染まる世界に溺れて
◇
ざぁぁ。
「うーん、これは暫くやみそうにないですね」
「そうですよね…」
相槌を打ちながら、雅はちらりと隣の温度を見上げた。
店長に頼まれて安室と2人での買いだし中、急な夕立に見舞われて雨宿りしたのはいいが、中々の勢いだ。
何よりも、屋根のある範囲が限られているため必然的に近くなる距離に心臓が高鳴る。
そんな心境を知ってか知らずか、ニコリと笑って視線を合わせてきた安室が前髪を揺らした。
「僕としてはこのまま二人きりの時間がもてるのも嬉しいですが、約束の時間もありますし。そこのコンビニで傘を買ってきますね。飴凪さんはこのまま待っていてください」
相変わらずさらりと織り交ぜられる好意の言葉チョイスに軽く頬は火照るが、これも慣れだ。
割り切って、ありがたく甘えることにする。
「確かに、そっちのほうがよさそうですね。よろしくお願いします。いつもありがとうございます安室さん」
こういうところが彼のモテる所以なのだろう。
柔らかい物腰や秀麗な容姿もさながら、一緒にいる人間への気遣いがずば抜けているのだ。
スマートな提案に感嘆しながら尊敬の眼差しで返すと、少しの沈黙が降りた。
「…安室さん?」
彼にしては珍しい間に不思議に思って顔を覗き込めば、苦笑いとかち合う。
「…いえ、そんなに純粋に感謝されると少し良心が痛みますね」
「え、さっきの会話の中にそんな良心が痛むようなやり取りありましたか?」
「下心があるってことですよ」
「下心、とは」
雨宿り中に傘を買ってきてくれるというその行為には、どう考えてもありがたみしか感じなかった。
安室と同じ思考にたどり着けず困ったように視線を送ると、ゆったりとその双眼が細められる。
あ、しまったこれはいつものやつだ。
もはや染みついてしまった感覚に身構える間もなく、恒例の“攻め“がきた。
ただでさえ腕がぶつかるような至近距離。
彼がこちらに合わせて屈めば、もう逃げ場などありはしない。
雨独特の湿気に混じり、嗅ぎ慣れた香りが麻薬のように浸透してきた。
「−先に言っておきますが、ビニール傘一本しか買いませんよ?」
もちろん飴凪さんを濡らさないように最善を尽くすのでご心配なく。
付け足される言葉は、もう頭には入ってこない。
確実に意識をしているのだろう、日常よりも低めに耳元に落とされる声に悶えた。
染まる世界に溺れて。
(日常が心臓に悪い)
(利用できる物は利用しますよ)
相合い傘、憧れの。
2021/04/01
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