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パチリ。
切れのいい、聞き慣れた空気の振動が鼓膜に伝わる。
いつもは他にももうひとつ呼吸音が存在するはずだが、生憎本日は委員会だとかで遅れているらしい。
対戦相手の不在を埋めるためだろう。
本を片手に詰め将棋をするクラスメートを傍に、雅はぼんやりと窓の外へと視線を投げた。
「緑間君、遅いねぇ」
「そうだな」
「私じゃ赤司君の相手できないからなー」
「別に、キミにそんなことは望んでいない」
そもそも将棋のルールも知らないんじゃなかったか?
盤に視点を集中したままの冷静な返しに、まあそれはそうだと首を振る。
しかし何も役に立てないのは寂しいものだ。
「じゃあ何なら望んでくれる?」
「充分、マネージャーとして貢献してくれている」
「さっちゃんみたいな働きはできないけどね」
「彼女とは役割がまた違うだろう」
「んー…そうだね」
完全に将棋に意識を置きながらも、間髪いれず的確な応えをくれる。
そんな彼に淡い期待を持って、ゆったりと頬杖を外した。
「ねぇ、ひとつ質問いいかな」
「構わない」
赤司が将棋中に私語を受け入れるのは、今の時点では対戦相手をこなしている緑間と、飛び入りマネージャーの自分くらいだ。
そんな自覚があるものだから、少し口元を緩めて前髪を揺らした。
くるり。
身体を回すと、相も変わらず手元に集中する姿が視界を支配する。
本人にその気はないのだろうが、なんともまあ大した存在感だ。
真っ赤な色に焦がれながら、曖昧に愚かさを重ねたような疑問を口にした。
「…傷付かないためには、どうするべき?」
一瞬空気が止まるが、それも錯覚と思うような滑らかさでゆるやかに時は再開する。
パチン。
最早彼の一部と化している音が、当たり前のように雅の耳に進入した。
一息置いて、彼自身の音が追い打ちをかける。
「−オレの傍にいればいい」
「…、……え?」
どんなに朧気に表現しようが、変わらない。
きっと、赤司には全てみえているのだろう。
一点から動かなかったはずの視線が、ブレた。
交わる瞳に、世界と呼吸が停止する。
「傷つきたくないんだろう。だったらそれが一番手っ取り早い」
塞がれた両耳。
あらゆる雑音が遠のいた。
許してやらないよ、キミが傷つくなんてこと
(恐怖を感じるくらいの、把握と掌握)
(隣にいる存在であるならば、守る理由と意義は十分にある)
世界にさよなら。
(お題配布元:mikke様)