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駆け引きと笑顔と名前と君と


 日も沈みかけの夕暮れ時、雅は一人帰り道を歩いていた。
 いつもなら隣にいるはずの友が用事だとかで早めに帰ったからだ。
 常に話題豊富な彼女は話相手がいないと落ち着かない。

 淋しそうにトボトボ歩きながらも視線を泳がせていると、不意に人影が映った。
 数メートル離れた、前方にある橋の上。
 手摺りに手を掛け、上半身を乗り出して下を覗いている後ろ姿。
 パッと見落ち込んでいるように映り、シチュエーション的に雅の頭にはある予想が横切った。



「…身投げ!?」



 確信もないのに思い込み、先走るのは彼女の得意業だ。
 思い立ったら即行動。
 鞄を投げ出し、一直線に走りだした。

 いきなり凄い勢いで近づいてきた気配に、人影が顔を上げ振り向く。
 雅はその顔に見覚えがあった。
 同じ学校のクラスメート、ついでに窓際の一番後ろなんて特等席を陣取っているアイツ。

 顔を見た瞬間に叫んだ。

 

「忍び足ーッ、早まるなーッ!!」

「は!?」



 忍び足、と呼ばれた少年‐もとい忍足謙也は目を見開いて姿勢を正し、思わず一歩下がる。

 しかしその行動がまずかった。
 謙也の体を引き戻そうと孟突進してきた雅のスピードが落ちず、勢い余って手摺りに激突。
 身が軽い彼女はそのまま手摺りを乗り越えてしまったのである。





「って阿呆かー!」


 
 考えるより体が動くほうが早かった。
 謙也は手摺りに足を掛けると既に空中に投げ出されている雅に手を伸ばし、庇うようにして抱き込む。


 ザッバーンッ


 激しい水飛沫を上げて二人分の体が水中に沈んだ。
 奇跡的に深めの場所だったらしく体が叩きつけられることはなかったが、謙也の足がギリギリつく高さだ。
 雅にはキツく、彼女を抱えたまま浅い所まで移動するしかなかった。
 ぷはっ、と顔を出すと自分より頭一つ分ほど小さい体を少し引き上げながら浅い方へと動く。

 雅は水中はあまり得意ではないらしくおとなしく彼のシャツに捕まっていた。


 ザバ


 膝くらいまでの水の高さになると雅が掴んでいたシャツを手放し、謙也も安全と判断して彼女の体を離す。
 一瞬の沈黙の後、口を開いたのは雅だった。



「忍び足、私に何か恨みでもあるのかね?」

忍足や。…ってかこっちの台詞やろそれ!いきなり何すんねんッ!?殺す気か!」

「だって忍び足が身投げなんかしようとするから!」

「忍足やっちゅーに!こんな大事な時期に身投げなんかするわけないやろ!?」

「いや、アレはどう見ても身投げだよ!じゃああんな身乗り出して忍び足は一体何しようとしてたのさ?」

「やから忍足、ってわざとやろ自分!?制服のボタンがとれて落ちてしもたんやッ」



 ヒートアップしていく会話にお互いが叫びだす。
 謙也にいたっては今だに正しい呼び方をしてくれないクラスメートに、はんば自棄になりながら。
 そして謙也の答えを聞いた雅はきょとん、とした。



「……身投げじゃなかったの?」

「だからそう言うとるやろ」

「御免忍び足、私の勘違いだった」

「…俺としては名前の方の勘違いを何とかしてほしいわ」

「あーぁ、びしょびしょ…巻き込んですまないねぇ」



 無視かい。


 雅は謙也の言葉を見事にスルーし、彼の濡れた頭に手を伸ばす。
 少し背伸びしてされたその行為に一瞬ドキッとしたが、彼女の手が髪の毛の水分を払うように動かされるのが分かると、動くこともできず大人しく立っていた。
 雅といえば水の滴る彼の姿にこっそり見惚れていたのだけれど。

 クラスメートの中でもずば抜けて容姿端麗な彼だ、誰だって見惚れるさ。

 自分を納得させるように自己解決すると、一人頷く。
 謙也はそんな雅の様子に首を傾げたが、不意に彼女の黒髪から流れ落ちる雫に目を奪われた。
 夕日に照らされて赤く、美しく光る。

 気が付けばその髪に触れていた。

 

