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神様お願いです、どうかこの心臓をお守り下さい





「っ待てぇえええ…!」



 燦々と降り注ぐ太陽が西に位置する正午。

 雅は全力で追いかけっこをしていた。
 前方を颯爽と走る自転車をギラギラと睨みつけながら、制服のスカートを翻す。
 その視線の先には、男の片手に握られた己の鞄が揺れていた。

 数分前、項垂れながら帰り路についていた雅は、見事に引ったくりに遭ったのだ。
 おっとりした見掛けによらず足に自信のある彼女だが、人間の足と自転車では残念ながら差は一目瞭然。
 男顔負けの持久力と負けん気で何とか食い付いてはいるものの、容赦なく照りつける太陽によって奪われた体力では、追い付くのは不可能に近かった。



「も…ッ学生の鞄狙うとか見境なしかぁああ!!!」



 普通に考えても、学生鞄では明らかに金目の物は期待出来ないだろう。
 息も切れ切れにめいいっぱい叫ぶが、勿論相手が止まる様子はない。

 何で私ばっか…!

 伝う汗が睫毛をすり抜けて目に入ると、閉じた瞳から汗か涙か分からない液体が零れた。
 歪む視界に目を細めるが、その際足元が疎かになったらしい。

 気がついた時には、ぐらりと大きくずれる景色。



「っ…」



 転ける…!

 前のめりになる身体と急接近する地面を捉え、衝撃を恐れて視界を閉ざす。
 しかし次の瞬間感じたのは痛みではなく、腹部と背中に感じる温かさだった。



「―…え?」



 一瞬の浮遊感の後、足底が再び地面に密着する。
 瞳を開けるより先に、耳元で低い音が囁いた。



「−、任しとき」

「っへ…!?」



 痺れるように鼓膜を揺らしたその声に反応する間もなく、背後から身体をすっぽり包んでいた温度が離れる。
 擽ったさの残る耳を真っ赤な顔で押さえる雅の横を風が切った。

 その見覚えのない後ろ姿をポカンと見送ると、立ち尽くす彼女の前で彼はひょいと屈んだ。
 流れるような動作で再び体勢を立て直し、走りながら、先程拾ったであろう小石を片手で軽く弄ぶ。
 背中越しに見える右手からリズムよく小石が跳ねる様を見つめながら、成り行きを見守った。

 状況的には、小石の使い道など一つしかない。
 雅の予想を裏切らず、青みの掛かった黒髪を揺らした彼は思い切り片腕を振りかぶった。

−ヒュ。

 乾いた音が空気を切り、その狙いは見事に自転車のタイヤ部分に定まる。
 中に入り込んだ異物がカラカラ音を立て、滑車を回すハムスターの如く弾きまわった。



「うお…!?」



 突如襲った違和感と異常音の発生に、男は間抜けな声をあげて大きくバランスを崩す。
 間もなく派手な音を立てて自転車ごと地面に身体を打ち付けると、こちらを確認するなり分が悪いと判断したのか舌打ちして背中を向けた。



「あ、ちょっと…!」



 自転車もそのままに自分の足で走り去った男の体力と気力に感心するが、あの様子だと自転車も盗品なのだろう。

 どうやら雅以外にも何人か引ったくられたらしい。
 カゴから飛び出した様々な鞄達に目を見張った。
 ギャルが好んで持ちそうな物から主婦の買い物バック、サラリーマンの鞄まで、統一性がまるでない。

 本当に見境なしだな。

 口元を引き攣らせながら届けられそうな交番を脳内で探索していると、雅の鞄を片手にこちらに戻ってきた青年が溜め息混じりに笑った。



「けったいなやっちゃなあ。か弱い女の子から荷物ひったくるやなんて男の風上にもおけへんわ」

「あ、りがとうございます…」



 差し出された鞄を大事そうに受け取りながら、ここで初めてしっかり認識した彼の容姿に内心唸る。
 先程の声もさながら、整った顔立ちは大人っぽく、下手をすればそこらの女性顔負けの色香があった。
 丸眼鏡による愛嬌と関西弁から親しみやすさはあるが、これらがなかったらその切れ目と雰囲気に圧されて視線を合わすことすら難しいかもしれない。

 何となく腰が退けている雅の心境を察しているのか否か、彼女に分からない程度に苦笑を零した青年は、自然な流れで手をのばした。
 汗で頬に張り付く雅の髪をそっと払うと感心したように首を傾ける。



「えらい汗やなあ。どれくらい追いかけとったん?」

「あ、どうも。えっ、と…多分五分弱くらいかと」

「あのスピードで五分食らいついとったんなら大したもんや。息もそんな上がっとらんし…スポーツかなんかしとるんか?」

「いえ、特には…」



 差し出されたタオルを有難く受け取りながら、雅は困ったように笑った。

 そうなんか、と意外そうに頷く彼は先程の身のこなしから考えても確実に運動部だろう。
 それに対し雅は吹奏楽部であり、肺活量には自信があるもののスポーツとは無縁だった。
 足の速さはとある事情で培われたものだ。

 それらを思い出して少々遠い目をし始めるが、続いた会話に我にかえる。



「んー…何やさっきからえらい堅苦しいなあ。同い年なんやし、もうちょい気軽に話してもええんちゃう?」

「−…はい?



