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奇妙体験
 混ざる交ざる鏡の向こう。
 扉を潜ればもう何処に行くか分からない。
 キーを手に入れるまで現実には帰れないよ。
 それでも行くと言うのなら、学校の鏡に聞いてごらん。
 映った自分が答えてくれる。


‐午後七時十六分に踊り場で。





ひとつ七時十六分の鏡



 太陽が月に変わり闇に包まれた学校。
 電気は消え、まるで校舎自体が眠りについているようである。
 静まったその中で、動く人影があった。



「…これって不法侵入になるのかな〜…御免なさい」



 ガシャン。

 飴凪雅は眉を下げて細いソプラノを響かせた。

 校門で侵入者を拒むように立ちふさがる柵に手を掛ける。
 ひやりとした鉄独特の冷たさが伝わり、一瞬躊躇した。
 しかし次の瞬間にはスペースに足を掛け、ひらりとその柵を飛び越えたのである。
 私服で半ズボンを着用しているので服が引っ掛かる心配はない。

 しかし白い肌に155センチと、華奢な体からはとても考えられない運動神経の持ち主だ。
 そんな身軽な彼女は肩までの黒髪をなびかせて、校舎の玄関へと走りだした。
 何故こんな時間に学校に来たのかというと答えは簡単。
 忘れ物をしたのである。

 家に帰ってから何度鞄を引っ繰り返したことか。
 明日提出のはずの数学のプリントが机の中に白紙で眠っているのだ。
 もともと怖がりな彼女は夜の学校なんて正直、御免被りたかった。
 しかし数学の先生のほうが十倍くらい怖かったのである。

 目指すは教室。
 しかし現実はそう上手くはいかなかった。
 玄関のガラス張りの扉に手を掛けた所で気が付く。

 ガシャ。

 つっかえたような感覚。



「あ…鍵、…」



 誰もいない夜の学校。
 普通はかかっているだろう。
 そんな簡単な事に何故気付かなかったのかと軽く下唇を噛む。

 ちらりと腕時計を見ればぴったり七時を指していた。
 冬場なので日の落ちるのも早く、部活で残っている人も皆無。
 その顧問がいる可能性も低い。
 この時間では鍵を管理している公務員も帰ってしまっているだろう。

 諦めて明日怒られるか。
 溜息を零して帰ろうとしたが、それは叶わなかった。



「こんな時間に何しとるん?」

「!」



 男子独特のアルトが聞こえたのだ。

 びくりと肩を揺らして後ろを振り向けば一人の少年が立っていた。
 端正な顔立ちと左手に巻いた包帯が目を引く。
 ジャージ姿に、首元を伝う汗を見ると自主練でもしていたのだろうか。
 彼の顔に見覚えのある雅はそっと呟いた。



「白石君…?」

「せや。飴凪さんやんな?」

「うん。実は忘れ物しちゃって」



 ニコリと微笑んだ白石に安心すると笑顔を返す。

 白石蔵ノ介。
 正真正銘クラスメートだ。
 だからといって特に喋るわけでもないし、親しいわけでもない。
 しかしテニス部で二年でありながら部長を任されていることと、人当たりがよく、先生や友人からも信頼を寄せられているのは知っている。

 そんな白石は雅の言葉になるほど、と納得すると左手に持っていた物を肩辺りまで持ち上げた。

 これ、何やと思う?

 笑う白石の手の中で音を立てたそれを見て、雅の顔は輝く。



「あ、鍵!」

「正解や。俺が残ってんの知っとる公務員さんが預けてくれたんやわ」

「白石君は自主練?」

「まぁそんなとこやな」

「熱心だね」

「先輩達が引退して、次は俺らが部活を引っ張る番や。やるからには精一杯やるでぇ」

「そっか。頑張ってね!」



 少し話しただけで彼が信頼を寄せられている理由が改めて分かる。
 自分の言葉に力強く頷いた白石を見て、雅は目を細めた。
 今年の男子テニス部は全国で四位と好成績を残したが、来年も心配はないだろう。

