-ガタン
-ゴトン
列車は揺れる。
突如非現実に巻き込まれた少年達の心境のように。
全てを知る少女と共にこれから何を見るのだろう。
-選ばれた対象者の眠り-
不規則に揺れる電車内では、出会って間もない少年達と少女の自己紹介が終っていた。
先程の、あまりに幼い声で詠うように流された奇妙な放送から、どれくらいがたっただろうか。
外の景色はいつの間にか、完全に闇色になっている。
トンネルを通るよりも深い、底知れない黒。
窓に映るのは自分達の不安定な表情だけだ。
そんな中で、雅は凛とした声を響かせる。
「説明したいことは山ほどありますが、時間がありません。『逆さ街』をクリアしてから改めて話します」
「せや、さっきから気になっとったんやけど『逆さ街』って何や?放送じゃあ他にも妙な名前言っとったなあ」
皆を代表して、真っ先に反応したのは忍足だった。
最もな質問だと頷きながら見渡せば、全員と視線が合う。
「一種のゲームのステージですよ。普段はあたしと兄達で対応してるんですが」
「ゲームだと?」
「まあそれは後で説明します。今皆さんに知っておいてほしいのは『逆さ街』の知識の方なので」
『ゲーム』という言葉に眉をしかめる者、ポカンとする者、無表情な者。
しかしやはり見え隠れする共通の、不安。
当たり前だ。
いきなりこんな非常識な世界に巻き込まれ、見知らぬ女を信じるしかない、この状況では。
様々な表情の中で、雅は少し笑う。
「大丈夫、貴方達はあたしが守ります」
「お嬢ちゃんが強いのは分かったけどなあ…何か男としては複雑な心境や」
「で、逆さ街というのは何なんですか?」
真顔で冗談めいたことを言う忍足を押し退け、日吉が雅を見た。
彼女はそれに対して顔を再び引き締めると、窓の外の暗闇に目を向ける。
―もう、そろそろだ。
流れる闇色の微かな揺れを見て取り、スッと目を細めた後、少年達へと視線を戻す。
「その名の通り、色々なものが『逆さ』になる街です」
「逆さ…?逆になるってことか?」
「ええ。何が逆さになるかは毎度変わるので、あたしにも分かりません」
「待て。何が逆さになるか分からないってのはどういうことだ?そんなに対象に種類があるのか?」
「相変わらず良い質問ですね、跡部君。でも着いたら嫌でも分かることなので、その説明は省略します」
にこりと笑う雅に周りは唖然とし、跡部の眉間の皺が深まった。
思ったよりマイペースな性格らしい。
跡部は気に入らなそうに鼻を鳴らすが、それ以上の追求はしなかった。
百聞は一見にしかず。
確かに自分の目で確認した方が早いし確実だ。
そんな彼に満足そうに頷くと、雅は未だに寝ている芥川の方を指した。
「そろそろ到着です。彼を起こしてあげて下さい。説明の続きは移動しながらしましょうか」
微笑ましげに紡がれたその言葉に、その存在を思い出す。
未だに状況を呑み込まず、精神がこの世界に来ていない仲間がいる。
「げ、そういやまだ寝てたんだった!」
「ホンマによく寝るやっちゃなあ」
向日が慌てて駆け寄り、呆れた忍足がその後に続く。
芥川は、事が一段落し自己紹介に入る際にそこら辺の座席に寝かした、その時のままでそこにいた。
幸せそうな寝顔のせいで起こすことに罪悪感を感じるが、今はそんな事を言っている場合ではない。
向日は躊躇わずその頬に手を伸ばすと、思い切り左右に引っ張った。
「ジロー、いい加減起きろって!」
しかし、うめき声一つ漏らさない。
他にも揺すったり耳元で叫んだりと色々試みるが、余程眠りが深いのか、芥川からは正しい寝息しか聞こえなかった。
「…」