 さも当たり前とでも言うようにサラッと言われた台詞に、雅の思考回路が停止した。

 こんな妙な色気のある人と年が同じだなんて誰が信じられようか。
 寧ろ、ショックさえ受ける勢いだ。
 そもそも見ただけで年が分かる筈がない。
 きっと何かと聞き間違えたのだ。

 そこまで思考を纏めたところで1人納得すると、もう一度さっきの台詞を言ってくれないかと睫毛を上下させながら青年を凝視するが、返ってきたのは確信に満ちた艶やかな笑みだった。



「飴凪雅ちゃん、中3やろ?」

「!何で…」

「あ、ストーカーとかやないで?お届けもんや」



 心持ちか血の気が失せた顔色を見るなり慌てたようにポケットを探りはじめた彼は、取り出した物を雅に分かりやすく掲げた。
 それを見た彼女の口からは、驚きの音が漏れる。



「あ!」

「朝ここらで拾ったんやけど、自分ので間違いあらへん?」

「私のです!」



 己の通う学校の紋章が入った、所謂生徒手帳。

 見覚えのありすぎるそれを認識するなりコクコクと頷いた雅は、今朝、学校に着くなり無いと大騒ぎしたことを思い出し、軽く頬を染めた。
 これを拾ってくれたのであれば、名前や学年が知られていたのも納得だ。
 中には写真も貼り付けてあるため、それで持ち主と判断したのだろう。

 ストーカーなどとあらぬ疑いをかけてしまった事に心中で謝罪しながらお礼を言って受け取ると、優しげに切れ目が細められた。



「俺は忍足侑士や。…実を言うとやな、朝はここらへんでようすれ違っとるんやけど」

「え゛!?」

「やっぱ気付いとらんかったんやなあ…」

「っ…すいません」



 残念そうに肩を落とした忍足にワタワタと頭を下げる雅に、苦笑混じりの声が掛かる。



「いやいや、謝ることやないんやで?俺が勝手に意識しとっただけやし」

「えっ…と…」



 言われ慣れない台詞にどう解釈していいか悩んでいると、不意に腕を引っ張られた。
 気が付いた時には雅は忍足の腕の中におり、益々状況が理解できず、脳が限界を訴え始める。
 この美形相手では心臓に悪いことこの上ない。



「っあの!?」

「…はー、堪忍。危なかったなあ」

「え、何か…」



 やれやれと肩をすくめて微笑む忍足の視線を追えば、数秒前に自分のいた場所には白い液体状のモノが落ちていた。

 考えるまでもない。
 鳥のフンだ。
 彼が引き寄せてくれなかったら確実に頭に喰らっていたであろう位置だった。

 熱が集まった顔から、今度は血の気が引いていく。



「わあ!?あ、ありがとうっ」

「ええて、気にせんとき。それよか自分、ホンマ運あらへんなあ…。折角の誕生日が台無しやん」

「へ!?」

「…やからストーカーやないて。失礼やけど生徒手帳ん中見させてもろた時に一緒に見えたんや」

「ああ…!」



 何度言わせんねん。
 ノリで突っ込んでくれる忍足に自然と雅の笑みも戻った。

 確かに、生徒手帳を落として、ひったくりに遭って、その上鳥のフンの餌食にまでなりかけたのだ。
 誰がどう見ても運がないだろう。
 しかし、雅から見ればそれも“今更”な話だった。

 クスリと笑い声を零すと、鞄を持ち直す。



「でももう慣れっこだから」

「慣れっこ?」

「うん。私、昔から何かにとり憑かれてるんじゃないかってくらい運悪くて」



 不思議そうに返してくる忍足に、可笑しくてしょうがないとでもいうように頷く。
 物心ついた頃から、“運”とはとことん付き合いが悪かった。

 先程のような落下物には決まって、狙って当たりにいっているのではないかというくらい命中する。
 雨の日に出歩けば、跳ねられた水溜まりを被るのは当たり前。
 くじやジャンケンで勝ち目などあるわけがなく、希望通りの係や委員会などになったことすらなかった。

 話題として挙がった足の速さも、その運の悪さによる賜物だ。
 全力疾走しなくてはならない状況を与え続けられてきた結果だった。

−このままいけば走りに関しては世界記録更新できるかもね。

 雅が冗談混じりに笑うと、何か考え込むかのように彼女を見つめた忍足は、ふと真剣な眼差しを送る。



「…せやったら、俺をボディガードにする気あらへん?」

「ボディ、ガード…?」



 キョトンとする雅に、ふっと口元を緩めて視線を少しずらした。



「まあそんな大層なもんでもあらへんけどな。俺とおる限りは不幸にはせぇへん」



 その言葉が脳に届いた瞬間、トン…−、と軽く壁に押さえつけられる。
 呆ける雅の視線の先、忍足の背後を、物凄い勢いで車が通過した。
 タイミングからして、庇ってくれたのだろう。

−住宅街でなんちゅうスピード出しとんねん。なあ?

 呆れたように笑いながら同意を求めてくる彼から、目が離せなかった。
 車の巻き起こした風が、その黒髪を舞いあげる。

 不敵な表情に思考が奪われた。



「自分に降りかかるハプニングは全部俺が何とかしたるわ」



 風が止むころには既に直視などできず、堪らず視線を下に落とす。
 心臓が煩くてしょうがなかった。
 クラクラする意識を保とうと、鞄を持つ手に力を込める。




−悪い条件やないやろ?




 軽く屈んで届けられた音に、火照る頬を冷まそうと、何度も何度も頷いた。







神様お願いです、どうかこの心臓をお守り下さい


(ああ、何だか別のハプニングに見舞われそうな気がします)
(初めは危なっかしくて見とっただけやったんやけど…気付かんうちにえらい惚れ込んだもんやなあ)


心拍数異常注意報。
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