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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -
遊戯列車

 朝一番の、人の少ない駅。
 合宿の為に乗った電車。
 数え切れる人と、少年七人を乗せた電車が走り出した。


 ―異空間列車に乗りて―



 ガタン、ゴトン……
 決して居心地がいいとは言えない、不規則な揺れに揺られ、跡部は軽く舌打ちした。



「ちッ……何でよりによって俺様がこんな庶民的の乗り物に乗らなきゃならねぇんだ」


 
 腕組みした右手の人差し指が、いらついた様に腕を叩く。
 そんな様子を見兼ねて隣から、宥める様に掛かる声。



「しょうがないやろ、今から行くんは山道や。車でどうこうならへんねん」

「ヘリで行けばいいだろうが」

「着地するスペースがあらへんわ」



 相変わらずな次元の違う考え方に頭を悩まし、忍足は額に手を当てた。

 金持ちの考える事は分からない。

 それだけ有り余った金の使い道があるのだから、世の節約に必死になってる主婦の方々に寄付したらどうなのだろうか、と常々思う。
 そんな相棒を見て、向日が笑いながら口を出す。



「跡部ー、樺地がいないからってへこむなよ!」

「あーん?誰がへこんでるって?」

「火に油や、岳人……」



 閉じていた跡部の瞳がゆっくり開き、肩を落とした忍足が向日の肩に手を置く。
 確かに、いつもは常に彼の傍に控えている樺地の姿が見えない。
 家庭の用事が被るということで、本日は休みなのだ。
 申し訳なさそうに頭を下げていた彼の姿を思い出し、忍足は溜息を零した。

 樺地が居れば、まだ跡部もここまで機嫌を損ねなかっただろうに。



「おい宍戸、目的地はまだなのか?」

「はあ、んな焦んなって。……と、次の次だぜ」



 地理が得意という理由で地図を任された宍戸が地図上に目を滑らせながら答える。
 その返答に満足したのか、一つ頷いた跡部は目の前の座席に視線を向けた。



「よし。そろそろ起きろ、ジロー」



 座席をすべて使って横になっている芥川に声を掛ける。
 自分たち以外に人がいないからこそ出来る寝方だ。
 宍戸の隣に立っている鳳も苦笑しながら、安らかに眠り、規則正しく寝息を立てているいる彼に向かって言った。



「ジロー先輩、そろそろ起きた方が良いですよ」

「ん〜……がー」

「もう暫く寝かしといてもいいんちゃう?次の次やろ。なぁ、日吉?」



 眠りが深く起きる気配の見えない様子に笑いながら、忍足は日吉に目を向ける。
 普段はも物静かな彼だが、この電車に乗ってからまだ一言も喋ってないのが気になった。
 日吉は景色を見るでもなく、ただ窓の外に向けていた無関心な視線をそのままちらりと芥川に流し、興味無さそうに呟く。



「そうですね」

「何や、体調でも悪いんか?いつもよりテンション低いやん」

「別に……気のせいじゃないですか?」



 少し眉を顰めて問いかけるが、日吉は無表情のまま、窓に視線を戻した。
 そんな彼の様子に、跡部の目が真剣になり、静かに口を開いた。



「……日吉、言いたいことがあるなら言え」

「え?跡部部長、日吉だって悪気があったわけじゃ……」

「長太郎」



 いきなりの彼の態度に吃驚して口を出した鳳だったが、何かを感じ取った宍戸がそれを制す。
 プライベートに入る程馴れ馴れしい付き合いでもないが、それでも共に汗を流してきた仲間だ。
 日吉の様子を気にしていたのは忍足だけではなかった。

 諦めた様に日吉が跡部に向き直れば、いつの間にか芥川を除く全員の目が自分に向けられている。
 その視線に多少不快そうな色を含んだ溜息を一つ吐くと、日吉は言葉を選ぶ様に重々しく口を開いた。



