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ふわり浮いた感覚と懐かしの匂いに揺られて




「−でさ、その喫茶店また行こうよ。雅もまた空いてる日教えてね」

「うん、そうだね」



 にこ。

 定番の笑みを張り付けて頷けば、満足した様子でまた違う話題を繰り出す。
 そんな友人に一言断って廊下に出た雅は、そのまま人気のない角まで足を進めた。
 周りに気配がないことを確認してから、大きく酸素を取り込む。

 壁に体重を預けて座り込んでしまいたい衝動と葛藤しながら視界にシャッターを降ろした。


−今日は体調最悪だ。


 それでも、他人に察知させない自信はあった。
 基本的には愛想笑いでどうにかなるものだ。
 己の感情や私情なんて抑え込んでなんぼ。
 人に合わせていればそこそこの日常の安定は確保されるのだから。

 …でもあの喫茶店は趣味に合わないんだけどな。



「…−、」



 ふと先程話に上がっていた店を想うなり漏れそうになった溜め息を、内外どちらつかずで留めた。
 空気の動きを目敏く感じ取り、いつも通りの表情を創る。
 最早、反射みたいなものだった。

 そのままくるりと重水の溜まったような頭を捻って、確認できたクラスメートに笑いかける。



「憚木君、もうすぐチャイム鳴りそうだけど、どっか行くの?」



 その万人受けするであろう微笑みに、ほんの少しの間を空けて返答がなされた。



「…お互い様じゃねーか。保健室にでも行くのかと思ったらこんなとこで何してるワケ?」

「…保健、室?」



 呆れたように落とされた単語に、一瞬思考が停止する。

 保健室に行く人間の目的なんて限られている。
 保健委員会にでも入っているか、怪我をしたか、はたまた体調が優れず休養を求めるためだ。
 勿論委員会には入っていないし、今の身体には掠り傷ひとつない。
 そうなると残る可能性は絞られるが、何故自分が当てはまっているのかが理解できなかった。

 体調不良は顔色には出ないタイプな上、完璧に笑顔を取り繕っている状態だ。
 家族にも見破られたことなどない。



 ああそうか、聞き間違いか。
 もしくは彼が体調が優れないのかな。



 最終的にそうたどり着くと、相手の身体を気遣おうと落ち掛けていた視線を上げた。
 否、上げようとした。

 しかし、不意に額に当てられたそれに、拒まれる。



「…え?」



 じんわりと肌が吸収するのは、冷たい体温。
 反面、己の熱のこもりを自覚した。
 思ったより重傷だ。

 色々なショックで立ち竦んでいると、上からの静かなため息が鼓膜を揺らす。



「…やっぱ凄い熱じゃねぇか。歩けるか?」

「なんで…、」

「何でも何もないワケ。保健室行くぞ」



 手を取られた際に、長い前髪に隠れた切れ目がちらついた。

 彼は何故目元を隠すのだろうか。
 恐らく相当の美形なのに勿体ない。

 そんな現状と見当違いの感想を頭の中で反響させながら、雅の意識はぷつりと途切れた。



「っおい!?」



 飴凪…!

 電源が落とされた電子機具のような暗闇の中、彼にしては珍しく焦ったような声を聴く。
 
 あ、憚木君に呼ばれたの初めてかも。
 朧気にとけ込んだ思考はやはりどうでもいいことだった。







ふわり浮いた感覚と懐かしの匂いに揺られて


(あれ、この感覚覚えてる)
(見てる奴の体調変化なんて、分かって当然なワケ)


遠い、とおい。


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