わたしは予約済みです
◇
出された水の中で氷がカランと崩れるのを眺めていると、テーブルに影が落ちた。
勿論人と待ち合わせなどしていないし、この喫茶店には独りで立ち寄った為、選択肢は限られる。
「−ご注文はお決まりですか」
聞き慣れた声に、メニューに視線を投じたまま応じた。
頼むものは決まっている。
「アイスココアで」
「アイスココアをおひとつですね」
爽やかなスマイルを浮かべた店員を見送ると、再び透き通るグラスへと視線を戻した。
待つのには、慣れている。
ぼんやりと今日のこれからのスケジュールを脳内再生している中、視界がふと薄暗くなった。
注文品にしては、早すぎる気がする。
首を捻って焦点を上げれば、予想外の人物にかち合った。
「あ、やっぱ飴凪さんじゃん!なに、1人なの?相席いい?」
大学の同期に当たるその青年は、カラリと笑うなり雅の返事も聞かずに前の席に腰を下ろす。
周りに荷物が見当たらないことから連れがいないと判断したのだろう。
待ち合わせとか、そんな可能性は考えないのだろうか。
ううん。
困ったように眉を下げると、苦笑をお供に話を切り出した。
「…関口君は誰かと待ち合わせ?」
「そ、でもそいつら遅れててさ。外で待つのも怠いし。そしたら飴凪さんが見えたから」
「そっか。外は暑いしね」
「あーあ、こんなとこで会えんなら約束すんじゃなかったな。…もし用事なかったら飴凪さんも一緒に映画見に行かね?」
ちゃんと女の子もいるし!
名案とばかりに顔を輝かせる彼に、ゆったりと瞬く。
大学でも頻繁に声を掛けてくれるし、あちらから向けられる感情を感じ取れないほど鈍感でもない。
しかし、だからこそ、その好意を受けるわけにはいかなかった。
「折角なんだけど…」
申し訳なさそうに切り出した瞬間に、人の気配が空気から伝わる。
同時に香る、いつもの香水。
「−お待たせしました、アイスココアとチョコレートパフェになります」
「え?…あの、」
明らかに覚えのない品まで自分の前に置かれて、雅は顔を斜めにする。
間違いだろうか、珍しい。
戸惑いがちに褐色の腕の先へと視線を辿っていくと、先程の店員が緩やかに微笑んでいた。
やはり見慣れた髪色が、意識の中で揺れる。
「…大丈夫ですよ、僕の奢りですから。すいません、あと一時間で上がりなのでもう少し待っててもらえます?」
埋め合わせはその後でしますから…。
付け足すように囁かれると、意味もなく熱が耳へと集中した。
その声で耳元は反則だと思います。
うぬぬ。
軽く熱に魘されながらも、とりあえず中途半端な返事を返しきろうと顔の向きを戻す。
いきなりの伏兵登場にポカンとしている彼に、控えめに切り出した。
「ごめんね、お誘いは嬉しいんだけど今日は先約が、」
「あ、うん分かった!先約な!それならしょうがねーよな、そろそろあいつらも着くと思うから行くわ!」
「うん、気をつけてね」
言い切るより先に怒濤の勢いで席を立った青年の後ろ姿を眺めながら、ゆるゆるとココアのストローに口を付ける。
「…安室さん」
「何ですか?」
「結構わざとらしかったね」
「雅さんに関わることですからね。余裕なんてありませんよ」
言葉とは裏腹に優雅に笑んだ恋人に、緩む頬を抑えた。
わたしは予約済みです
(今も、これからも)
(こちら側としては、先程の彼との関係性をお聞きしたいところですが)
すすめよスプーン。
(お題提供元:王さまとヤクザのワルツ様)
2013.06.04
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