 会話が落ち着くと、白石は雅の隣まで歩み、扉の鍵穴に鍵を差し込む。

 ガチャン。

 無機質な音が響いた。
 両開きの扉の右側のみを押し開けた白石は、そのまま取っ手を押さえる。



「飴凪さん、入り」

「え?」



 キョトンとした雅に、再び笑う。



「俺も教室に用あるんや。一緒に行かへん?」

「い、行きます!有難うっ」

「こちらこそ」



 実は怖かったんだ、助かったよ。

 苦笑しながらもう一度お礼を言って、白石が押さえている扉を潜る。
 白石は雅が通ったのを確認して自分も入ると、彼女を微笑ましく見返した。



「夜の学校なんて誰でも怖いもんや。俺も飴凪さんがおって安心したで」



 その言葉に彼でも怖いものがあるんだと一瞬目をクリクリしたが、彼のさり気ない気遣いに気付き嬉しそうに笑う。



「白石君も?良かった」



 扉が閉まるのを視界の隅に確認して、二人は歩きだした。
 目を凝らしてやっと見えるくらいの薄暗さの中、足を進める。

 コツコツ。

 しんとした空気の中、二人分の足音だけが響いた。

 や、やっぱ怖い。

 視線を窓やら天井やらに彷徨わせながらオロオロする雅に、白石は密かに笑う。



「飴凪さん」

「は、はい!?」



 大袈裟なリアクションに少し苦笑を零して。



「…怖かったら掴まってええで?」

「えぇ!?」

「や、嫌やったら」

「掴まらせて下さい!」

「くくッ…どうぞ」



 凄い勢いで頭を下げた雅に肩を震わせる。
 
 笑われた!

 雅は困ったように顔を赤くしたが、今は恥ずかしがっている余裕はなかった。
 失礼します、と横にいる白石のジャージの裾を掴む。

 それで大丈夫なんだろうかと疑問は持つが、彼女の意志だ。
 仮に腕を掴んでもいいと言っても彼女は遠慮するだろう。
 白石はそこまで考えると手で軽く雅の頭を撫でた。
 困惑した目で見上げる姿は子動物のようだ。
 安心させるように微笑むと、前を向く。

 そんなやり取りをしているうちに階段も上り終え、教室の前まで来ていた。



「さ、ちゃっちゃと用済まして帰ろか」

「そうだね」



 笑い合うと扉を開ける。

 ガラ。

 暗い。
 昼間とは180゜違うその空気に雅は軽く息を呑んだ。
 それを見た白石は彼女の横に手を伸ばす。

 パチ。

 一瞬の間を置いて、空間が照らされた。
 昼のようにとまでは言わないが、それでも雅には十分心強い。



「そっか、電気着ければ良かったんだよね」

「俺も真っ暗は怖いからなぁ」



 冗談めいた台詞を真面目な顔で言う白石に、雅の笑顔が戻る。

 二人の席は対極の位置にあった。
 白石は廊下側の一番後ろ、雅は窓側の最前列だ。
 即ち一旦離れなければならないわけで。
 有難う、と名残惜しそうに白石のジャージを手放し、自分の席に向かう。

 白石はそれが気掛かりだったようで暫く心配そうに見守ったが、彼女は自分に迷惑を掛けないようにと頑張っているのだ。
 着いていくのは流石に過保護かと、口出ししそうな自分に鞭打ち己の席へと向かった。

 カタン。

 雅が机に手を入れるとカサリ、と紙が音を立てる。
 ホッとした様子でプリントを引っ張りだした。
 しかし、机にはプリント以外にも何か入っていたらしい。
 手を引き抜いた瞬間、何かが机から零れ落ち、音を立てる。 

 カンカン…。

 驚いて足元に転がった物をしゃがんで確認した。

 手に納まったのは、小さなサイコロ。 
 双六で使うようなごく一般のサイコロだ。
 そういえば一時期友達と双六にハマり持参したことがあった。
 その時の持ち帰り忘れか、と特に何も考えずズボンのポケットにしまう。

 白石を見れば、もう用事は済んだようだ。
 黒板の『日直』の名前が書き代わっていなかったらしく、ご丁寧に直している姿に思わず笑った。



「白石君、終わったよ。有難う」

「ん、こちらこそおおきに。ほな帰ろか」

「うん」



 雅はプリントを掴むと小走りで白石の元へと向かい、肩を並べる。
 電気を消したのを確認して二人は教室を後にした。
 勿論、雅はもう一度失礼して白石のジャージの裾を掴ませてもらうことを忘れずに。



「そういやさっき何か落としたん?」

「あ、うん。サイコロが机から落ちちゃって」

「サイコロ?何でそんなもんがあんねん」



 面白そうに肩を揺らす白石に、空気が和む。



「友達と双六やってた時期があったから」

「なるほどなぁ。…アカン、飴凪さん面白いわ」

「?」



 笑いを堪えるせいで浮かび上がる涙を拭き取って微笑む姿に、雅は首を傾げた。



「おっと、階段や」



 そんな何気ない会話をしているうちに階段まで来ていたらしい。
 ぼんやりと見える段の下は暗闇に呑まれていた。
 昇るのとは違い、踏み外せば危険である。

 気ぃつけてな。

 掛けられた声に頷くと、薄暗い中慎重に降り始めた。
 踊り場に足を着けるととりあえず一息着く。

 窓を通じて月明かりが照らすその場所。
 雅は折角だからと時刻を確認すべく腕時計を見た。
 入学祝に買って貰ったお気に入りだ。
 月明かりを頼って見えた時刻は、七時十五分。

 彼と出会ってまだ十五分しかたってないのか。
 もっと長い時間空間を共にしているような気がして、雅は白石を見上げる。 
 しかし隣にいる彼と視線が合うことはなかった。