「…忍び足?」

「!…ひ、人の心配しとる場合やないやろ!お前が風邪ひくっちゅーねん!とりあえず上に戻んでッ」

「おぉお…」



 パチパチしている目と視線が合った謙也は我に返って赤くなるが、幸いにも夕日のせいで雅にバレることはない。
 しかしそれでも、それを誤魔化すように自分より一回りは小さい手を掴んで川から上がった。

 とりあえず橋の上にさえ戻ればタオルくらいはある。
 川原独特の坂に足を掛けると、気遣うように後ろを向いた。



「転ばんように気ぃ付けや」

「忍び足が手引いてくれてるから大丈夫」

「…此処上がるまでは堪忍やで」

「誰も嫌とは言ってないよ」


 クスリと笑ってやると、一瞬停止した後少し足の動きが速まる。
 女の子の扱いに不慣れなのだろう。
 照れたようなその行動に、雅は手を引かれながら後ろで小さく笑った。


 トン


「ほら、着いたで」

「ん、有難う」

 
 謙也は坂を登り切るとパッと手を離すが、視線が泳いでいた為に先程の事をまだ引きずっているのが手に取るように分かる。
 気にした様子もなく、寧ろ微笑ましく見守る彼女に背を向けて、橋の上にほっぽりだしてあった鞄に手を掛けた。
 暫らく漁ったのち、お目当ての物が見つかったらしく雅に向き直る。

 次の瞬間、彼女の視界は白に覆われた。


 ふわり



「それでしっかり拭けや。明日も学校やで」

「…忍び足は?」



 視界を奪うタオルを軽く手で避け、きょとん、と投げ掛けられた質問に、自分の髪をガシガシ撫でる。



「俺はもう渇きかけや」
 
「馬鹿者め」

「は!?何でそうな、」



 バサ


 謙也が言いおわる前に雅は行動した。
 頭に掛けられたタオルを謙也の頭にほっぽり投げて、背伸び状態で彼の髪をワシワシ拭き始める。

 矢張り態勢がキツイのか、間もなくして目線でしゃがめ、との合図があった。

 

「大事な時期に大事な体でしょ!こんな時期に風邪でもひいたらどうするのさ」

「…せやな、おおきに」



 そんな柔な鍛え方はしとらへんわ。

 一刻も早く雅の髪を乾かしてほしくて言い返そうとしたが、真剣に言われたその台詞に言葉を飲み込む。
 大人しく胡坐をかいて座り込んだ。
 真面目な表情で自分の頭を拭いている少女を見て、記憶を辿る。

 といっても、クラスメートの中でも彼女の印象は群を抜いて強烈なので辿る必要もないのだが。
 まず出会いが凄かった。


 三年で初めて同じクラスになって、お互い名前もおぼろげな時期。
 謙也は、雅に黒板消しを食らわされた。
 正確には彼女が担任宛てに用意した罠に、運悪くも彼が引っ掛かってしまっただけの話だ。

 しかもその時の彼女の謝罪が、



『わ、御免忍び足ッ!許してくれ。担任狙いだったんだけど。にしてもちゃんと足音するんだね』

 

 だ。
 無論本気で突っ込んだ。



『当たり前やっちゅーねん!しかも忍び足やのうて“おしたり”読むんやッ!!大体自分こんな時期に担任に何しようとしてんねん…!?』



 彼に一気にここまで突っ込ませたのは雅が最初で最後だろう。
 そして彼女の『忍び足』という呼び方は以後も変わることなかった。 
 その為名前を呼ばれるたびに突っ込むことになったのだが。
 とにかく掴みきれない性格なのだ。

 そういやあん頃から飴凪とのやり取りはクラスの名物になったんやっけなぁ…。

 遠い目で沈みゆく夕日を見つめていると、パサっと音をたててタオルが離れた。
 視線をあげればにこやかに笑う雅の姿。



「はい、終わったよ〜」


 
 水分が飛び軽くなった髪を軽く触ると雅を見上げる。



「ん、おおきに。次は飴凪やな」



 しかし彼女は二へリと笑ってタオルをヒラヒラ振った。



「もう面倒臭いからいいや」



 ズルリ


 そう、こういう人間なのだ彼女は。
 軽くずっこけた謙也は次の瞬間、勢い良く立ち上がると彼女の手からタオルを奪った。



「阿呆はお前や!人のこと言えるかッ面倒なら俺が拭いたるわ!」

「おー面倒見いいね忍び足」

「忍足や!」



 ケラケラと声を上げる雅に久しぶりの突っ込みをいれながら、その黒髪にタオルを被せる。
 長い為か水分をたっぷり吸った髪は、凄いスピードでタオルを湿らせた。

 やはり無理を言ってでも先に拭かせるべきだったか。

 絞れば水があふれ出てきそうな湿り気に顔をしかめる。
 一旦タオルを絞ると、案の定冷水が溢れ出し、土を茶褐色に濡らした。
 固く絞ったタオルをバサリと振るい、再び雅の髪を拭く。

