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「#幼馴染」のBL小説を読む
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やましいことはひとつしかありません


 部屋に入った瞬間に、ヴィアベルはため息をついた。



「…すげぇ顔色だな。寝てなくて大丈夫かよ?」

「はい」



 ツカツカと迷いなく距離を詰めた先。
 木製の椅子には白いブラウスに黒のロングスカートといった落ち着いた服装の女性が佇んでいる。
 少しだけ身動ぎした拍子に絹のような黒髪が華奢な肩から滑り落ちるのを見つめるが、顔をあげる様子はなかった。



「食事は?」

「準備していただいたものを」

「一応食べたみたいだな。それでもこの状態か」



 テーブルに視線を滑らせて籠の中身を記憶と照らし合わせると、少し眉間に皺を寄せる。
 白いを通りこして蒼白さまで感じるほどに、血の気のない肌。
 目線を合わせようとしてもすぐに意図的に逸らされてしまうため、未だに彼女の色彩を見ることは叶っていない。

…ったく、一体どうしろってんだ。

 二日前の夜に出会い飴凪雅と名乗った彼女は、いわく“異世界人“らしい。
 信じがたい話ではあるが実際にお互いに書いた文字は読めないし、少し聞いただけでも文化が違う。
 何よりも、こちらでは当たり前の魔法という概念がないことが決定打だった。

 そして現在一番の問題が、彼女の体調問題だ。
 今思えば当初からフラフラではあったが、何故か時間を追う毎に明らかに悪化している。
 北部魔法隊隊長といった肩書き上、どんな些細なものも平等に疑うのも役目だ。
 彼女からは妙な魔力に似たようなものも感じるため、魔族である可能性も考慮して警戒はしてきた。

 しかし、この弱り様はさすがに見ていて気持ちの良いものではない。
 関わってしまった以上放置するわけにもいかず、とりあえず保護という形で家に招き入れたが、何を尋ねても今のような流れで核心を得ることができなかった。



「…まぁまだ付き合いも浅いしな。出会ったばかりの男を信用できねぇのも分かるが、このままじゃアンタ本当にぶっ倒れるぜ?俺に出来る範囲は手を貸してやる。だから、その不調を改善すんのに何か心当たりがあるなら言ってみろ」



 彼女の話を鵜呑みにするならば、いきなり自分の生きてきた世界を覆された環境だ。
 見知らぬ土地で、知り合いもいない、衣食住もない。
 その身一つで放り出されて、やっと出会ったのが同じような世代の異性であれば、警戒して当然と言える。

 少しでも安心材料になるならばと、ある程度距離をとった位置にある椅子に腰を降ろして再度返答を待った。



 カチリ。カチリ。



「…」

「…、」



 秒針が時を刻む音だけが満ちる空間で、不意に掠れたソプラノが空気を揺らす。



「…血、を」

「なんだ、血?どこか怪我でもしてたのかよ。それならそうと早く言え」



 これ以上悪化したらどうすんだ。

 思わず突っ込みながら治療道具を取りに行こうと立ち上がるが、背を向けた0.1秒後には反射的に身構えた。
 頭で考えるより先に反応できたのは、彼が長年魔王軍の残党と戦い続けてきた賜物だろう。

 ある程度距離があったにも関わらず、物音もたてず一切の気配も感じさせずにいつのまにか真後ろにあった温度に。
 ぶわりと鳥肌が立ち、一気に脳が、身体が戦闘態勢に入る。



