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鮮血ピアス


 雅はじっとテーブルの上を眺めていた。

 正確に言えば、テーブルの上のピアッサーを、だ。
 意を決してそれに手を伸ばした瞬間、それは背後から伸びてきた手に拐われる。
 見覚えのありすぎる袖口と、相変わらずの気配のなさ。

 ギリッと下唇を噛む雅に、愉しげな声が降ってきた。



「雅ちゃんピアス空けるんだ?意外だねえ」

「…毎回言ってるんだけど不法侵入、いい加減辞めてくれない?」



 ギロリと睨み上げると、その手の主は片手にピアッサーを持ったまま、おお怖いと両手を挙げる。
 
 その表情には笑みが張り付いており、どう見ても言動と一致していない。
 そんな様子に苛々しげに睫を伏せた雅は、意図的に視線を反らした。
 彼の腹の内の読めない瞳は、苦手を通り越して嫌悪感さえ感じさせる。

 眉目秀麗な青年はそれすらも見越したように軽く肩をすくめると、大して気にした様子もなく雅の隣に腰掛けた。

 マジマジと、しかし感情の籠らない目で片手のピアッサーを見つめる。



「ふーん…」



 君がこんなものを持ち出すなんてね。
 
 暫く眺めた後それを弄びながら含みのある笑みを浮かべ、サラリと核心をつく言葉を吐き出した。



「今度はピアスを空けようとでも誘われたのかな?」

「…あんたには関係ない」

「相変わらずあの子には甘いんだねえ」



 嘲笑ともとれるその笑みに、あからさまに眉を寄せる。
 不意に、自分に向かって笑い掛ける、ふわふわした雰囲気の少女の顔が雅の頭をよぎって消えた。

 自分に『依存』する親友。



「だったら、何?何か言いたい事がありそうだね。…―折原臨也」



 憎らしげに吐き出された自分のフルネームにクツリと喉を鳴らして、臨也はピアッサーをテーブルに置く。

 コツリ。

 硬い音と共に、ギシリと木製のテーブルが軋んだ。
 肘をつき片手で顔を支えた臨也が、作り物のような胡散臭い笑顔で雅の顔を覗き込む。



「ホントはもう分かってるくせに」



 クスクス笑う姿に、吐気がした。

 『雅ちゃん、ずっと私と一緒にいてね』

 頭をちらつく、明るい声。
 臨也の言葉の続きを聞くのを拒否するかのように、雅は鋭い声を飛ばす。



「煩い」



 言うな言うな言うな!

 頭の中でグルグル回る廻る危険信号。
 冷静さを保とうと、必死に唇を噛み締めた。

 それに目を細めた臨也は、雅のそんな中身を見透かした上で、その気持ちをいとも簡単に踏みにじった。



「彼女が必要としてるのは君じゃなくて、―」



 わざとらしく空けられた空白が、気の遠くなるような時間に思える。
 フェルターが掛ったようになる鼓膜を、音の羅列が揺らした。



―『君の偽善の優しさ』だろう?



 無邪気な声で響く音に、一瞬目の前が真っ暗になる。

 ああ、分かってるってば。

 気付かない振りをしていたのに、無理矢理蓋をこじ開けて突きつけられる事実。
 うつ向いた拍子に黒髪がパラリと肩から落ちて、雅の顔を隠した。
 
 それでも全てを見透かしたような視線が自分を捕えているのを、肌で感じる。



「彼女が欲しいのは愛されてるっていう証拠さ。そうやって君に難題を押し付けて、愛を試してるんだ」

「…煩い」

「君が思い通りに動いてくれるのが快感でしょうがないんだよ」



 ダァンッ。

 テーブルが音を立てた。



「ッ煩いって言ってるのが分からないわけ!?」



 テーブルに叩き付けた拳へジンジンと伝わる鈍痛には目もくれず、雅は顔を上げる。

 熱くなれば熱くなるほどそれを肯定することになると理解しながらも、気持ちを抑えることができなかった。
 怒りに滾った、鋭利な視線が臨也を貫く。
 しかし、臨也がそれに対し怯むことはなかった。

