという最悪事態は免れた。
しかし、ホッと安堵の息を吐いたのも束の間。
―ガンッ。
「うお!?」
間もなく勢いよく開いたドアに、身体を大きく退け反らせる。
容赦のないスピードの板が、ビュンと音を立てて顔スレスレを通り過ぎた。
避けた自分に拍手を送りたい。
そして、そんな自分の反射神経を見越した上での行動だと、思いたい。
顔を引きつらせた高尾は、バアンッ。と勢い余って壁に叩きつけられるドアを見届けながら、暴れる心臓を上から押さえ付けた。
一呼吸おいてドアの内側へと顔を向けようとするが、その前に、努声が鼓膜を揺らす。
「バカ高尾ッ、足入れ込むなんて信じらんない…!」
慌ててそちらを見ればフルフル肩を震わせてこちらを睨みつけている雅がいた。
その瞳にはうっすら涙まで見え、それには流石に高尾も焦る。
そんなに自分と会うのが嫌だったのだろうか。
かなりのダメージを受けながらも謝罪の言葉を掛けようとしたが、その考えは間髪入れず続けられた雅の言葉に打ち消された。
「っ足怪我でもしてバスケに支障出たらどうすんの…!?」
「…ハイ?」
ああ何か今日は間抜けな声を出してばっかだなんて思いながらも、開いた口は塞がらない。
オイオイ待てよ?ってことは怒ってんのはオレが無理矢理会おうとしたことじゃなくて…。
「もっと自分の身体に気遣いなさいよ…」
言っている内に恥ずかしくなってきたのか、雅の声はどんどん小さくなった。
最終的にうつ向いてしまった彼女を見て、確信する。
「ッッッ〜あーもうムリ!」
「ば…!高尾ッ、」
思わず外であることも忘れて高尾は思い切り雅を抱き締めた。
顔を真っ赤にして身じろぎする雅だったが、男である高尾に敵うはずもない。
高尾もいつもなら何かと許可をとったり宣言してから行動に移すのだが、今回ばかりはそんな余裕はなかった。
理由は勿論、照れ屋な雅が素直に自分を心配してくれたこと。
そしてもうひとつー、
「(何コレ超かわいーんだけど…!)」
一目見た時から高尾の思考を奪った、雅の恰好だった。
いつも上半分を結った形の髪型はシンプルな二つくくりに変更しており、更にその身にはオレンジのエプロンを着けている。
いつもクールな雅の女の子らしい姿に、普段から彼女ラブの高尾がときめかない筈がなかった。
いつまでたっても離そうとしない高尾に、我慢の限界だと雅が一際大きな声を上げる。
「ちょ、高尾ッ、一旦離して!とりあえず中入ってよ」
「あ。わりぃ、…ん?」
必死に身をよじる彼女の言葉に此処が玄関前だということ思い出し、名残惜みながらも身を離そうとした高尾だったが、ふと動きを止めた。
不思議そうに首を傾げた後、雅の後頭部に手を回し再度引き寄せる。
「わ!今度はなに?」
「…何か甘い匂いがすんだけど」
「え!?」
高尾が呟いた言葉に、雅は過敏に反応した。
雅の可愛らしさに急激にテンションが上がってしまったせいで気付かなかったが、確かに彼女からは甘い匂いが香る。
勿論、香水類のものではない。
ドアの向こう―家の中からも、一層強く匂いを感じることに気付いた。
今日の日付に、エプロン姿に、甘い匂い。
それらが指し示すものに辿り着くのにそう時間はかからなかった。
「…もしかして、」
出した結論の答えを求めようと、回していた手を緩めて雅の顔を見る。
答えは、既に出ていた。
必死に反らした視線と、耳まで真っ赤に染まった顔。
うおーマジで!?
きゅんきゅんする胸を押さえて、再び抱き締めたくなる衝動を抑える。
これ以上やれば本当に雅に嫌われかねない。
そんな高尾に構わず、雅は彼に更なる試練を与えた。
「…、昨日から頑張ってるんだけど、上手く出来なくて」
視線を反らしたまま紡がれる言葉に、手がワナワナ震える。
ちょ、何コレ試されてんのオレ!?
真面目な雅が学校まで休んで自分にチョコを作ってくれている。
勿論、咎める気持ちなんてものはあるはずもなく、嬉しさで舞い上がる。
高尾はなけなしの理性をフル活動して、何とか冷静を装った。
「あー…今日学校休んだのもそのせいだったり?」
「ッ…、出来たら、届けるつもりだった」
「…」
更に赤みが射した雅の耳元を確認すると同時に、高尾の頭によぎる昨日のメール。
今まで悩んでいたのが嘘のように、スラスラと意味が繋がる。
ハート=「チョコはあげる」
ムンクの叫び=「苦手だけど」
つまり分かりやすく翻訳すると、『苦手だけど、頑張るから待っててほしい』
脳内で成立した公式に、最後の細い細い糸がプツリと虚しく音を立てた。
「あー、ヤバいって。ちょー好き」
ぎゅう。
先程よりも力を込めて抱き締める。
ふわりと、甘い匂いが高尾の鼻を擽った。
また抵抗されると思ったのだが、そんな高尾の予想は嬉しくも裏切られる。
「…バカじゃないの?」
言葉とは裏腹に遠慮がちに握られた服には、ギョッとする他なかった。
え、今日デレデレ!?
