全てが麻痺するあなたとの時間にどうか酔わせて。
◇
じんじん痛む右足に、雅はそっと溜息をついた。
辺りは真っ暗で、所々から虫の鳴き声が聞こえる。
肝試しの最中で驚かされた訳でもないのに転んで足を挫き、スマホはまさかの圏外で、 ペアの女の子が慌てて助けを呼びに行ってくれたのが数分前だ。
こんなことになるなら来るんじゃなかった。
割にびびりの自分がこんなイベントに参加したのは、意中の三ツ谷が参加するという情報を得たからだ。
結局彼とはペアが違うし怪我をして周りに迷惑はかけるしで、いいとこなし。
大きく肩を落としたところで、走る足音が鼓膜を掠めた。
どうやらペアの子は助けを呼ぶことに成功したらしい。
鉢合わせた瞬間に謝ろうと顔を上げ、そのシルエットを確認する。
二人以上を想像していたが、人影は一つだった。
ついでに言えば、女の子でもない。
「ー、え」
「!飴凪、大丈夫か?」
「…三ツ谷君?」
「おう。安田さんに聞いて来た」
足はどんな感じだ?
全速力で駆けつけてくれたらしく軽く息を整えながら屈んでくるが、何とも頭が回らなかった。
一言断って足首の確認をし始める姿を見詰めるほかない。
「えっと、安田さんは…」
「伝達するヤツが必要だろ。女子1人で歩かせるわけにはいかねぇから、ペーやんと戻ってもらった」
「それはまた…言い合いになりそうだね」
「はは、まぁな。いつも通り、既にぺーやんが安田さんの勢いに圧されぎみだったけど」
「うーん、目に浮かぶ」
結構な頻度で目にする2人の絡みを思いだして、口を隠して笑った。
雑談のおかげで思考回路が繋がってきている。
事のつまりは、良い感じにペア交換ができたということだ。
そもそも肝試しで同性ペアが多数だったのは、運営メンバーのミスとしかいいようがない。
かなりのブーイングが飛んでいたことを思い返して、不幸中の超幸いに心の底から感謝した。
安田さん女神すぎますありがとう。
雅が心の中で拝み倒している間に、足の状態把握が終わったらしい。
少し難しそうに眉を寄せた三ツ谷がゆったり腰を上げた。
「やっぱちょっと腫れてんな。あんま動かさない方がいい」
「じゃあゆっくり歩くよ」
「…話聞いてたか?動くんじゃねェよ」
「え。だってそれじゃあ…」
苦笑いで宥められて、思わず眉を下げる。
それでは三ツ谷との肝試しデートができないではないか。
折角念願のペアになったのに、どんなお預けだ。
彼のことだから一緒に救助を待ってくれるのだろうが、それはそれで大変申し訳ない。
三ツ谷の妹達も、彼の帰りを待っていることだろう。
うんうん悩む雅の顔を面白そうに眺めたのち、不意に三ツ谷が体勢を変えた。
「ん、」
「…んん?」
こちらに背中を見せて屈んだ彼に、疑問符が飛ぶ。
いや、何となくシチュエーション的には察するが、またもや脳が追いついていない。
動けずにいると、痺れを切らしたように振り返った三ツ谷から催促がきた。
「なに呆けてんだよ。おぶってくから、乗れ」
「え!?私がおぶさるの!?」
「それ以外に何があんの」
クスリと温かな視線と交わり、一気に顔面に血液が集まる。
だめ、この包容力満載笑顔は反則的。
クラクラしながらとりあえずお言葉に甘えて身を任せようとするが、自分がびびりであることを忘れていた。
足下で何かがうごめき、反射的に三ツ谷の腰に飛びつく。
「っわあぁ!?」
「うお!」
彼の場合は完全に雅の行動による驚きだが、二人してその体勢のまま原因を探った。
にゃあ。
してやったり顔で尻尾をゆらゆら揺らして、マイペースに去って行く猫を見送る。
犯人が分かってからも心臓の動揺がおさまらず、完全に固まったまま数回瞬いた。
そこから数十秒。
いつもの気の抜けたような笑い方が、雅の意識を呼び戻す。
「…あのな、飴凪。さすがにこのままだとオレも動きようがねぇんだけど」
「は!ごめん」
「手ェ、こっちな」
「は…はい」
やんわりと手が重なって、彼の腹部に回っている手を肩側に誘導された。
しどろもどろになりながらされるがままになっていると、またもや笑うような振動が空気を揺らす。
「ほら、動くぞ。しっかり掴まってろよ?」
「宜しくお願いします」
「おー。任せろ」
ゆっくり立ち上がって、足を踏み出した。
思った以上に安定した足取りに、感嘆の声をあげると同時に気になっていることを囁く。
「…重くない?」
「こっちはガキの頃からルナとマナ抱えて動いてんだぞ。飴凪なんか余裕だっての」
「ルナマナちゃんとはさすがに体重違うよ…」
「オレも成長してるからな?」
「確かに」
くすくす笑いながら彼のうなじ辺りに引っ付いて、そこでふと気が付いた。
いや待って、めっちゃ良い匂いする…!
この暑さで駆けつけてくれたこともあり勿論汗もかいているだろうが、それも含めて好みの香りに思わず真顔になる。
「…飴凪?」
「三ツ谷君、シャンプーだかボディソープだか柔軟剤だか分からないけどめちゃくちゃ良い匂いがする」
「いや、んな真剣に言われても」
そうか?
彼お得意の困ったような笑みも相まって破壊力抜群だった。
深呼吸をしたい気持ちを抑えつつ(さすがに変態のレッテルは貼られたくない)それとなく嗅ぎながら前髪を揺らす。
「今度なに使ってるか教えてほしいな」
「ん?別にいいけど。結局同じの使うことになるだろ」
「うん?」
「ああまあ、シャンプーとかボディソープはわかんねーか。でも柔軟剤は一緒だろうな」
当たり前のように並ぶ言葉に、おや珍しく会話が噛み合わないぞと首を捻るが、次の一言で全てが繋がった。
「ー結婚したら使うもん一緒じゃん」
自分が言ったことなのに、もう忘れてんの?
ひどく優しい声色。
至近距離で直撃した垂れ目が悪戯っぽく細まって、ほぼ無意識的にがばりと首元に抱き着く。
「全部一緒の使いたいです…!」
「ん。りょーかい」
足の痛みは、もう感じなかった。
全てが麻痺するあなたとの時間にどうか酔わせて。
(あれ、そういえばこっち逆方向では)
(伝言な、「先に帰る」っつーことにしたから)
夜間デート、しましょ。
2021/08/05
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