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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -
その笑顔は誰かのもの、その涙は僕のモノ


 ふわり。

 鼻腔を掠めた香りに、不二はふと瞳を細めた。
 その手が作業を止めたことに気付いた黒目が不思議そうに瞬く。



「…どうかした?」

「ああごめん、大したことじゃないよ。飴凪さんから優華と同じ匂いがしたから」

「え…?あ、昨日優華ん家に泊まったからかな。シャンプーとか?」

「そうなんだ」



 にこりと普段通りの柔和な笑みがその端正な顔を彩った。

 しかし、現在彼と対話する彼女はずば抜けて洞察力に長けている。
 ふと掠めとった違和感に、くすりと笑いをこぼした。



「やだなあ不二君、もしかして嫉妬してる?」

「…そう見える?」

「見える見える。心配しなくても優華は不二君一筋だから」


 
 昨日はただの女子会ね。

 大人しい彼女にしては珍しい冗談めいた口調で、口元からは悪戯っぽく小さな八重歯が覗く。
 そんな雅に、不二もクスッと柔らかい表情を返した。



「本当に鋭いね、飴凪さん」



−大当たりだよ、


 …半分は。

 心中でも同様に温和な口元を作り出す。
 元々、自分の真の感情を察知できる人間は極僅かだ。
 その中でも当たり前のように本心を感じ取ってしまう雅は、不二にとって重宝するべき存在で、また同時に警戒の塊でもあった。

 ぱちり。

 作業を再開し始めた白い指に、意識を引き戻す。
 睫毛を下ろした雅の唇から、まるで台本のようにスラスラと台詞が流れ出た。



「昨日も不二君の話ばっかりだったんだよ」

「本当に嬉しそうに話すんだから」

「大事にしてあげてね」



 やんわりと唇の形を和らげる彼女は、気付いているのだろうか。

 いつもより多い瞬き。
 少し頭を傾ける動作。
 乱れてもいないのに耳に髪をかけ直す仕草。


−本心を隠す時の彼女独特の癖が、出てしまっていることに。



「…、もちろん。優華を泣かせたら飴凪さんが怖いしね」

「ふふ、優華が泣きついてきたら奪い返しちゃうから」

「安心して。責任を持って幸せにするよ」

「不二君だもん、そこのところは心配してないけどね」

「うん、期待に応えられるように頑張ろうかな。今があるのは飴凪さんのおかげだよ、ありがとう」

「ううん、私は何も…−」



−ああほら、また髪を直してる。


 自分の癖を見抜かれていることなど、彼女はきっと知らないだろう。
 無知のままいつも通りの顔を繕う雅に、はやる心臓を制御する。



 彼女の気持ちには、気付いていた。
 “自分と同様の”それに気付くのは容易かった。
 ただ、雅には何者にも代え難い友達がいて、その友達が不二に恋心を抱いてしまっただけの話だ。



 ガタン。

 音をたてて、漆黒が空気に舞った。
 視線をあげれば相変わらず真っ直ぐな瞳にかち合う。



「−ほら、そろそろ時間だよ?もう終わってるし先生には私から渡しとくから」

「…そうだね、あまり待たせられないしお願いしてもいいかな。また今度何か奢るよ」

「ありがと。優華によろしくね」

「うん、飴凪さんも帰りは気を付けて」



 さらりと空気に晒される栗色の髪を見送る。
 彼が扉の向こうへ消えると、シンと重い空気が空間を満たした。
 はらりと雅の耳から流れた横髪が頬を滑る。



「−…ばかだな」



 意識するでもなく自嘲が顔を覗かせた。

 自分で決めて、進んだ道なのに。
 いつもひとりになった瞬間に後悔が胸を占める。

 大切な親友と、大事な想い人。
 どちらをとることもできなくて、結局二人とも手放してしまった。

 否、嫌われるのが怖かっただけだ。

 彼をとって、彼女から。
 彼女を独占して、彼から。
 笑顔以外の顔を向けられることに怯えた臆病な自分。

 どちらにも想いを伝えることなく、これからも伝える気はない。

 つき合う二人を見守って、
 結婚を見届けて、
 あわよくば赤ちゃんを抱ければ嬉しい。

 ふっと緩んだ口元をひとつ、粒が通過した。







「−…うん、ばかだよね」



 −君も、僕も。

 閉めた扉のすぐ横で、不二は壁に全てを預けて呟いた。
 窓を覗けば、きっと“いつも通り”の姿があるに違いない。
 小さい背中、震える肩、肩から滑り落ちる髪。

 過去に、現在に、これからの未来に、全てに耐えて涙する姿があるだろう。

 すぐに駆けつけて抱きしめて、僕も同じなんだと伝えてしまいたい。
 全てを奪ってしまいたい。

 手の届く位置にあるのに、条件は揃っているのに。


―何度か、かまを掛けてみたことがある。



『ごめん、ちょっといいかな。彼女について相談があるんだけど…』

『飴凪さんは、好きな人とかはいないの?』

『彼女に、告白しようと思うんだ』



 自分に好意があることを確信している彼女の親友に、第三者から見ても明確であろうアプローチをかけた。
 優しい彼女が、自分と親友どちらをとるのか。
 残酷だと知りながらも好奇心に打ち勝てず、天秤にかけさせた。

 そのたびに返ってきたのは、喜びと悲しみを足して、嘘で割ったような笑み。



『−優華のことが、好きなんだね』

 違うと、叫びそうになる唇を頑なに閉じた。



『−うーん、好きな人というか…大切な人って言うなら優華が一番かな』

 そんな答えを、聞きたかったわけではなくて。



『−お似合いだと思うよ』

 君をこれほどまでに憎いと思ったことは、ない。



 手を伸ばしてこない彼女が、気持ちを封じてしまう彼女が、心から憎らしかった。
 愛と憎しみは表裏一体と言うけれど、まさにその通りだ。

 少し人見知りな雅はみんなに平等に同じ笑顔を向ける。
 その中でただひとり、彼女の本来の表情が見られる位置にいる女の子が羨ましかった。
 雅の自分への気持ちを確信してからは期待もしたけれど、必死の思いで近づいてやっと見られるようになった笑顔は、彼女の親友に対するものと同じ。

 渇望していたそれが、心を満たしてくれることはなかった。



−それじゃあ満たされない。

−僕以外にも向けるものなら、いらない。



 何か、“自分だけの特別”が欲しかった。
 こんなにも自分が欲張りだったなんて知らなかった。
 今の僕だけが優しい彼女から引き出せるもの。

 それは…−、







「…ごめん優華、待ったかい?」

「大丈夫、それより雅ちゃんは?今日一緒に日直だったんでしょう。仕事押し付けてきてないでしょうね」

「うーん、最後は少し甘えちゃった、かな」

「もー、周助も雅ちゃんが優しいのは知ってるでしょ!」

「−…、そうだね、今日も笑って送り出してくれたよ」



 いつも通り、雅よりも幾分高いであろう温度に触れながら。
 先ほどまでの彼女と同じ香りに、顔を埋めながら。

 少しだけ、ほんの少しだけ悔しそうに、眉をひそめて笑った。







その笑顔は誰かのもの、その涙は僕のモノ


(嘘、ほんとは二人が戻ってきてくれることを何より願っているのに)
(君に伝える日はこないだろうけど、ずっとずっと“愛してる”)


ぱたりぽたり、落ちた雫はすり抜けて。
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