 
「白石君?」



 白石の視線は真っすぐ前を捕らえている。

 その先を同じように辿れば…一つの鏡。
 二人の全身を映す大きさのそれは正に今、白石と雅を指先残らず映していた。
 月明かりに照らされてやけにハッキリ、自分の姿が浮かび上がる。

 雅がそれに魅入られていると、いきなり腕に圧迫感を感じた。
 白石が腕を掴んだのだ。



「!白石く」

「ここから離れるで!」

「え…!?」



 雅はその鋭い視線に何事かと驚くが、ただ事でないことは理解できる。

 白石の頭では警報が鳴り響いていた。
 何かは分からないが、鏡を見た瞬間直感したのだ。



『ココニイタラ、マズイ』

『カガミニ、ウツルナ』



 本能に従って、雅を引き寄せ鏡から身を離そうとする。

 しかし、間に合わなかった。

 カチ。

 静かに、音が響いた。



 時刻は、七時十六分。



 一瞬月が雲に隠され、鏡の中の自分達を曖昧にする。
 そして月が再び現われた時、白石と雅は絶句した。


 照らされた鏡に映る二人が、微笑んでいる。



「どういうことや…」

「な、に…?」



 勿論こんな場面で笑えるわけがないし、お互いの顔を見ても自分と同じ、驚きに染まった表情が見えるだけ。
 しかし確かに鏡の世界の自分達は笑っている。

 姿形が同じ者が、リアルタイムで己と違う表情を浮かべる。
 それがこんなに恐ろしいものだとは。

 雅は自分を抱き寄せている白石のジャージをギュッと掴んだ。
 白石も、無意識に雅を抱き寄せる手に力が入る。



「飴凪さん、何があっても俺から離れたらアカンで」

「…ん」



 青ざめた顔で、しかししっかり目を合わせて首を縦に動かした彼女に頷き返す。
 二人が見つめる中、それはついに動いた。



ネェ、私、こちらの世界に来たいのかな?』

「「!?」」



 鏡の世界の雅が、微笑みながら喋りだす。
 少しノイズが掛かっているが、それは綺麗に二人に届いた。
 
 正真正銘、彼女の声で。

 声を出す間もなく、今度は隣の白石が続く。



ハハ、愚問やろ。その気がないならこんな時間にこんなとこ、こぉへんよ、なぁ?』

それも、そうだね?』



 ニコリ。


 ノイズ混じりで聞こえる自分の声。
 鏡に映る自分達はとても綺麗に微笑んでいるが、不快な気持ちが沸き上がり、体が強ばる。
 積み重なる恐怖。
 そして、話の内容が掴めないもどかしさ。



「なぁ、さっきから何言っとるん?」



 視線を更に鋭くした白石が鏡に問い掛けた。
 まさか質問してくる者がいるとは思わなかったのだろう。
 鏡の世界の二人は一瞬だけ現実と同じ表情になり、次の瞬間には笑みを深くした。 

 ぞくり。

 その笑みに悪寒が奔るが、選択肢は一つだ。
 耐えて、答えを待つしかない。



もしかして知らないでキタんダ?』

そんな感じやなァ。でも、もう運命は変エられヘンで

そうダね。映っちゃったンダカラ



 先程よりも、どこか人間離れした喋り方。
 滑稽なモノでも見たかのように笑い出す<自分達の姿をしたモノ>に、顔を歪めるしかできない。



「質問の答えになってへんで?」



 それでも尚臆すことなく声を出す白石を、雅は素直に凄いと思う。
 鏡の白石は、もう既に自分の隣にいる白石の雰囲気がない。
 姿は同じでも笑い方、表情が彼のそれではなかった。



今回ノは活きが良さそうヤなぁ



 隣の雅も現実とかけ離れていく。



そうダね、楽しみダよ。頑張って、<キー>を探してネ?』

「きー…?」



 雅が軽く吐き気に襲われながら、引っ掛かった単語を口の中で吟味するかのように繰り返した。
 まともな答えが返ってきた試しがない為、諦め半分で白石も問い掛ける。



「キーって何や」



 しかし、それは良い方向に裏切られた。



元の世界に帰る為ノ<鍵>ダよ。アト、世界の出入口は<鏡>。じャア…』



 一息置いて、鏡の二人が可笑しそうにニヤリと笑う。
 二人の頭に一瞬で横切る危険信号。

 声を出す時間もなかった。


 バッ。



「ッ!」

「!きゃ…ッ」



 鏡の自分達の後ろから、大量の白い手が飛び出したのだ。
 鏡の表面に波紋を創って現実へと現われる。
 白石は雅を庇うように抱き込んだが、温度を感じないその手達に触れられた瞬間、意識が飛んだ。

 雅が最後に見たのは白石のジャージと、自分達を囲ったシロ。
 誰もいなくなった踊り場で、楽しそうな声が響いた。




 《ようこそ鏡の狭間に》
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