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私が髪を切った理由を聞けば貴方は一体どんな顔をするのでしょうか




「…あ、あの…青峰君?」

「あん?」

「ええと………、」



 なんで、こんなことに。

 雅は真っ白になった頭で立ち尽くしていた。
 目の前ではクラスメイトである青峰が怠そうに佇んでいる。
 特に親しいわけでも、席が近いわけでもなく、顔を見合わせば挨拶を交わす程度の仲だ。
 
 共通点といえば、桃井さつきだろうか。
 雅の親友にもあたる彼女と青峰は、幼なじみであるらしい。
 かといって、やはり接点があるわけではない。

 そのため彼女には、現状−教室のドアの前で見つめ合っている状況−の理由が分からなかった。



−誰もいない教室で、さて帰るかと雅が席を立った瞬間にガラリと音をたてたスライドドア。

 黒めの肌に、目立つ身長、気怠げな雰囲気。
 そんな知り合いはひとりしかいない。
 いきなり現れた青峰に驚きはしたものの、知らない仲ではないしと当たり障りのない笑顔を返した。

 「じゃあね」「おう、」といった一連の会話も済ましたのだ。

 ただ困ったのは、青峰がその位置から一向に動く気配がなかったことだった。
 雅が近付いても視線を寄越すだけで、右手もドアに掛けたまま。
 本人がどういうつもりなのかは不明だが、当事者から見ても第三者から見ても、退却路を塞がれているようにしか思えない。
 もう片方の出入り口に向かうという選択肢もあるが、この体勢からその選択は何となく気が引ける。

−お、重い…!

 外から聞こえる野球部の掛け声がやたら大きく耳に届いた。
 冬独特の冷たい空気も相まった沈黙に、雅の視線もどんどん落ちていく。
 彼の首もとあたりに差し掛かったあたりで、変化が訪れた。

 唐突に空気が動き、気が付けば目の前に迫る白。
 それがカッターの色だとか気付く暇も、驚く間もなく、急接近した青峰の腕が伸びる。

ぶわっ。



「っえぇ!?」



 急激に冷えた首回りに、ひとつ身震いした。

 彼の両手には、先程まで自分がグルグル巻きにしていた桃色のマフラーが収まっている。
 肌に染みるような冷えた酸素を吸いながら、反射的に首の両側を掌で覆った。
 肩に掛けていた鞄が大きく揺れ動く。



「ちょ、青峰く…!?」



 慌てて見上げれば、怪訝そうに眉を寄せる青峰と視線が絡んだ。
 何か気に障ることでもしてしまったのだろうかと停止寸前の脳に労働を強制するが、どうしても思い当たる節がない。
 まず、今日は彼がサボリで教室に姿を現していなかったためにこれが初コンタクトだったはずだ。

…え、じゃあなんで!?

 ぐるぐると目まで回りだしそうな雅に、少し頭を傾けた青峰が不機嫌そうに口を開いた。



「−…何で切ったんだ?」

「…へ?」



 じとりと睨まれて、しかしその主語の抜けた言葉の意図が掴めずに間抜けな反応しか返せない。
 キョトンと目を瞬かせる雅に呆れたように息を吐いた青峰は、手に持つ彼女のマフラーをみょーんと伸ばした。
 面倒そうに一度彼女から視線を外してから、今度はクルクル捻って回転させる。

ああお気に入りなのに…!

 容赦なく弄ばれる愛用の防寒具に涙を呑む雅の耳を、いつもより若干低めの音が通過した。



「髪だよ、髪。昨日まで長かっただろ」





−え…?

 瞬間、止まる世界。
 今まで気にならなかった秒針の音に、聴覚が支配される。
 首から少しずらした己の指先に、短くなった髪先が触れた。
 昨日までは肩甲骨あたりで揺れていた黒髪は、今は肩にもつかない位置で毛先を踊らせている。