 何回かその単調的な作業を繰り返し、やっと雅の髪から大方の水分を拭き取れた。



「ほら、終わりや」

「おぉ、有難う。悪かったねぇ、忍び足」

「だから忍足やっちゅ―ねん!」



 鋭く突っ込むと、もう何度目かも分からないやり取りに肩を落とし深い溜息を深々と長く吐く。

 一体このやり取りを何回やれば名前を覚えてくれるのだろう。
 いや、どんな人間だろうとここまで覚えないのはありえない。
 わざと、という可能性も考えた。 
 しかし、相手が相手なだけにそんな常識が通じるわけもなく、本気で覚えてくれていないのかとも思えるのだ。

 彼女の口から『忍足』なんて単語が聞ける日など来るのだろうか。
 考えれば考えるほど、溜息が零れる。



「忍び足―。溜息吐くと幸せが逃げるよ〜?」



 そんな様子に構わず陽気に発せられた言葉に、一生無理かもしれないという諦めさえ出てくる。
 淋しい後ろ姿を曝す謙也に構わず使用済みタオルを丁寧に畳みながら、雅はそういえば、と口を開いた。



「ボタン、良かったのかい?」

「ん?ああ、ええわそんなもん。予備つけりゃあええ話やし」



 それどころやあらへんかったしなあ…。

 本日二度目になる遠い目をしながら言うのに対し、雅はその頭上にチョップを食らわせた。



「がっ…て何でやねん!」

「そのボタンで卒業式にどれだけの女子が泣くとお思いかっ」

「はあ!?意味分からんわ!」



 頭を抑えて突っ込む彼に、女の代表だと言わんばかりに拳片手に語る。



「女の子の夢でしょ第二ボタンは!」

「ってそれは学ランのやろ?!落としたんはこれ!カッターのボタンや!」

「鈍い!忍び足ならカッターのボタンにも全部さよならする羽目になるよ!一個でも貴重なの!アタシの分がなくなるでしょが!」



 間が、空いた。



「は…?」



 真面目な顔で良い放たれた最後の言葉に、思わず固まる。
 自分の知識が正しければ、卒業式の第2ボタンとは女子が憧れや好きな輩に貰うモノではなかったか。

 否、そういう知識しか、ない。
 先程の流れでは、彼女が自分のボタンを欲しがっているとしかとれない。

 しかし謙也は理解に苦しむ。
 未だに名字も正しく呼んでくれない人物にそんな好意的な感情を抱いて貰っているとは到底思えなかった。
 


「…ちょっと、聞いてる?」

「あ、ああ…」



 思考がこんがらがってあちこち巡っている間に、話は進んでいたらしい。
 何も反応を示さなくなった謙也に対し、雅が多少不機嫌そうに顔を覗き込む。
 停止したままの頭でスマンな、と一言漏らした。

 雅はまあいいか、と立ち上がると、ニッと歯を見せて笑う。







「ってことで君の第2ボタンは今から予約したよ、


 ―『忍足』」





 
「…やから、おした…は!?」


 
 言葉は続かなかった。

 時間が、止まる。

 
 いつもの突っ込みを呑み込んで呆気に取られた。
 前を見れば、何とも楽しそうな瞳と視線がかち合う。
 してやったり、と微笑んだ彼女は綺麗に畳んだタオルを惜しみなく崩し、ヒラヒラ振りながら踵を返した。



「タオルありがと、洗って返す。また明日ね、忍び足!」



 あの夕日に向かって走るんだ!

 どこぞやのドラマの台詞を叫びながら走り去る姿に向かい、はっとした謙也が叫ぶ。

 

「忍足や!」

 

 耳に届くのは軽やかな笑い声だけ。
 口元を押さえてポツリと呟いた。



「反則やろ…あのアホ」



 真っ赤な夕日に感謝する。






駆け引きと笑顔と名前と君と


(初めは確かに本気で間違えてたよ。でもこうやって呼んでおいたほうがいざって時に重みあるでしょ?大切にしたいんだ)
(いつのまにか些細なやり取りが楽しくなった。暫くはこのままでも…断じて、その笑顔が好きっちゅーわけではないんやけど)


勝者、君。
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