「何か、変な感じがするんですよ」



 その言葉に、跡部の目が厳しくスッと細まる。



「それは、この電車に乗ってからか?」

「はい」

「はは、お前はいつも慎重すぎんだよ。気のせいだって、気にすんな!」

「岳人、ちょい黙っとき」

「何だよ、くそくそ侑士!」



 ムッと子供のように不機嫌丸出しの顔をする向日に困ったように笑いながら、忍足は跡部達を見守る。
 自分は何も感じないが、もしかしたら跡部も日吉と同じことを思っていたのではないか。
 跡部の機嫌の悪さが、乗り慣れないものになる苛立ちでも、樺地がいない物足りなさでもないとすれば。
 妙な雰囲気の中、アナウンスが流れ、駅に着くことを知らせた。

 プシュー、と乾いた音に扉が開き、夏独特の熱気が濃厚に流れ込んでくる。
 自分達が降りるのは次の駅だ。
 構わず会話を再開しようと、誰からともなく言葉を発そうとした、その瞬間。


 ブッ……


 アナウンスが入る時独特の音が響き、次の瞬間、明らかに車掌の声ではなく、まだ幼い少女の声が流れた。
 それだけでも普段の日常的な電車のアナウンスとかけ離れているのに、その少女の声が発したのは、更に日常のそれとは異なるものだった。



『皆さん、直ちにこの電車から降りて下さい!』

『ちょっ、君困るよッ』

『貴方もすぐ降りて!時間が無いんですっ!』



 焦ったような叫び声が車両内に響き渡る。

 この最後尾の車両に居るのは自分達だけだ。
 他の乗車客の様子は分からないが、前から微かに途切れ途切れながらも聞こえてくるどよめきから戸惑っているのは伝わってくる。
 朝方だからか少ない電車外の人間も、顔を見合わせる者が殆どだった。



「何だよ今の!?」

「一体何が起きてんねんっ」

「し、宍戸さん」

「うろたえてんじゃねーよ、落ち着け長太郎!」



 明らかな異常事態に皆の顔に動揺が浮かぶ。

 たった一人の少女の声だ。

 電車から降りろと言う他は、明確な事情や理由も分からない。
 普通なら相手にしないのが当たり前だろう。
 しかし、今回は従う他なかった。
 跡部の第六感が総動員して訴えてくる。
 このまま此処に居るのは危険だと。

 鋭い視線で顔を上げると、立ちあがって芥川の元へ歩いた。



「……出るぞ」



 その一言に無言で頷き、動き始める面々に対し、向日は渋る。
 彼の性格上、少しでも早く目的地に着きたいに違いないのだ。



「マジかよ跡部!」

「岳人、電車ならいくらでもあるやろ。ほら、準備するで」



 跡部に抗議する向日を、網棚から荷物を降ろそうとした手を止め、忍足が宥める。
 人並み以上に感情の起伏が激しい向日をこうして上手く宥めるのは、大抵が相棒である忍足だ。
 向日も、自分が我侭を言っているのは自覚しているのだろう。
 不服そうながらも承知した。



「ったく、とんだ迷惑だぜ!あ、ジローも起さないとなっ」

「何だかんだ言って素直じゃねぇか」

「そこががっくんのえぇとこやで、跡部」



 ぶつぶつと文句を言い、渋い顔をしながらも、すぐに仲間の世話を焼く。
 自分の荷物をそのままに芥川の元へ跳んでいく向日に跡部と忍足が小さく笑った。

 忍足が向日の荷物を降ろしてやり、後は芥川を起こすだけだ。
 こんな時に樺地が居れば、と誰もが思うが、この場に居ない彼の名を出しても現状が変わるわけではないので、そこは各々で留めておく。



