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その一瞬だけは、私が独り占めで頂戴していいのでしょうか



 ふと瞼を上げた雅は、ゆっくりと睫毛を上下させた。
 あまり見慣れない白い天井にクリーム色のカーテン。

 此処が保健室だと理解したのは、鼻腔を擽る薬品の匂いに気付いてからだった。



「…あれ?」



 しかし腑に落ちず、僅かに眉を顰める。
 自分で保健室に踏み入った記憶などなく、ましてやベッドに横たわっているわけがないのだ。

−落ち着け落ち着け。

 大きく息を吐くと同時に、カサリと音が空気を揺らした。



「あ、起きた」

「…、え?」



 その落ち着き払った声に、折角働きかけた脳が再び停止する。
 自分以外に人がいるんだと判断を下すまでに数十秒は要した。
 時計の秒針だけがカチリカチリと耳に届く。

 意識するなり視界の端に入った人影。
 ぎこちない動きで恐る恐るそちらに顔を向けると、ボーっとした瞳と視線が絡んだ。



「…、」

「…」

「…祐希君!?」

「うん」



 ぎょっとして名前を叫べば、相変わらず表情に動きのないクラスメートがアニメ雑誌片手に頷く。
 自分も愛読しているそれに目を奪われつつ、慌てて身体を起こした。

−瞬間、ぐらりと襲った眩暈に一瞬意識が飛ぶ。

 反射的にベッドに己の手をついて支えると、一拍おいて白いシーツを影が覆った。
 疑問を抱く前に、ヒヤリと冷たいものが額に触れる。



「熱あるんだよ、動かない方がいいと思うけど」



 備え付けの椅子から軽く身を乗り出した祐希が、雅の額に手を当てたまま、数分前の彼女の疑問を解決した。



「…ねつ…」

「そう、そんで体育の最中に倒れた」

「…あ、」



 蘇った記憶に、口が開く。
 そうだった、今日は朝から体調が悪かったのだ。
 心配する友人の反対を押し切って授業に参加したものの、途中で意識が遠のいた。

 そこから先、覚えているのは、確かなざわめきと、曖昧な浮遊感。
 誰かの温度に、淡い匂い。

 重い頭を必死に上げて、祐希に視点を合わせる。



「運んでくれたのは、祐希君?」

「ちょうどサボリで通りかかったから」

「ありがと、…重かったよね」

うん

う!



 迷いもない率直な切り返しにズシリとダメージを受けた。
 元々はっきり物事を言うタイプだとは分かっているため妙な期待はしていないが、こうズバリと言われるとやはりショックだ。

 こっそりうなだれる雅を見つめた祐希は静かに手を退けて椅子に座り直すと、雑誌に視線を落とした。



「まあ、飴凪は近くにいても酔わないから」

「…うん?」



 前後のない台詞に、重水の満ちたような頭が斜めに傾く。

 祐希が女性特有の化粧品や香水といった匂いに酔うことを知っている者には、理解できたに違いない。
 化粧気もなく基本シャンプーの香りしか漂わせない雅は、祐希が自分から関わる数少ない人間だった。
 彼をよく知る人間から言わせれば、女の子が倒れたからといって、祐希が自分から女性を運ぶなんてことはありえない。
 今回は、雅だからこそのことだった。

 自覚のないまま唸り続ける雅の頭を、ぺしりと雑誌で軽く叩く。



「とりあえず寝なよ。まだ授業終わるまでは時間あるし」

「あ、うん。…祐希君は授業はいいの?」

「付き添いという名のサボリ。いい口実になるからいるだけ。気にしなくていいから、空気だと思って」

「さいですか」



 あっさりさっぱりの返事に苦笑を零して、雅はモソリと布団に潜り直した。
 確かに、寝ていた方が楽だ。

 重力に逆らわないことでいくらかマシになった身体にホッと息をついて、それからクスリと笑みを浮かべた。



「…熱上がった?

「違うからっ大丈夫だから!そんな目で見ないで!?



 いきなり笑ったのに驚いたのか、真顔での真剣な問いに必死に対応する。
 ぺとりと頬にひっつけられた手はやはり冷たくて心地よいため、そこにはあえて突っ込まない。



「その、祐希君にはあまり好かれてないのかと思ってたから…普通に喋れて嬉しいなと」

「…オレそんなこと言ったっけ?」

「わ、違うよ言ってないっ。私の思い込みというか…勝手にごめんね」



 喋るうちにどんどん顔に熱が集中し、いよいよ頭が回らなくなった。
 羞恥心が募り、おりた沈黙に耐えられず頭まで布団を引っ張りあげる。

 彼を意識していたのは確かだし、毎日、言葉を交わす度に喜んだのは本当だった。
 ただ、祐希はあまりにモテる上、進んで他人と関わろうとしないため、話し掛けるのにも勇気がいった。
 
 邪魔にはなっていないか。
 疎ましがられてはいないか。
 不安で仕方なかった。

 しかし考えてみれば、確かに本人に確認したことはない。
 思い込みをそのまま本人にぶつけるだなんて、常識外れもいいところだ。
 熱っぽさと恥ずかしさでジーンと熱くなる目元に、布団を握る手に力が入る。

 目の前に広がる白が滲み始めたところで、静かな声が鼓膜を揺らした。



「−好きか嫌いかっていったらどっち?」

「へ?」



 唐突な問い掛けに唇から間抜けな音が漏れる。
 その反応に首を傾けた祐希は、言葉足らずを自覚して言い直した。



「“飴凪にとって”“オレは”、好きか嫌いかでいうとどっち?」

「っ…好き!」



 脳が理解した瞬間、口はもう動いていた。
 思わず布団から顔を出して叫んだのち、我にかえった雅は物凄い勢いで頬を染め上げる。

 少しの間を空けて、祐希の唇は動きを再開した。



「じゃあ普通と好きでは?」

「え、と…好き」

「うん」



 ひ と り で 納 得 す る な し 。

―かあぁあああ。

 頭から湯気を出しそうな感覚に見舞われながら再び布団で顔を覆おうとするが、それは叶わなかった。
 ぱしり。

 温度の低い手が、雅の布団を掴む手に重なる。
 じわじわと移る体温にクラクラしながら、視線を上へとパターンした。
 やはり何を考えているのか読めない表情とかち合う。

 雅の見守る中、祐希はゆっくりと口を開いた。





「最後。




−“好き”と“大好き"」





 開けた口が塞がらないとはこのことか。

 金魚のように口をパクパクさせた雅は本格的に泣きそうになる。
 最早、熱のせいなのか彼のせいなのか分からない火照りを抱えながら、彼女なりの精一杯で祐希を睨んだ。



「わ、私だけ言うのってずるい…!」

「オレが言う意味ないし。多分一緒」



 何処からか風が入ったのか、祐希の髪がふわりと揺れる。

 微かに上がった口の端に、時間が止まった気がした。







その一瞬だけは、私が独り占めで頂戴していいのでしょうか。


(あ、まだあった。大好きと愛してるなら、)
(っもういいから…!)


耳鳴り、さえも愛し。





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