 じんわりと胸に広がる温度に浸りながら、冷たい指で跳ねる束を撫でつけた。



「−気付いて、たんだ」

「オマエ、バカにしてんのか。そんだけ切りゃ誰が見ても分かるだろーが」

「え…ごめん、青峰君はこういう面には少し疎いイメージが、」

「…ほー」



 すわった青峰の瞳に慌てて口元を覆うが、もう遅い。
 一旦休止していたマフラーいじりを再開しようとする姿にあわあわと弁解をぶつけた。

 ひと目で、一回目よりも力がこもっていることは察知できる。
 これ以上引っ張られたら毛糸がダメになりそうだ。



「だ、だってあんまり喋ったこともないしっ。私のことなんて気にも留めないんじゃないかと…!」



 取り返すつもりで腕をめいいっぱい伸ばすが、バスケ部で反射に秀でている彼に叶うはずもない。
 簡単に避けられ、バランスを崩しそうになった。

 前のめりになる身体をなけなしの筋力で支えていると、少しの空白を空けて、ぶっきらぼうな音が返ってくる。



「…さつきの隣にいりゃ嫌でも目に入んだよ」



−チクリ。

 いつも隣で舞う桃色が脳裏にちらつき、彼の手に身を委ねるピンクの毛糸と重なった。
 瞬間、足の力が抜けてそのまま前方に傾く。

 ぐらりと揺れた視界は、肩への圧迫と共に安定した。



「何やってんだ、どんだけ運動神経わりーんだよオマエ」

「そっ、か…そうだよね、さっちゃんの隣にいるもんね私」

「あ?」

「ごめんね、助けてくれてありがと。また明日」

「って、おい!」



 俯いたまま、力の緩んだ指先をすり抜けて、とおせんぼのなくなったドアへと向かう。
 態度最悪だな私。
 苦笑を浮かべながらも、足は止まらない。

 廊下へ一歩踏み出した、
 −否、踏み出そうとした、その次の瞬間。

 一瞬視界を覆った見慣れた桃色と、続いた首への異物感に呼吸を忘れた。
 息をつくまもなく、圧迫感。



「ぅえっ!?」



 いきなりの奇抜な攻撃についていけず疑問符を飛ばす雅の背後に、温度が立った。



「−飴凪、まだ話の途中だろうが」

「っ、青峰君くび、首締まるっ毛糸伸びるー!」



 ぎゅぅううう。

 雅の首に引っ掛けたマフラーを後ろで縛って、更に左右に引っ張り始める。
 ギブギブと声を挙げる雅に構わず、青峰は小さな頭を見下ろしながら思考に耽った。
 そんな彼に訳が分からないと怒りを感じ始め、心理的にも生理的にも涙腺が弛んでくる。

 視界に映る廊下の窓の輪郭が歪んできたあたりで、あっけらかんとした音が鼓膜を揺らした。



「…まあいいか」

「へ?って、痛い…!?」



 ぐわし。

 何の予兆もなく頭皮に刺激を与え、一部の髪を巻き上げたソレに、意識が集中した。
 なんだなんだと首に添えていた右手をそちらへとのばすと、カツリと硬い温度に当たる。

 己の黒髪を引っ張るそれは、恐らく現在、大層不格好な形でそこにあるのだろう。
 思考を停止させたままそっと絡んだ髪から解放させると、手のひらで包み込んだ。



「…青峰君、」



 何をどう話していいか分からなくて口ごもっているうちに、空気が揺れて、彼の気配が隣をよぎる。
 気がつけば大きな背中は早くも足を踏みだしていた。



「えぇ!?あの、これ…!」



 やっと振り絞った音に返ってきたのは、たった一言。



「拾った」



 振り返りもせずに置いていかれた音は、やっぱり気怠げ。
 遠くなっても全然小さく感じない後ろ姿と、右手の中のそれを見比べる。

 指から覗く桃色の蝶に応えるように。



 何気なく髪に触れた指先は、愛しそうに、短くなった毛先を梳いた。








私が髪を切った理由を聞けば貴方は一体どんな顔をするのでしょうか

(一瞬でもいい、あなたの視線を私に向けたかった)
(なるほどもっと分かり易く言わねえと気付きもしねーってか)


はらりひらり、一本いっぽんを見送った。









 朝の澄んだ空気で、清々しく深呼吸。

 見慣れた肌色に、雅は軽い足取りで駆け寄った。
 緩んだ頬が、戻らない。
 わざと隣に並んで、懸命にその歩幅に合わせた。



「青峰君、おはよ」

「おう…−、」



 高い位置からチラリと向けられた視線が、僅かながら静止したのを確認する。
 してやったり。
 嬉しそうに歯を覗かせた雅は、後頭部上部で輝くピンクを強調するように頭を捻る。



「髪留めは髪短くても使えるんだよ?」

「マジか」

「マジです」
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