「おいジロー、起きろ。降りるぞ」

「ジロー、起きろって!!」

「……んがー」

「あかん、起きへん」



 声を掛けるのは勿論、揺すっても起きる気配が無い。
 よりにもよってこんな緊急事態に、と全員が唇を噛みながら、普段から寝起きが悪い芥川に頭を抱える。

 とにかく、説教は後だ。

 こうなったら最後の手段を実行するしかないだろう。 
 それぞれ目線を交わすと、身長のある鳳と、意外に力のある忍足が芥川の両側を固めた。
 未だに夢の住人である彼の腕を持ち上げ、それぞれ己の肩に回し、しっかり固定する。
 このコンビネーションも今までの付き合いがあってこそだ。
 


「よし、全員出れるな?」



 跡部が一人一人の様子を確認し、全員が頷いたのを見届いた後、出口に向かうよう促した。

 しかしその時、前の車両からのざわめきが大きくなり、それに足を止めた。
 こればかりは、好奇心旺盛な人間の性なのだがら仕方がないだろう。



「降りて下さい!お願いしますっ!」



 すると、先程アナウンスで聞いた声が聞こえた。
 少女は、どうやら今度は直々に乗車客を追い出そうだとしているらしい。



「何だ一体……困るんだよ、ここで降りたら遅れちまう」

「大体、いきなり何なんだ君は」

「こっちも用事があるんだから、そんな事言われても困るのよ」

「悪戯なら止めなさい」



 どう考えても遊びとは思えない必死さに、迷惑と、当惑と、宥めと、戒め等の返答が返ってくる。



「どうしても時間が無いんです!早く!!」



 それでも食い下がっている様子の少女に、戸惑いと混乱の空気が拡大されていくのを感じた。
 その空気に、新たな人物が入ってきた。



「ちょっと君、いい加減にしなさい!」



 車掌の咎めるような、鋭く、そして苛立ちを孕んだ声が飛んでくる。
 前の車両と繋がる細い通路を通してちらりと見えたその姿は、セーラー服に身を包む自分達と変わりない年の少女だった。



「困るんだよ勝手な事されちゃぁ…ちょっと来なさい!」



 そろそろ苛立ちが限界の域まで達したのか、車掌が少女のか細い腕を乱暴に掴むのが見えた。



「あ!あの野郎ッ」



 その、少女に接するにしてはあまりにも乱暴な行動に、向日が声を上げる。
 恐らく少女は今の彼らにとってキーパーソンだ。
 いま彼女が捕まれば、どうなるか分からない。
 反射的に何人かがそちらに走り出そうとしたが、それは杞憂に終わった。

 一瞬、だったのだ。
 その僅かな時間は。

 少女が頭を下げ、その俯かれた顔によって顔に掛かった前髪で表情が隠れる。



「……すみません」



 小さく、だがしっかりと響いたソプラノが耳に入った次の瞬間。



「君ねぇ……ッえ?」



 ―ぶわっ



 誰もが、己の目を疑った。

 それは現実で起こっているにしてはあまりにも信じ難く、あまりにも馬鹿らしいものだった。
 何の前触れもなく、車掌の体が浮き、彼のガタイの良い肉体がいとも簡単に電車の外に放り出されたのだ。


 ―彼女が、掴まれていない方の手で軽く押しただけで。

 そこから先は、周りに驚く暇さえ与えなかった。



 ―タンッ

 ―トンッ



 まるでステップを踏むかのように軽妙に動く。

 人に接近しては、手の動きだけで他の渋る乗車客を外に出していった。
 限りある狭い範囲の視界の中、黒髪が舞う度に横の窓から見える外の景色に人が増えていく。  
 不思議なことに、豪快に飛ばされているにも関わらず綺麗に尻から着地出来ているらしい。
 傷を負う者は、見た限り居なかった。

 気が付けば、前の車両には少女だけしか見えない。
 誰もが呆気に取られるであろうその光景に、しかし跡部達は呆けている時間も与えられなかった。

 タンッ、と華麗に着地した姿勢を整えた少女が、凄い勢いでこちらに向かってきたのだ。



 ―ダァンッ!!



