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詰め込む糖分に隠したものは、


 黄瀬は、焦っていた。
 まさか自分がこんなに必死に女の子の後を追う日がこようとは。
 その華奢な背中との距離を縮めようと、おぼつかない脚を叱りながらひたすら進む。



「っ飴凪さん!」

「何かな黄瀬君」



 相も変わらず柔らかに揺れる黒髪。
 いつもと同じ音に聞こえるが、振り返りもせず正面を見据えたままの頭部には若干の冷たさを感じた。



「何もなにも…何スか、会っていきなり帰るって…!」

「それは黄瀬君が一番分かってると思うんだけど」

「っ分かんないッスよ!」



 ぐい。

 何とか引き留めようと、掴んだ肩から引き寄せるように彼女の首もとに両腕を回す。
 散々断られながらもめげずに誘って、やっと一緒に出かける約束を取り付けたのだ。
 こんな別れ方では納得できない。

 小柄な雅に合わせて屈むようにしてぎゅうっと力をいれると、シンプルな香りが鼻腔に届いた。
 いつだって彼女から香るのはこの石鹸の匂いか、常備している飴独特の甘さの二種類だ。
 何とも彼女らしいと状況も忘れて和んでいると、想いが通じたのか。

 足を止められた雅がそっと息を空気に織り交ぜながら首を動かす。



「…じゃあ黄瀬君、今日は熱測ってきた?」



 突拍子もない質問に戸惑うが、知らないふりをするには思い当たりがありすぎた。
 重水が波打つような頭を立て直すと、霞む視界の中、雅から少しだけ焦点をずらして俯く。



「……、測ってないッス」

「明らかに本調子じゃないのは分かってるよね」

「っ別にこれくらい…、」



 何でもないと説得しようとするが、その前に腕の中の温度が動いた。
 黄瀬の腕を弛ませくるりと反転した雅が、向き合う形で彼の頸部に両手を当てる。
 ひやりとした指先に反射的に肩をすくめると、真剣な瞳に自身が映り込んだ。



「熱い。結構出てるよコレ」



 こんな状態で外出なんて無茶だよ?
 いつもは穏やかな瞳が強く瞬き、彼女の怒りを主張する。


−今まで付き合ってきた女の子達であれば、どんな反応を返してきただろうか。

 自分が無理をしてでも約束を守ったことに感動する?
 それともフラフラさに落胆するか。
 否、下手をすれば体調不良にすら気付いてももらえないかもしれない。

 そんなどうでもいい思考を巡らせてから、自嘲を零した。

 皮膚から侵入する、透明な温度。
 互いの体温差にクラクラする。
 雅が低すぎるのか、自分が高すぎるのか、はたまた柄にもなく触れられたことによって気持ちが高ぶっているのか。

 考えてもどうにもならないであろう内容を渦巻かせながら、首に当てられる白い手首に触れた。



「それでも…一緒にいたかったんスよ」



 今日をどれだけ心待ちにしていたか、なんて、目の前の彼女には想像もつかないだろう。

 雅は自身の“普通さ”も“他人との違い”も熟知している。
 結果、他の女の子から反感を買いたくないからと、普段から人目のあるところでは徹底して黄瀬に関わってこない。
 そんな彼女に対しては、挨拶ひとつ交すだけでも結構な難易度だ。
 今回のデートは、それならば学校以外ならどうだと人目をかいくぐってはアピールを重ねた結果だった。

 確かに彼女を意識し始めたのはごく最近だが、軽い気持ちではないという自覚ははっきり持っている。
 モデルという肩書きや容姿に群がる女子とは違い、“黄瀬涼太”として全部をひっくるめて見てくれる存在。
 今までは想われるだけで想った経験がなかったために、この感情を正しく伝える術が思いつかなかった。

 ただ確実なのは、今この手を離せば、彼女が去ってしまうという現実。







「−…離したくない」







「!−…、」



 頭ふたつ分ほど上からこぼれ落ちてきた言葉に僅かに目を見開いて黄瀬を見つめ直すが、当の本人は無自覚らしい。
 切なげに視線を落としている彼と交わるものはなく、雅はちょっとした安緒の息を漏らした。
 名残惜しさを残しながらもするりと黄瀬の指先をすり抜け、手を自分の元へ引き戻す。



「…とりあえず、今日はだめ。身体が第一。帰って安静にすること」

「う…でも、」

「黄瀬君、子供じゃないんだから。明らかに熱あるし、…今の君のテンションで公共の場に出向くのはいつもに増して目立ちそうだから嫌」

「…へ?」



 キョトンと前髪を揺らす姿に、苦笑を噛みしめた。

−普段の彼なら、まず二人の体温が触れ合う事はなかっただろう。

 意識的か無意識かは不明だが、黄瀬は雅への身体的な接触は明らかに制御していた。
 意図は理解しかねるものの、彼の中で何かしらの葛藤があるには違いない。
 そのため今日のように手首を捕らえたり、ましてや後ろから抱きしめたりなどするはずがなかった。

 先程の発言といい、どう考えても発熱が原因だろう。
 こんな状態の彼を連れて歩けば、結果は想像に容易い。
 現在地は人気のない公園であるためまだいいとしても、人混みの中へ出ればどうなるか。

 ちらりと見やれば、まだ納得がいかないらしい。
 和やかとはほど遠い表情に、口元が弛んだ。
 不謹慎かもしれないが、彼がここまで渋ってくれるのは、正直嬉しい。
 しかし、だからこそ無理はしてほしくない。

 上着のポケットに右手を潜り込ませると、手慣れた動きでそれを実行した。



「はい、口開けて」

「んぐっ!?」



 聞き慣れたビニールの擦れる音に続いて、舌上に押し込まれる個体。
 何をされたかは理解できても、彼女の思惑は掴みあぐねた。
 してやったりと煌めく睫毛に意識を奪われる。

 身じろぎすらできず固まる黄瀬の耳に、軽やかなソプラノが浸透した。



「ラスト一個。今一番お気に入りの味なんだけど、黄瀬君だからプレゼント。“次”は最初から最後まで元気でいてもらわないとね」



 目の前でふわりとほどけた笑顔。
 逆光が鮮やかに黒を照らし、いつかのデジャウに眩しそうに瞳を細める。

 …熱、逆に上がりそうなんスけど。



 じわり広がる酸味に口元を覆った。







詰め込む糖分に隠したものは、


(私だって楽しみにしてたのに、分かってないのはそっちの方だよ?)
(こんな気持ちは、知らない)


がりり、噛み砕いた蜂蜜レモン。
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