 それどころか心地よさそうに目を細めて、テーブルに叩き付けられた雅の手をとる。



「あーあ、女の子がこんなことしちゃダメだって。もっと自分を大事にしないと周りが悲しむ」

「残念、誰も悲しまないよ」



 皮肉げに笑った雅は、その手を振りほどいた。

 もう、臨也がどんな表情をしているかも分からない。
 見るつもりもないし、興味もない。 
 完全に臨也から視線を外すが、彼はそれを許さなかった。

 ガタ。

 椅子が動く音を認識した時には既に臨也は席を立っていて、両肩に置かれた手が強制的に雅の身体の向きを変える。



「…何?」

「いやあ、そこまで分かってて彼女の言いなりになる君を見てるのはとてもとても愉快なんだけどさ、」



 少し屈んで、嫌悪感も露な雅の耳に唇を寄せた。
 思わずピクリと反応する彼女に唇を歪めながら、甘美さを交えた声で囁く。



「あまり彼女一人にのめり込むのは感心しないなあ」



 たまには俺にも構ってよ。

 その言葉が脳に届いた瞬間―、






 ガリッ。



「!!ッ―…ッぁ」



 激しい痛みが、雅を襲った。

 あまりの激痛に、頭が真っ白になる。

 それは甘噛みなんて生易しいものではなかった。
 容赦なく突き立てられた歯は深く耳朶に食い込み、その周囲を充血させる。
 一拍遅れてプッ、と何かが切れたような音が雅の鼓膜を揺らした。

―ああ、皮膚が裂けたかな。

 痛みで朦朧とする意識のなか、ぼんやりと自分の身体の状態を把握する。
 耳が、とてつもなく熱かった。

 貫通まではいかなくとも確実に傷付けられた皮膚から、ジワリじわりと血が滲み出るのが分かる。



「はい、完成ー」



 不意に耳たぶから消えた異物感と、楽しげに愉しげに耳に届く声。

 初めは何かと思い切り眉を寄せるものの、直ぐにその意図に気付いた。
 雅の耳朶にできた血の玉は、傍から見れば、あたかも真っ赤なピアスをしているように見える。
 
 それを頭の中で認識するなり呆れたように諦め混じりの息を吐くが、臨也が彼女から離れる様子はなかった。



「ん、ちょっと血出すぎかな?形悪いなあ」



 雅の耳から唇を離したすぐそこの位置で唸るように首を傾げると、大きくなりすぎた赤を舌で拐う。
 わざとらしく傷口に当たる唇に反射的に顔を顰めた。



「ッ…、いい加減にしてくれる?」



 激しくトーンの下がった声を聞くなりやっと雅の耳元から顔を離した臨也は、同時に飛んで来た平手をさりげなく受け止める。



「アハハ、痛かった?」

「痛くないと思うならそこら辺の女捕まえて同じようにやってもらったら?」



 あんたなら口さえ開かなければ喜んでやってもらえるでしょ。

 止められた手を苦々しい表情で振りほどきながらそう吐き捨てると、臨也はまさかと笑った。
 己の唇の端に付着した雅の血を、ペロリと舐めとる。



「生憎俺はMじゃないんでね。君がやってくれるっていうなら話は別だけどさ」

「冗談」

「おや残念」



 雅が鼻で笑ってもやはり笑顔は崩さす、流れるような仕草で彼女の耳付近の髪を掻き上げた。
 露になった耳に、満足そうに唇が弧を描く。



「ああ、似合うね。やっぱり君には赤が似合う」



 慈しみの籠った瞳に戸惑うが、それも一瞬のことだった。

 すぐにいつもの企みに満ちた笑顔に戻り、臨也はクルリと雅に背を向ける。
 いつものことだ。
 いきなり来ては、気まぐれに去って行く。

 相変わらず猫みたいな奴だと黙ってその背中を見つめていると、思い出したように立ち止まって、振り向き様に一言。



「まあ、また開けたくなったら俺のとこに来なよ」

「誰が、」



 言葉は最後まで言うことなく遮られた。



「来るさ」



 いつもより真剣な声に思わずドキリとして動きを止める。

 数秒間の沈黙の後、空気が笑い声に震えた。
 瞬きと共に見えた臨也の顔には、やはりここに来たときと同じ笑みが張り付いている。



「君は俺からは離れられないからねぇ」



 先程の声は幻聴だったのかと思うくらいの、狂喜に満ち溢れた声。

 淡々と紡がれた言葉に、雅の唇が開き掛ける。
 言葉は、出なかった。

 じゃあ次は会いにきてくれるのを期待してるよ、雅ちゃん。

 彼の事を知らない人間ならばきっと見惚れであろう笑みを残し、臨也は手を振って爽やかに姿を消す。

 バタン。

 ドアが閉まると、雅は熱が抜けないままの耳にそっと触れた。



「…そういう所がムカつくんだってば」



 ポツリと呟いた言葉は誰にも届くことなく空気に溶ける。

 カサ。

 既に出来始めた痂に触れると顔を顰め、手にとったピアッサーをゴミ箱へと投げ捨てた。







鮮血ピアス


(愛なんて言葉で、片付けられる関係じゃないから。いわばもっと複雑な)
(俺からしてみれば君が周りの愛に気付いてない方が都合がいいからね)


言わない言葉、積みゆく。
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