 通路を踏みつける激しい音と共に、怒鳴り声が車内両を占める。



「放送聞いてなかったんですか!?早くここから出てっ!」



 あまりの勢いに一瞬固まるが、我に返った跡部が周りを一喝した。



「行くぞ!忍足に鳳、先に出ろ!」



 芥川を抱えた二人を先に出そうと、扉を抑えて誘導する。
 しかし、誰の足も電車から出ることはなかった。



「ッ扉から離れて!」

「何だと?」


 
 今までと矛盾する少女の叫び声に跡部は眉を顰めるが、直ぐに意図を察し、後ろに退いた。

 すかさず近くに来ていた忍足達にも制止をかける。
 二人は訝しげな顔をしたが、直ぐにそのわけが分かった。
 急に今まで跡部が手を掛けていた扉から、ビリビリッ、と電気のようなものが放出され、それらはまるで磁石のように引き寄せあって閉じていったのだ。



「ちっ、どうなってやがる」

「くそ、何だよこれ!」

「んなアホな……」



 見たこともない光景に唖然とする一同だが、その視界に黒髪が舞った。
 


 ―バァンッ!



「ッく……」



 少女が僅か数センチを残した扉の隙間に手をかけ、思い切り蹴りを入れたのだ。



「な、」



 その行動に何人かの目が点になるが、効果はあったらしい。
 バチバチ、と電流はそのままに磁石の効果が一時停止する。
 それに息を吐く間もなく、その隙間にもう片手の手も潜り込ませた。



「ッ……!」



 開けようとしてくれているのは明白なのだが、停止したのはあくまで閉じる動きだけ。
 電気はそのままなのだ。
 少女の手は既に軽く火傷を負っているのだろう、赤く変色し始めている。

 何故そこまでするのか分からないが、その苦しそうに顰められる表情を黙って見過ごせるような輩は此処には居なかった。



「馬鹿ッ、お前何やってんだよ!手が……っ」

「ッ黙ってて下さいっ!出られなくても良いんですか!?下がって!」



 思わず向日が駆け寄るが、少女は聞く耳を持たず、苦痛を滲ませながらも有無を言わせない声で向日の動きを制止する。
 向日はその迫力に一瞬怯んだが、動いたのは彼だけではなかった。



「はい、そこまでや」

「!」


 
 少女の背後から忍足が手を伸ばし、無抵抗のその手首を掴んで引き寄せる。
 流石にいきなりのその行動には反応が出来なかったらしい。

 手が扉から離された瞬間、同時に扉には宍戸と鳳の手が掛けられた。
 手には何処から出したのか、しっかりゴム手袋を着用している。

 忍足に掴まれた少女の手は、赤く変色していた。
 元の肌が白い故に、余計痛々しい。
 それを目にして、一同は顔を顰める。
 痛みに耐えるためにか、眉を顰め唇を噛み締めているのも、見るに堪えられないものだった。