その様子をじっと見つめる雅を、跡部と日吉の視線が捉える。
―おかしい。
確かに芥川はよく寝るし、それは自他共に公認だ。
試合の時でさえ、自分の出番以外は寝ているか、眠そうに間抜け面を晒しているかの2択。
だが、今の爆睡度は異常であった。
彼女の芥川を見つめる姿は、どこか何かの確信を持っているかのようで、二人の違和感を煽る。
跡部と日吉は勘の鋭い者同士、視線を合わせずとも互いの考えていることは分かった。
鳳と宍戸も加わり四人がかりで起こされている芥川を横目に、跡部が雅に呼び掛ける。
「…おい」
少し後ろには、真っ直ぐ雅を見る日吉が控えていた。
しかし、彼女は彼等には一別もくれず、前方の四人―否、芥川一人に視点を絞ったまま逆に二人に問掛ける。
「彼…芥川君は、普段からよく寝る人ですか?」
「…ああ。だが、今の状態は異常だ」
「いくら芥川さんでも流石にあそこまでされたら起きますよ」
「…そうですか」
いぶかしげな二人の顔を見ることなく、視線を少し落として考え込む。
普通の人間ならば、あれだけの騒ぎの中起きなければ周りは異常として捉える。
けれど、芥川の場合は普段から寝る体質な為に、周りが違和感を感じとれなかったのだろう。
ここにきて、跡部と日吉を筆頭に仲間の異常に気付き始めたらしい。
四人の言動に焦りが滲み出てきた。
「っおい、ジロー!起きろって!」
「おかしいですよ。ここまで起きないなんて…!」
「ああ、いくらなんでも眠りが深すぎる!」
そんな焦りの中、ふと忍足が振り返る。
視線の先には、顎に手を当て考え込む雅の姿があった。
「…お嬢ちゃん、何か思い当たることあるんやないか?」
静かに投げ掛けられた言葉に、視線を上げる。
―思い当たることならば、あった。
彼等と対面した時、二人がかりで支えられ眠りこけている芥川を見た瞬間から、こうなることは予想の範疇だ。
あの時、既に空間は開き掛けていた。
いつもと違うゲストに喜んだのか。
『あの子』ならやりかねない。
集まる視線に応えるように、まとめた結果を口にした。
「芥川君は既に取り込まれている可能性があります」
「取り込まれって…何だよ、それ!」
「岳人、落ち着き」
思わず雅に詰め寄りそうになる向日を、忍足が抑える。
仲間の異常だ。
他の者も、自分を問い詰めたいところを必死に抑えているのだろう。
ひしひしと感じる必死さに罪悪感が募る。
軽く唇を噛んだ後、続けた。
「恐らく、逆さ街の次の駅、『正夢路』の源として選ばれたんです」
「正夢路…なるほど、ジローには打って付けやなあ」
「どうすればいいんですか?」
「とりあえず、逆さ街をクリアしなければ話になりません」
「それをクリアすれば、ジローは目を覚ますのか?」
すがりつくような向日の言葉に、一拍置いて応える。
「正確には、正夢路であることをしないといけないんですよ」
「あることって…」
―ブッ
更に問掛けようとする宍戸の声を、アナウンスが遮った。
『…―ご乗車、有難うゴざいマしタ。間もナく、逆さ街。逆さ街デございマス。お忘レ者のないヨうお気を付け下サい』
聞いた事のある、幼い女の子の声。
謡うように耳に入ってくるその声は、どこか人間離れした狂った響きを含んでいた。
クスクスと楽しそうな笑い声が混じるのを聞き取り、跡部は軽く舌打ちする。
生理的に、受け付けない。
「…お聞きの通り、間もなく到着です」
アナウンスにより固まる四人の中、向日と鳳の間で、静かに雅が呟いた。
「おわ!?」
「いつの間に…」
いつの間にか隣に存在する彼女に驚いた二人は、反射的に芥川をかばう。