「…、オレもう毎日がバレンタインでいーんだけど」
何気なく呟くと、スルリと高尾の腕から雅が抜け出る。
急に離れた体温にブルリと身震いする高尾に背を向け、雅はスタスタとドアの内側に入った。
「そんなことになったら材料費勿体無いからもうあげない」
ここでツン!?
最近ツンデレの使い方が絶妙になってきてね?なんてどうでもいいことを考えながら、前方の雅を見つめる。
二つくくりの効果か、いつもと違う後ろ姿が新鮮だった。
キュン。
本日何回目か分からない胸の音に幸せを実感していると、ポカリと頭を叩かれる。
「風邪ひきたいの?寒いから早く中入って。暇なら手伝ってよ」
いつの間にか振り返った雅が、ドアから顔だけを覗かせてじっと睨んでいた。
しかし頬から熱が抜け切っていないため、全く迫力がない。
いや、寧ろかわいいんですけど。
弱ったようにガシガシ頭をかいて、足を進める。
バタン。
雅がドアが閉めたのを確認して、次の瞬間にはやっぱり笑顔で手を伸ばした。
抱き締める以外にどうしろって云うんだ
(なんかもう、心臓もたねーんだけど)
(ホントはもっと素直に好きって伝えたいよ)
甘い匂い、染み込んだ。
「あー…さみー」
呼吸に合わせて吐き出された白い靄が風に流されるのを眺め、無意識にマフラーで口元を覆う。
学校を飛び出した高尾は、順調に雅の家へと向かっていた。
吃驚させようと思って、敢えて連絡はいれていない。
まず彼女の場合、自分のせいで高尾が学校をサボっただなんて分かった日には責任を感じて悩むことだろう。
何かお見舞い品を買っていこうと思ったものの、そんな彼女の性格を把握している高尾は結局手ぶらで会いにいくことにした。
暫く歩くと、見覚えのある赤い屋根が見えてくる。
「お、着いた着いた」
『飴凪』と彫られた門の前で立ち止まると石段を上がり、ドアの横のインターホンに手を掛けた。
中で軽快な音楽が響くのが微かに聞こえ、パタパタと足音が近付いてくる。
それを聞いてから、親がいる可能性を考えていなかった事に気が付いた。
もし母親なんかが出たら、この時間に制服で此処にいることをどう説明すればいいのだ。
悩む暇もなくガチャリと開けられたドアに珍しく焦るが、そんな考えは杞憂に終った。
「ッ高尾!?」
「…へ?」
ドアから顔を出したのは紛れもなく雅で、しかしそれを喜ぶ前に高尾は素っ頓狂な声を上げる。
ああ元気そうで良かったななんて思いはすっかり流され、その姿に思考を奪われた。
そんな高尾に対し、彼の思わぬ訪問に驚いた雅は反射でドアを閉めようとする。
「ちょ、ストップストップ!」
通常なら反応できないようなスピードだったが、バスケで鍛えた反射神経は今の高尾にとって大いに役立った。
ガッ。
考えるより先に身体が動き、片足をドアの間に滑り込ませる。
挟まれた部分が少しジンジンするものの、とりあえず閉め出されて今日1日会えないという最悪事態は免れた。
しかし、ホッと安堵の息を吐いたのも束の間。
―ガンッ。
「うお!?」
間もなく勢いよく開いたドアに、身体を大きく退け反らせる。
容赦のないスピードの板が、ビュンと音を立てて顔スレスレを通り過ぎた。
避けた自分に拍手を送りたい。
そして、そんな自分の反射神経を見越した上での行動だと、思いたい。
顔を引きつらせた高尾は、バアンッ。と勢い余って壁に叩きつけられるドアを見届けながら、暴れる心臓を上から押さえ付けた。
一呼吸おいてドアの内側へと顔を向けようとするが、その前に、努声が鼓膜を揺らす。
「バカ高尾ッ、足入れ込むなんて信じらんない…!」
慌ててそちらを見ればフルフル肩を震わせてこちらを睨みつけている雅がいた。
その瞳にはうっすら涙まで見え、それには流石に高尾も焦る。
そんなに自分と会うのが嫌だったのだろうか。
かなりのダメージを受けながらも謝罪の言葉を掛けようとしたが、その考えは間髪入れず続けられた雅の言葉に打ち消された。
「っ足怪我でもしてバスケに支障出たらどうすんの…!?」
「…ハイ?」
ああ何か今日は間抜けな声を出してばっかだなんて思いながらも、開いた口は塞がらない。
オイオイ待てよ?ってことは怒ってんのはオレが無理矢理会おうとしたことじゃなくて…。
「もっと自分の身体に気遣いなさいよ…」
言っている内に恥ずかしくなってきたのか、雅の声はどんどん小さくなった。
最終的にうつ向いてしまった彼女を見て、確信する。
「ッッッ〜あーもうムリ!」
「ば…!高尾ッ、」