「女の子がこんな無茶するもんやないで」

「ここは俺達が何とかしますから、下がってて下さい」

「手、手当てして貰えよ」



 少女が反論する前に忍足がその身体を反転させる。
 その先には、日吉が荷物の中身を漁っていた。 
 お目当てのものが見つかったのか、それを持って走り寄ってくる。



「日吉」

「分かってます。手、出して下さい」



 運動部に怪我は付き物だ。
 合宿用に持ってきていた救急用品を日吉がスタンバイし、抵抗しないようにと忍足に抱き竦められている形の少女の前にしゃがみこむ。



「……無茶しますね」



 丁寧に処置されていく手を見ながら少女は、今度は痛みに耐えるのではなく、悔しそうに唇を噛み締めた。



「すみません。巻き込みました」



 やりきれない表情で目を伏せる姿に、芥川の隣で黙考し、状況把握に努めていた跡部が思案気に眉を顰める。



「おい、そりゃどういうことだ?まだ扉が完全に閉まったわけじゃ……」

「時間切れです。空間が開きました」

「空間だと……?」



 ますます意味が分からないと眉間に皺を寄せる跡部だったが、はっとある事に気が付くと叫んだ。



「宍戸!鳳!扉から手を放せッ!!」

「は!?でもよ、放したら……」

「いいから放せ!」



 彼からのいきなりの指示に、二人は言葉を失った。

 少女の今までの行動からして、電車内に残るのか危険なはずだ。
 そして自分達がここから出るためにはこの扉が閉じるのを防がなくてはならない。
 今は少女の与えた衝撃で動きは止まっているが、またいつ閉じ始めるかわからないのだ。
 それに、動きの止まっている今の内に出来る限り開けておくにこしたことはなかった。

 しかし、出たのは扉から手を放せという指示。
 噛み合わない流れに焦りと困惑が生まれる。
 跡部の判断に間違いなどあるはずがない。
 分かってはいても、戸惑いと現在の非現実的な事実が行動を鈍らせた。



「チッ」



 そのまま扉に手を掛けたままの二人に向かって跡部が走り出した、その時。



「な……!?」



 バチィッ、と火花が散る様な音がし、扉の隙間から、一本の腕が飛び出してきた。 
 青く火花を散らす眩しい電気を突き抜けて。

 否、電気の壁から生えているといった方が正しいだろうか。
 何故なら、現在扉の外に人は立っていないのだから。
 その腕を辿っても、先などありはしない。

 例えそこに人が立っていたとしても、それを生者と認識できるか分からない。
 何せその腕は、血が通っているとは到底思えないほど、白かったのだ。
 鋭利な刃物で切ったとしても、中からは血液も、肉も、無数に通っているはずの血管や神経もなく、ただ白さだけしかないのではないかと思う程、その腕はあまりに無機質すぎた。
 ただ粘土で腕の“形”を象っただけの、オブジェようにさえ見える。
 

 ―否。


 確かにそんな表現も出来るが、よく見れば、その腕は粘土では到底出せるはずもない、光沢を放っていた。

 羨ましいを超えて恐ろしくなる程、触れればつるりと滑りそうな、粘土とも、人間ともかけ離れたその肌は、服屋には見慣れたあのマネキンを思い出させる。
 
 更に目を引いたのがその手首に巻かれている赤いリボン。
 プレゼントの箱に巻くかのように、綺麗なリボン結びをされたそれは、一般的に見れば可愛らしいものだろう。

 しかし、血が通っているのかも疑わしい程の死人のような腕が、持ち主も持たずに扉の隙間から生えている。
 それは異様な光景だった。
 その異様な光景に可愛らしいものが混じっていても、最早不気味さを加速する要素にしかなりえなかった。

 そして、他のメンバーが、そこで初めて外の異変に気付く。
 先程跡部が見ていたもの。



「な……んだよこれ」

「ありえへん……」



 何故今まで気付かなかったのか。

 その光景の異様さは、問題の腕だけで構成されているものではなかった。
 唖然としながらそこ―扉の窓の外を凝視する。
 向日に至っては、何度も目を擦っていた。

 しかし見れば見るほど、自分の目に映る光景が見間違いではないのだと確認することになってしまう。




 ―止まっているのだ、電車の外の世界が。




 それが奇妙に生える腕と相まって、まるで切り離された絵のような空間を作り出していた。

 他の窓を見ても結果は同じだった。
 人の動きや表情を始め、OLの靡く髪やサラリーマンのネクタイまでもがフィギュアのように固まっている。
 もう、外は自分達とは完全に隔離されているのだ。
 空間が開いた、という少女の言葉にも納得がいった。
 つまり、もう外には出られない。