「っおい、アンタ一体…!」



 杖がその白い首筋にあてがわれた瞬間、その場の張り詰めた空気にそぐわない音が鳴り響いた。



ーぐぅぅぅ。



「…、…」

「…すいません、お腹が、限界で…」

「…食事、足りなかったか?」

「いえ、普通の食事は充分です」

「分かった。話す気になったんだろ、さっさと説明しやがれ」



 羞恥心からか真っ赤に染まった両耳を確認したのち、害意が全くないことを確信して杖を下ろす。
 初めて目にした人間らしいリアクションに、無意識的に口元が緩んでいた。






ー数分後。

 もの凄い反省をするようにその場で正座をした雅に合わせて、再度ある程度の距離をとって自らも床に座り込んだヴィアベルは唸っていた。



「…とりあえず一通りは理解したが、すんなり呑み込める話でもねぇな」

「ごもっともです」



 シュンと視線を下げる彼女は吸血鬼という種族らしく、生きる糧として人間の血が必要なのだとか。
 人間を糧とする点は魔族と同じだが、問題はその害のレベルだ。

 リラックスした体勢はそのままに、スッと双眼を細める。



「ひとつ確認するぜ」

「なんでしょう」

「血を吸われた人間に対するデメリットだ。人間は血を失いすぎれば死に直結する。なるべく協力はしてやりたいが、俺にも役割があるからな。万が一自分の身体に不調が出たり、他のヤツを危険に晒すようなことはできねぇ」



 淡々と紡がれる言葉に真摯に耳を傾けていた雅は、神妙に頷いた。



「その心配も、ごもっともです。結論から言えば、血を提供していただいた方への身体的なリスクはほぼありません。勿論体調を害すような量はいただきませんし、寧ろ少し抜くことで新しく血液が作られて調子自体はよくなると思います」

「アンタ、そんなに喋れたんだな」

「…理性を抑えるのにいっぱいいっぱいでしたので。無礼な態度の数々、お許しください」



 相変わらず全く絡まない視線に、ああなるほどと腑に落ちる。

 意地でもこちらを見ないのは何かやましいことでもあるのかと一部疑っていたが、彼女にとっての食事欲求を抑え込んでいただけらしい。
 人間で言えば、飢餓時に常にごちそうを前にしているというある種の拷問に近かったわけだ。
 時々席を外していたとはいえ、丸々一日以上自分と時間を共にしながら、彼女はその強靱な理性で生理的欲求を押さえ込んでいた。

 そこまで思考したのち、ヴィアベルは判断を下した。



「ー、いいぜ。俺の血でよければ分けてやるよ」

「…いいんですか?」

「そのままずっと死にそうな面されているよりはマシだ。さすがに倒れられんのは困るからな」

「ありがとうございます…!」



 感極まったように声を震わせた雅は、その場で祈りを捧げるように胸の前で指を組む。
 どの世界でも共通に祈る対象はいるらしい。



「で、どうすりゃいい」

「そうですね、首筋から直接いただくことになるのですが…大丈夫でしょうか」

「思い切り急所じゃねぇか。出血は?」

「そんなにしません。我々の唾液には治癒効果のある成分も含まれているので、傷もすぐに塞がります」

「へぇ、便利なもんだな」



 まさかの情報に少し目を見張るようにすると、遠慮がちに近づいてくる華奢な身体を受け入れた。
 特にこちらから触れるようなことはしないが、その視線がじっと左の首元に向けられているのを見て取ると、噛み付きやすいようにと少し右に頭を傾けてやる。

 ごくりとその白い喉が鳴るのを合図に、左の首筋に鈍い痛みが走った。
 それも一瞬のことで、すぐにその感覚は薄れていくー、が。



「!」



 代わりに、明らかに脱力していく身体に瞬時に表情が強張る。

 気が付いた時にはもう遅かった。
 ぐらりと視界が反転し、天井を背景に濡れたような漆黒が舞い上がる様子がスローモーションで脳に届く。

ー、…っくそ、しくじった。この体勢じゃソルガニールも使えねぇ。

 柄にもなく完全に油断してしまったと内心舌打ちするが、もしも今までの話が全て作り話で彼女が魔族だったのであれば、この状況は確実に詰んでいる。
 戦場では常に情よりも合理性を優先して生きてきたというのに、プライベートだからといつの間にか大層気を許してしまっていたらしい。



「…、」



 落ちつけ、まずは状況を整理しろ。

 常に死と隣り合わせの場に身を置いてきた。
 こういう絶対絶命の状況も、何度もくぐり抜けてきている。
 スッと冷えていく思考回路に集中して、己に被さるように密着する雅を分析に入った。