跡部と日吉は彼女の移動に反応できなかった事に焦りを感じながらも、冷静に見守った。
忍足と宍戸も、いつでも動けるように軽く身構える。
雅が敵だとは思わないが、まだ彼等にとって完全に信用出来る対象ではなかった。
それを感じとった雅が困ったように笑うと、鳳と向日はバツが悪そうにうつ向く。
「すいません…信用してないわけではないんです」
「…、わりぃ。お前が悪いんじゃないってのは分かってんだけどさ」
雅はそんな二人の気遣いに一瞬きょとん、とすると、次の瞬間にはくすぐったそうに笑った。
それが見れる位置にいた二人は思わず顔を赤くするが、今はそんな場面ではないと、かぶりを振って気を引き締める。
そんな姿を不思議そうに見た後、雅は良く通る声で空気を震わした。
「悪いようにはしません。それだけは信じて。さ、皆さん出る準備をして下さい」
一息で言いきると、反応は各々ながら全員の動く意思が確認できた。
肩を撫で下ろしてくるりと踵を返そうとするが、それは叶わなかった。
振り返ると、その手を向日が掴んでいる。
「なあ、ジローはどうすんだよ?」
その手の質問は予測していたのか、雅に動揺はなかった。
揺れる瞳に胸を痛めながらも、はっきり宣言する。
「―芥川君は、置いていきます」
その言葉に、只でさえ大きな向日の目が見開かれた。
手首を掴む力が強くなる。
「何だよそれ?!じゃあ俺も残る!」
「それは駄目です。何があるか分からないので芥川君以外は全員あたしに着いてきて貰います」
必死に訴える向日の言葉をぴしゃりと跳ね退けるが、その言葉には他の者も黙っていなかった。
「やったら余計納得いかんなあ。そない危険な場所にジローだけ置いてくわけにはいかんで」
「俺も残ります」
「どうしても着いてこいってならジローは担いででも連れてくぜ」
次々と向けられる反抗の言葉に、雅は思わず苦笑を漏らす。
本当に、仲間想いな人達だ。
全員の芥川への想いが嫌というほど伝わってきて、微笑ましいと思う反面、感じるプレッシャーも重くなる。
大丈夫。
自分に暗示をかける意味も込めて、自分の手首を掴む向日の手を上から握った。
「芥川君なら大丈夫です。『対象者』に選ばれた彼の安全は保証されますから」
「本当にか?」
「はい」
しっかり見つめ返せば、思いが伝わったのか、向日は少し笑って頷いた。
それを見て、ずっと傍観に努めていた日吉が隣の跡部に視線を向ける。
「跡部さん、信用していいんですか?」
「お前がそんな問掛けを俺にするなんて珍しいじゃねぇか」
「別に」
「そうかよ。…信じ切ったわけじゃないが、今は信じるしかねえ」
「…そうですね」
その会話を聞いているのかいないのか少しトーンを上げた声で、雅が最後の確認をした。
電車のスピードが緩くなっていくのが分かる。
「皆さん、準備は良いですね?」
全員の真剣な顔付きを認識すると同時に、揺れが完全に停止した。
―・・・プシュー
空気の抜けたような音と共に、外との空気を遮断していた扉が開かれる。
冷房のせいか、はたまた非現実的な世界への体の拒否反応からか冷えた車内に、熱い空気がなだれ込んだ。
それは自分達の世界と変わりない感覚で体に浸透し、本当は全部嘘だったのではないかという錯覚に襲われる。
しかし、近くでずっと変わらず規則正しい寝息をたてる仲間の姿が、その考えを否定した。
「ジロー、すぐ戻ってくるでな」
ふわふわした癖毛の頭にポンポンと手を乗せた忍足だったが、前方から聞こえた驚きの声に顔を上げる。
「…どういうことだよ…?」
唖然と呟く宍戸の後ろからその光景を、見た。
そこには見慣れた風景が、広がっていた。