 そこで、頭の回転の速い者達は跡部の指示の意図に気が付いた。
  


「ふん……そういうことか」



 外に異変が起きているということは、外から何が入り込んでくるかも分からないということ。
 そして現在、その未知な物体が既にテリトリー内に侵入してしまっていること。



「あかん!宍戸、鳳、はよ扉から離れるんやッ」



 忍足が手を伸ばすと同時に、それは起こった。

 今まで動かなかったマネキンのようなその腕が不気味に蠕動しながら、生命を持ったかのように蠢く。
 声を出す間もなく、その指はいまだに扉に手を掛けたままの宍戸の手首に、するりと絡みついた。



「ッ!」

「宍戸さん!!」

「っくそ!」



 いきなりの事態に宍戸は動けず固まる。
 鳳と跡部、忍足が腕を掴み引き剥がそうとするが、絡み付いた指はピクリとも動かなかった。



「! ……なんやこの温度……!」



 しかも、腕は驚く程冷たく、触れるだけでぞっとし、戦慄が走る。
 隙間から生えているだけの腕に何が出来るとも思わなかったが、その温度だけで恐怖と焦りが生まれる。



「くそくそッ」



 見兼ねた向日が更に加勢しようとした時、ふっ、黒髪が横切った。



「大丈夫、落ち着いて下さい」



 ソプラノが聞こえたかと思うと一本の手が伸び、腕の赤いリボンに手を掛けた。


 ―シュルリ……。


 リボンは滑り落ちるように解けると、新品の包帯の巻かれた少女の手に納まる。
 思わずその赤を目で追ったが、意図が分からず目を見開いた。

 しかし少女がニコリと微笑んだ瞬間、その行動の意味を知ることになる。



「! ……腕が……」



 宍戸の手首にしつこく絡み付いていた腕がリボンを失った途端に動かなくなり、崩れたのだ。
 砂と化し、さらさらと流れ落ちて足場に作られた小さな砂山を見つめると、宍戸は力が抜けたようにしゃがみこんだ。



「〜ッはぁ……何だったんだあれは」

「大丈夫ですか、宍戸さん!?」

「おう、悪かったな」



 気遣うように同じくしゃがみこむ鳳に微笑んでみせると、全員に向けて謝罪と感謝の意をこめて言葉を向ける。
 律儀なのは彼の長所だ。

 跡部はそれにふっ、と笑うと、少女を見た。
 ぱちりと目が合い、薄い唇が開かれる。



「巻き込んでしまってすいません。あたしは飴凪雅といいます。皆さんは責任もって無事に帰しますので」



 凛とした表情と声色を目の当たりにして、緊迫の空気が流れる。
 その雰囲気に構わず質問を投げかけるのはやはり跡部だ。

 

「……さっき空間が開いたと言ったな。今の空間と元の空間は時差はどれくらいある?」

「先ほども思いましたが君はかなり頭が回るようですね。観察力も素晴らしいです」

「あーん?当り前だろうが。御託はいい」

「ふふ……そうですね。この空間では元の空間の1/100で時間が進みます」



 跡部の態度に楽しそうに笑う雅の回答に一同は思わずぎょっとした。



「1/100!?」

「はい。まあ簡単に言えばこちらでの100秒はあちらの1秒ってことですね」

「そんな都合のいい話あるんかいな……」

「事実、存在しますよ此処に。だから時間のことについてはあまり心配しないで下さい。明日の朝までには戻れます」



 先ほどの不思議な光景がフラッシュバックする。

 しかし、これであの動かない世界に納得がいった。
 それだけ時間の流れに差があるのなら、止まって見えても仕方がない。
 少女に視線が集まる中、電車が静かに動き出した。

 窓の外はいつの間にか漆黒に染まっている。



 ―ブッ



『……―本日もご利用有難うございます。この電車は現在行き、普通列車デす。
 逆さ街・正夢路・成り変わり蕩・迷い峠・黄泉国・現在の順に止マりまス。どうゾお楽しみクダサイ』



 幼い女の子の声が、車内に響いた。
 クスクスと笑い声混じりのそれは、まるで狂ったオルゴールのように。
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