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ちゃんと言うまで、許しません








 
 認識できた後ろ姿に悪戯に八重歯を覗かせると、雅はその背後から手を回した。
 手元の文字の羅列へと向いている意識を逸らすように、彼の瞳を覆う。



「黒子っちー」

「…雅さん、」



 余程集中していたのか、珍しく間があった。
 静かに手にしていた文庫本を横に伏せた黒子は、雅の両手を柔らかく外しながら顔の向きを変える。



「その呼び方はやめませんか」

「え、なんで?」

「激しく被る人がいます」

「ありゃ、必死に考えたのにー。じゃあ黒ちんとか」

「…。雅さん、超能力でもありそうですね」

「あわーまさかのこれも先客?」



 あたし、実は隠れエスパーだったりするのかしら。

 コテンと首を倒す彼女を前に、黒子の瞳はゆったりと瞬いた。
 雅と彼氏彼女といった関係に発展したのは、約一年前だ。
 別にそこまでこだわるタイプではないが、未だに苗字で呼ばれていることに少々の違和感を感じたのが半日前。
 呼び方を変えてみませんか、と提案したのが一時間前である。

 待ち合わせ前に携帯を通して伝えた台詞を思い出し、音もなく息を押し出した。
 彼女に本心をくみ取って貰うのに、遠回しに言うこと自体が回り道だ。
 彼女なりに一生懸命脳を絞ってくれたのは分かるのだが、なんの因縁か。

 切っても切れない関係にある面々を思い出させる呼び名の連続に、思わず要望も織り交ぜて意見した。



「−別に、名字にこだわる必要はないと思いますけど」

「それは名前もオーケイということですか。馴れ馴れしくない?」

「関係的には寧ろ普通だと思います」

「んー…あ、テツくんは?」

「………」

「…よっしゃ、じゃあこてっちゃんでどうだ!?」



 最終的には酒のおつまみにでもありそうな名称へとたどり着き、普段は気の長い部類であろう黒子にも限界がきたらしい。
 無言で読書という行為に戻った彼に気づかないほどには、雅は鈍感ではなかった。
 慌ててその隣へと移動し、のぞき込むように顔色を窺う。



「あれ、なんか機嫌急降下してない!?黒子くん黒子くん、真面目に考えるから機嫌直して」

「…別に、怒ってません」

「うそだーじゃあこっち向いてよー」

「ちょっと用事を思い出しました」

「やっぱり怒ってるじゃんかー」



 ゆるゆるとベンチから挙がり掛けた腰を察知し、その動作を妨げようと黒子の空いている方の手に指先を伸ばした。
 しかしそれが届く前に、逆に彼の温度が先手を打つ。
 ふわりと上から重ねられた手に、前髪を揺らした。

 彼にしては珍しい行動に動けずにいると、己の姿をワンポイントで映す瞳とかち合う。
 只でさえつぶらな目にそんなに見つめられれば、大抵の人間は照れるだろう。
 それが想いを寄せる相手であれば尚更だ。

 たまらず視線を外そうとするが、きゅっと絶妙な力の入った指先がそれを拒んだ。



「…くろ、」

「−雅さん」



 これ以上は心臓がもたないと、再び口にしようとした呼びかけは途中で止まる。
 代わりに世界を支配したのは、被さった音と、緩やかな笑み。








ちゃんと言うまで、許しません

(名前を呼んで貰いたいなんて、贅沢ですか)
(だって名前とか普通に呼んだら爆発しそう!恥ずかしくて!)


ネームぷりーず!

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