思わず外であることも忘れて高尾は思い切り雅を抱き締めた。
顔を真っ赤にして身じろぎする雅だったが、男である高尾に敵うはずもない。
高尾もいつもなら何かと許可をとったり宣言してから行動に移すのだが、今回ばかりはそんな余裕はなかった。
理由は勿論、照れ屋な雅が素直に自分を心配してくれたこと。
そしてもうひとつー、
「(何コレ超かわいーんだけど…!)」
一目見た時から高尾の思考を奪った、雅の恰好だった。
いつも上半分を結った形の髪型はシンプルな二つくくりに変更しており、更にその身にはオレンジのエプロンを着けている。
いつもクールな雅の女の子らしい姿に、普段から彼女ラブの高尾がときめかない筈がなかった。
いつまでたっても離そうとしない高尾に、我慢の限界だと雅が一際大きな声を上げる。
「ちょ、高尾ッ、一旦離して!とりあえず中入ってよ」
「あ。わりぃ、…ん?」
必死に身をよじる彼女の言葉に此処が玄関前だということ思い出し、名残惜みながらも身を離そうとした高尾だったが、ふと動きを止めた。
不思議そうに首を傾げた後、雅の後頭部に手を回し再度引き寄せる。
「わ!今度はなに?」
「…何か甘い匂いがすんだけど」
「え!?」
高尾が呟いた言葉に、雅は過敏に反応した。
雅の可愛らしさに急激にテンションが上がってしまったせいで気付かなかったが、確かに彼女からは甘い匂いが香る。
勿論、香水類のものではない。
ドアの向こう―家の中からも、一層強く匂いを感じることに気付いた。
今日の日付に、エプロン姿に、甘い匂い。
それらが指し示すものに辿り着くのにそう時間はかからなかった。
「…もしかして、」
出した結論の答えを求めようと、回していた手を緩めて雅の顔を見る。
答えは、既に出ていた。
必死に反らした視線と、耳まで真っ赤に染まった顔。
うおーマジで!?
きゅんきゅんする胸を押さえて、再び抱き締めたくなる衝動を抑える。
これ以上やれば本当に雅に嫌われかねない。
そんな高尾に構わず、雅は彼に更なる試練を与えた。
「…、昨日から頑張ってるんだけど、上手く出来なくて」
視線を反らしたまま紡がれる言葉に、手がワナワナ震える。
ちょ、何コレ試されてんのオレ!?
真面目な雅が学校まで休んで自分にチョコを作ってくれている。
勿論、咎める気持ちなんてものはあるはずもなく、嬉しさで舞い上がる。
高尾はなけなしの理性をフル活動して、何とか冷静を装った。
「あー…今日学校休んだのもそのせいだったり?」
「ッ…、出来たら、届けるつもりだった」
「…」
更に赤みが射した雅の耳元を確認すると同時に、高尾の頭によぎる昨日のメール。
今まで悩んでいたのが嘘のように、スラスラと意味が繋がる。
ハート=「チョコはあげる」
ムンクの叫び=「苦手だけど」
つまり分かりやすく翻訳すると、『苦手だけど、頑張るから待っててほしい』
脳内で成立した公式に、最後の細い細い糸がプツリと虚しく音を立てた。
「あー、ヤバいって。ちょー好き」
ぎゅう。
先程よりも力を込めて抱き締める。
ふわりと、甘い匂いが高尾の鼻を擽った。
また抵抗されると思ったのだが、そんな高尾の予想は嬉しくも裏切られる。
「…バカじゃないの?」
言葉とは裏腹に遠慮がちに握られた服には、ギョッとする他なかった。
え、今日デレデレ!?
「…、オレもう毎日がバレンタインでいーんだけど」
何気なく呟くと、スルリと高尾の腕から雅が抜け出る。
急に離れた体温にブルリと身震いする高尾に背を向け、雅はスタスタとドアの内側に入った。
「そんなことになったら材料費勿体無いからもうあげない」
ここでツン!?
最近ツンデレの使い方が絶妙になってきてね?なんてどうでもいいことを考えながら、前方の雅を見つめる。
二つくくりの効果か、いつもと違う後ろ姿が新鮮だった。
キュン。
本日何回目か分からない胸の音に幸せを実感していると、ポカリと頭を叩かれる。
「風邪ひきたいの?寒いから早く中入って。暇なら手伝ってよ」
いつの間にか振り返った雅が、ドアから顔だけを覗かせてじっと睨んでいた。
しかし頬から熱が抜け切っていないため、全く迫力がない。
いや、寧ろかわいいんですけど。
弱ったようにガシガシ頭をかいて、足を進める。
バタン。
雅がドアが閉めたのを確認して、次の瞬間にはやっぱり笑顔で手を伸ばした。
抱き締める以外にどうしろって云うんだ
(なんかもう、心臓もたねーんだけど)
(ホントはもっと素直に好きって伝えたいよ)
甘い匂い、染み込んだ。