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お願い、聞いてくれますよね



 がちゃがちゃ。

 通い慣れたバイト先で食器整理に熱を入れていると、扉の向こう側から会話が漏れてきた。
 キッチン前でバッタリ出会ったらしい。
 声から察するに、勤めて五年のベテラン主婦と、最近入った新入りだ。



「あらー、安室くんもう上がり?ぴったり時間内に終わるなんて要領いいのねえ」

「ああ、今日は用事があるので早めに動いていたんですよ」

「そうなの。あ、もしかしてデートとか?」



 好奇心のにじみ出る声色が紡ぐ言の葉。
 無意識に鼓膜が反応した。
 一瞬、酸素交換すら忘れる。



「−…まあ、そんな感じでしょうね」



 どくり、どくり。

 自分の心臓の鼓動を聞きながら、そっと睫毛を下ろした。
 自分は何をしているんだっけ。
 ああ、そうそう、バイト先で食器整理をしているんだった。

 手は動かしながらも、意識はどこか遠くにいってしまっているような。
 第三者になってしまったような、そんな感覚。



「ほんとに?!あらまあ〜安室くんもやるわあ。また紹介してちょうだいね」

「あはは」



 二人の音の掛け合いが、BGMの如く耳をすり抜けていく。



−彼には、一目惚れ、というやつだったのだろうか。



 とにかく短い恋だった、とひとりしんみりとしていると、がチャリと扉の開く音が空気を揺らした。
 明るい声が空間に浸透する。



「あ、飴凪さん!この後って空いてます?」



 そうそう、あんな風に気軽に声を掛けてもらえたらな、なんて。

 …、…ん?

 数秒の沈黙ののちに気付いた。
 この四角い場所に存在するのは、先ほど飛び入り参加した安室以外には、己だけだ。
 しかも聞き間違いでなければ、26年間の付き合いの名字が、彼の台詞に入っている。



「…………。わたし、ですか」

「はい。出来れば付き合ってほしいところがありまして」

「…今日はデートがあるんじゃ、」



 口を開いてからしまったと唇を封鎖するが、もう遅かった。
 これでは不可抗力とはいえ、先ほどの会話を盗み聞きしていたのがばればれだ。
 努力の甲斐なく形として届いてしまった音達を拾った安室は、一瞬だけきょとん、とすると次の瞬間にはケラリと笑う。



「ああ、聞いていたんですか。あんなのはその場の流れですよ。それで、この後のご予定は?」

「…、」



 ここで喜んでと頷けるような積極的な性格であれば、どれだけよかったか。
 チキンな自分には、こんないきなりのチャンスに飛び乗る勇気すらない。
 せっかくの気紛れチャンスを潰してゴメンナサイ神様。

 泣く泣く即興の理由を吐き出した。



「…生憎ですが、今日はやることが大量に残っているので」



 即興、とはいっても嘘ではない。
 死ぬ気でやれば30分程度の残業でいける量ではあるが、ここは敢えてゆっくりする道を選ぶ。
 返答を聞いた安室は大して気分を害した様子もなく、ただ、その垂れ目を細めた。



「ほう、例えば?」

「ゴミ出しとか」

「あ、それは先ほど外に用事があったのでついでにさせていただきました」



 さらりと返ってきた好青年スマイルに心打たれるが、実際に、仕事はまだまだ残っている。



「ありがとうございます。本当に要領いいんですね。でもまだ食器の片づけも残ってますし」

「勿論、手伝わせていただくつもりですが」

「え、どうも…。あ、っと明日の下準備も頼まれていて、」

「それも終わっていますよ。たまたま自分の仕事が早く終わったんで」

「…助かります。そうだ、仕入れ物のチェック…」

「−どうぞ」



 さも当然とばかりに目の前に差し出された完成済みの紙束に、やっと違和感を覚え始めた。

 あれよこれよと片づけられていく残業物。
 中には店長直々に頼まれた物もあるのだ。
 いくら要領がいいといっても、“出来過ぎている”。
 最早、自分の仕事のついでレベルではない。



「………、安室さん?」



 恐る恐るといった様子でチェック表から視線を戻すと、相変わらずの笑顔が輝いていた。







お願い、聞いてくれますよね


(あれ、いつもと同じ笑顔のはずなんだけどどことなく違うような…)
(目的の為なら案外、手段は選ばない質でして)


ぴしり、笑顔に皹入り。




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