 後方に倒れ込んだにも関わらず衝撃がないのは、共に倒れ込んだ白い温度がするりと首の後ろに手を滑り込ませて後頭部を支えているからだ。
 いくら互いに座り込んだ体勢からだったとはいえ、かなり体格差のあるヴィアベルの上半身を当然のように支えるその力はもはや警戒の対象にしかならない。



「…おいおい、随分と話が違うじゃねぇか」



 身体に対するリスクは、ほぼないって話だったはずだが。

 皮肉を込めて唇の端をつり上げると、右肩に添えられていた指先がピクリと波打った。
 一息置いて、首筋に埋まっていた顔が挙がる。
 息遣いまで聞こえそうな至近距離で、ここにきて初めて視線が交わった。



「ーっ、」



 その色彩に、息を呑む。

 待ち望んだ血を供給できたからか。
 血の気の失せていた肌は薔薇色に上気して、元の色の白さを際立たせていた。
 唇に紅のように掠れる赤は、恐らくヴィアベルのものだろう。

 今だ動けずにいる彼の頬にそっと右手を添わせると、そのままその下唇を細い指先がなぞった。
 されるがままの現状に苛立ちが募るが、何故か彼女の瞬き一つ、指先の動きひとつに意識が丸ごと持っていかれる。

 無意識に呼吸も忘れて魅入る中、雅は不意に唇のその赤を見せつけるように自身の舌で舐め上げた。



「…ー、ヴィアベルさん、」



 その妖艶さに、嫌でも視線が釘付けられる。
 あからさまに高ぶっている表情で、声色で、うっとりと魅惑の双眼を細めた吸血鬼は言い放った。



結婚しましょう

「……、」



 何がどうしてそうなった。
 
 情報処理が終わらぬうちに、ヴィアベルの口元を撫でていた彼女の指先が徐々にその首筋に滑る。



「一目惚れです。胸鎖乳突筋から鎖骨のラインに加えて鍛えられた胸筋も素晴らしいです。芸術的すぎて視界に入れるだけで涎が止まらないので大変でした。できることなら一日中触っていたいです」



 なるほど、ただの変態だったか。
 
 とりあえず現時点での命の保証はできたと安堵すべきか、違う意味での脅威に慄くべきか。
 真剣に迷うヴィアベルに構わず、首をコテリと傾けた雅は慎ましやかに微笑んだ。



「ああ、ちなみに力が入らないのは数分程度ですのでご安心くださいね。説明不足で申し訳ありません、対象に負担をかけないためのリラックス効果です」



 そのはにかみだけを見ていれば絆されてしまいそうだが、いやいや違うだろとグッと目元に力を入れる。
 リラックス効果とは上手く言ったものだが、体験している身から言わせてもらえば、実際は抵抗させないための手段に近いだろう。

 もの言いたげに沈黙を守るヴィアベルを急かすように、雅がおっとりとその青瞳を覗き込んだ。
 大分気分も落ち着いてきたのか、当初の印象に健康さを足したような清廉さで前髪を揺らす。



「お返事はいかがでしょうか」

「…まあ、返事以前に反応に困るわな」

「確かにいきなりすぎますよね、まだ知り合って二日ですし。お互いを知るところから始めましょう」

「そうだな、俺からすればまずはこの体勢を立て直すところからだな」

「では結婚は保留でいいので、とりあえず明日からは毎晩一口ずつ吸わして欲しいです」

いきなりガツガツくるじゃねぇか



 話聞いてるか?

 ヴィアベルの突っ込みに、心底嬉しそうに頬を緩めた。







やましいことはひとつしかありません。


(あれだけ警戒しながらも、手を差し伸べて最善を尽くしてくれた。常に心身を気遣ってくれる優しさに惹かれるのはごく自然なことでしょう?)
(こんな状況で不安にならないヤツがいるかよ。少しでも違う感情で上書きできるならそれでいい)

温度、めぐる。



2024.3.28

お題提供元:花洩様


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