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抱き締める以外にどうしろって云うんだ【前篇】


「はあー…」



 一限目終了の合図と共に盛大に溜め息をつく高尾に、緑間は怪訝そうな顔を向けた。
 机に突っ伏す黒髪を確認するなり、また手元へと視線を戻す。



「溜め息をつくな、運気が下がるだろう」

「あー真ちゃんはいいよなあ。バスケが恋人だろー?こんな風にバレンタインで悩むこともないよなー」

「うざいのだよ高尾」



 次の授業の準備をしながらズバリと言う緑間だったが、彼の言葉では高尾にダメージを与えることはできない。

 それよりも、高尾の頭の中は別のことでいっぱいだった。
 拗ねるようにして、右頬を机に押し付けたまま隣の空席を見つめる。



「雅ちゃんいねぇとマジでテンション上がんねーんだけど」



 付き合ってはいないもののそれに近い形である想い人を思い浮かべて、唸った。
 大好きな彼女は、本日欠席だ。

 そんな高尾を見かねて―ただウザイだけかもしれないが―緑間が口を出す。



「…何か連絡は入っていないのか?」

「んー…」



 沈んだまま力なく見せ付けられた携帯画面に視線をやれば、たった一言。



『今日休む』



 女子にしては珍しい文字だけの文に、素直に感想を述べた。



「シンプルだな」

「いや、これはまだ多い方だぜ?」

「…四文字だぞ?」

「極端な時は絵文字一個だかんなー」

「…」



 雅とのメールのやり取りを思い出して少しテンションが上がったらしくケラケラ笑う高尾に、緑間は哀れみの視線を送る。
 それに気付いているのかいないのか、高尾は一人で話し続けた。



「で、風邪流行ってっし心配なんだけどさー…ほら、今日ってバレンタインだろ?オレとしてはやっぱ雅ちゃんからチョコ欲しいし、昨日そういうメール送ったんだよ」

「…」



 緑間は既にノートを開けて前回の授業内容のチェックをしていたが、それすら構わないというように高尾は携帯をいじり始める。
 メールを確認しているのか、カチカチとリズムよく音が鳴った。
 暫くそれが続いたのち、あるところでピタリと指を止める。

 再び差し出された画面に渋々と目を向けた緑間は、あからさまに眉をひそめた。



「…何なのだよこれは」



 画面には、大きなハートが一つと、ムンクの叫びのような絵文字が一つ。
 相対する二つの絵文字に、訳が分からないと片目を細める。
 
 そんな緑間から携帯を引き上げると、高尾はよっこらせと身体を起こした。



「いや、何って…チョコが欲しいってメールの返事なんだけど?」



 さも当然だというように答える高尾に、緑間は益々眉間の皺を深くする。
 無言で視線を返すことで、先を促した。

 机の上に寝かせた自らの腕に顎を乗せると、高尾は今度は自分に画面を向けて唸る。



「この絵文字に今日の雅ちゃん欠席の真相が隠されてる気がしてならないんだよ」



 珍しく神妙な顔をする高尾に口を開きかけた緑間だったが、彼から声が発せられることはなかった。



「つーかハートだぜ!?いきなりデレがきて昨日寝つけなかったんだけど!なあ真ちゃんどう思う?」

「…オレが今の時点で分かるのはオマエのバカさだけなのだよ

「あー、やっぱ直接的に言いすぎたのはマズかったかな」

聞け高尾



 会話のキャッチボールが成り立たない高尾にピシリと血管を浮かばせた緑間はため息を溢す。



「そんなに心配なら会いに行けばいいだろう」



 ピタリ。

 高尾の動きが止まった。



「まあ今日は幸い部活は休みだからな。授業が終わり次第にでも、」



 目を閉じて続けるが、後ろでガタガタと聞こえる音にやはり眉を寄せてそちらを向けば、鞄を持った高尾が椅子から立ったところだった。
 首にはご丁寧にマフラーまで巻き付いており、どうみても帰る気満々だ。

 ああ、こういう奴だった。

 緑間の呆れた視線に輝かしい笑顔を返し、高尾は片手を挙げる。



「サンキュー真ちゃん、早速今から行ってくるわ。適当に言い訳よろしくなー」



 そう言い捨てるなり返事も聞かずに走り去った高尾に、緑間の疲れたような呟きが漏れた。



「誰も今行けとは言っていないのだよ」



 飴凪も大変だな。

 自分の斜め後ろに当たる席の持ち主の事を考え心の中で合掌すると、静かにノートへと視線を落とす。
 鳴り響く、授業開始のチャイム。

 さりげなく窓の外へと目を向ければ、疾走する黒髪が見えた。





―続
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